ゴミ拾いに挑戦してて、休み中だったけど再開しました

いつの間にか浜がゴミの山に。自分自身の健康のためにもゴミ拾いを始めました。引っ越し先から戻ってきてゴミ拾い再開しました。

万年青は普通に生えているのね

2008-12-14 23:05:10 | Weblog
先日、生田緑地でオモトを見つけました。



野生?自生???
誰かが植えたものではないと思います。
元の地主さんが植えたものとかではありません。
何年もたっている物ではなく、まだ若い株です。
オモトは日本では関東から沖縄にかけての山地、特に西日本に多く
自生状態で生育しているとウィキペディアには載っています。
生田緑地は関東ですし、低い山ですので自生していてもおかしくはないわけです。
徳島県でオモトと言えばお正月の生け花用として農家が育てて出荷している
というイメージでしょうか。
相生町のあたりでは黒い日除けをしたオモトの畑をよく見かけます。
オモトは温暖な低い山の中に自生しているとのことですが
完全に自生していると確認できるオモトを見たことがありませんでした。
以前見つけたオモトの群生は、かつて農家の人が栽培していた跡地
と言う可能性もありますし。

自生しているオモト

しかし、このオモトを見つけたとき、田んぼのボランティアの先輩が
「あ、オモトでしょ」
とそっけなかったし、オモトはよく見るそうなので
生田緑地では、野生のオモトはごく普通に自生しているらしい
と言う事になるのでしょうか。
このオモトが野生種かどうかは分かりません。
が、誰か人が植えたものではないと言う事はできると思います。
あ~~~、ややこしい。
どうでもいいことかしら。
とりあえず、オモトは普通に生えているらしいです。

この日も生田緑地は大勢の小学生が来ていました。
遠足でしょうか、写生でしょうか。
先生も引率が大変そうです。



先日、ススキかオギか分からなかった穂ですが
ほぼススキで間違いないと思います。
生えている場所が湿地ではなくて山でしたし
花をよく見ると、ノギという針状の突起が見えますし
株にもなっていましたので


ふるさとを失うこと

2008-12-14 00:08:27 | Weblog
田舎に住んでいると、その風景は緩やかに変わっていきます。
たとえ何十年ぶりでも何かしら昔の風景は残っており、懐かしいものです。
あの田中角栄さんの日本列島改造を経験しても、
建物がすっかり変わっていたとしても、そこある山や川や海は
変わらずにそこにあります。
知った人もいてくれます。

しかし、都市においては、その変化は正に激変で、跡形も無くなることも珍しくはないでしょう。
それが、「都市」と言うほどの都市でなくてもおきているのを見ました。

小中高校時代を過ごした、埼玉県桶川市を訪ねました。
私の第二のふるさととも言える町です。
ですが、もう実家も無く誰も知った人のいない町になった所です。

昔のあの広々とした風景を求めて行ったのです。
関東にいる間に、一度は行ってみたいと思っていたのです。

ずっと向こうに見える屋敷林のある農家まで畑の続く景色や
どこまでもどこまでも続く雑木林があるあの景色をもう一度見たくて。
冬の空っ風が吹き渡る、学校に通った道を見たくて。

けれども、その風景は無くなっていたのです。
かつて田んぼや畑が広がっていた所は住宅地になっていて今風の洒落た家が
立ち並んでいました。

何十年も前の風景を求めるのは無理なことは分かります。
しかし、こんなにも変わるなんて・・・・。
駅からかなり遠い所なのです。
バスも通っていなかったのです。

そして、かつて住んでいた家を探してみましたが
チマチマと家が建つ住宅地になっていて周りが家で埋め尽くされていました。
どこなのかサッパリ分からなくなっていました。
自分がどこにいるのか見当もつかないのです。
道に迷ってしまったのです。
やっとたどり着いたそこにはブルドーザーがありました。
更地にしているようです。

この家の前に住んでいた家も駐車場になっていました。
そこは駅からさらに遠い所にありました。
そんな駅から遠い所の団地の建売に私達家族は住んでいたのでした。
その団地自体は残っていました。
しかし、そこに住む人は変わったようです。
同級生の家がまだありました。
が、こんにちはと言って訪ねるわけもなく、ただ外から見ただけでした。
当たり前の事ですが、当時新築だった家が、ひどく古ぼけていました。

何と言う事でしょう。
私達家族が住んでいた家は二軒とも跡形も無くなっていたのでした。
私達がそこに住んでいた痕跡すらも消し去るようにです。
私はこの町にとっては、すでによそ者でしかありませんでした。
私にとっても、もう見ず知らずの町になってしまったようです。
父と母が暮らす家がふるさとだとしたら、父も母も亡くなっている私には
もうふるさとはないのですね。


昔の面影が残る風景。
このような風景がず~~~っと続いていました。
この写真の両側は住宅が立ち並んでいます。
唯一、住宅が途切れたところの風景を切り取りました。



ご近所のお寺。
昔、大晦日の夜には、みかんが108個用意されていて、
みかんの数の人だけが除夜の鐘をつかせてもらえました。
甘酒のお接待も用意されていて、私達家族も鐘をつきに行った事があります。
自分が鐘をついたのかどうかは覚えていません。
見ていただけだったかもしれません。



変わりなくあるのはお寺くらいなのですね。
このお寺は由緒のあるお寺で、徳川家康が鷹狩りの際に立ち寄ったお寺です。



半世紀も生きていると、自分の来た道をたどりたくなるのでしょうか。
生まれた家も既にないし、育った家も、もうない。
父も母もいない。
これから私のふるさとはあなた自身です、
と、主人に言う人生の黄昏(もう?)の季節に入ったのかもしれません。
その前に、子供達にしっかりふるさとを残してやらなければ、
私達が子供達のふるさとになってやらなければいけないんだなと感じました。

生田緑地も紅葉

2008-12-07 22:40:07 | Weblog
12月3日
近所の街路樹のイチョウも黄色く色づき、すっかり葉が落ちているものも見られるようになりました。
ご近所もいつの間にか紅葉も終わりに近づいています。
生田緑地にも紅葉季節が来たようです。


岡本太郎美術館のあたりや民家園、菖蒲池辺りの紅葉も美しいのですが
手付かずの自然の山が残されたエリアも
これもまた美しいのです。




ホタルの里に向かう木道



芝生広場・・って事になってるけど、はて芝生があったかしら?
と疑問の落ち葉に覆われた芝生広場



芝生広場から一旦降りて、戸隠不動尊跡に向かう木道




戸隠不動尊跡地のモミジ



植えられたものか自生なのかは分かりませんが
もしかしてメグスリノキ??



生田緑地にもやっと紅葉が来ました。
北風が吹いて色づいた木の葉が落ちないうちに、もう一度行きたいと思います。

野川探検5 国分寺市内

2008-12-01 15:59:10 | 野川を歩く
さて、野川探検も先日で終わりにしても良かったのですが
やはり最後までたどりたいと言う気持ちが強くなりました。
野川は国分寺市に入ってから川沿いの道がなく、たどりにくくなっていますが
行ける所までは行ってみたいと思います。

11月20日(木)晴

この日は、まず、西国分寺の恋ヶ窪の姿見の池経由で国分寺まで行きました。
西国分寺の駅を降りてから、少し戸惑いましたが
姿見の池の道を探す事ができました。

道の入り口近くに柿の木がありました。
たくさん実をつけています。




ええぇ??
と思うほど唐突に水路が始まっていました。
ここまでの水路は地下にあるのでしょうか。
案内板にはこう書かれています。
「現在この水路は恋ヶ窪用水と呼ばれています。
そのほとんどが埋め立てられて昔の面影がなく、
ここも汚水が流れていましたが里山の自然を復元するため
昔の用水をイメージして整備されました」
それで・・・水はどこから来ているのですか??
分かりません。



気持ちの良い、清々しい水の流れが続いていました。
クレソンらしきものと、青色の小さい花が咲く草が水際に生えていました。



何の花でしょう。
見たことあるような無いような・・・・。



姿見の池がありました。



姿見の池を出てから、少し道に迷いましたが、ご近所の方に道を教えてもらい
国分寺までの道を行きました。
中央線の線路沿いに日立の研究所の外を通り、国分寺駅に向かいます。
野川の始まりは、日立の研究所の池や湧水なのだそうです。
が、公開されていないので入ることはできません。
春と秋の年2回一般に公開される日があるんだそうです。
が、何と秋の公開は4日前の日曜日だったのでした!!
(知らなかった~~~~)


国分寺の駅から再び、この前の最後の地点、不動橋に来ました。
ここから、お鷹の道をたどろうと思います。




不動橋の付近には鯉がたくさんいました。
大きな鯉も小さな鯉もいましたので、ここで繁殖してるんでしょうか。
大雨になっても大丈夫なんだろうか、と心配したり。



ここで、野川に流れ込んでいるこの水路が、お鷹の道からの用水路のようです。



不動橋の近くの山の崖のモミジが真っ赤になっていました。



お鷹の道は、不動橋を渡って右に行き、
静かな住宅地の道を道なりに行くとありました。
少し迷いました。
方向音痴になったものです。
途中に果物やら野菜やらを売っている店があり
買いたかったのですが、野菜を抱えて電車に乗る勇気がなくてやめました。

お鷹の道の入り口です。
よく整備された道でした。
古里大賞をもらったのだと書いてありました。



真姿の池の湧水。



蛍もいるのですね。
地域の方が大事にしてらっしゃるのでしょうね。







お鷹の道は、清らかな水の流れる、とてもすてきな小道でした。
再び、不動橋に戻り、さあこれから野川をたどるぞ!!
と思ったのですが・・・・・
ところが、道に迷ったりもしましたので意外に時間を取ってしまい
時間が遅くなってしまい、この日はこれ以上の探索を諦めて帰る事としました。


そして11月26日(水)晴

今日はどうしても野川を最後までたどり着きたいものです。


なんて言いながら、まずは国分寺駅から殿ヶ谷戸公園へ。
11月下旬と言うのに、まだ青いままのモミジもありました。
来ていた方達がまだ少し早いようねと驚いておられました。
都市の温暖化のせいでしょうか。



この殿ヶ谷戸公園の中に湧水があって、そこから水が野川に注いでいるそうで。
これが、その湧き水です。



殿ヶ谷戸公園を出て、再び、不動橋に行きました。
ここから始めます。
野川は住宅地の中を流れています。
川に沿っては道がありませんので、川を探しながら行きます。

もはや、一級河川と言うには???の感じです。
小さな流れになっています。
水は綺麗です。
流れも速いです。



普通のお宅の裏を流れて行きます。




曲がりくねっています。
川を見つけるのが少し難しいです。



そして、とうとう、野川が地下から流れ出る所まで来ました。
あのトンネルから水が出てきています。
中央線の線路を挟んで向こう側の日立の研究所から流れてきているのです。
これがたどれる最終地点です。
あとは、日立の研究所の庭が開放される来年の春まで待つのみです。



矢印の所が、上の写真のトンネルの出口がある所です。
左手の森が日立の研究所で、そこに野川の始まりとなる池と湧水群があります。



と言うわけで、やっと、やっと野川の源流探検は終わりました。
野川って、すごくステキな川でした。
長年にわたって綺麗な川を取り戻す努力をされたのですね。
私は田舎者で、失った経験がないので分かりませんが
東京の人たちが一度は失った綺麗な川を取り戻したいと言う気持ちを、
この川を遡る旅を通して感じました。
失った経験の無い田舎の者より、東京の人のほうがずっとずっと
自然を愛する心が強いのではないかと感じました。
やっぱり東京は興味深い所です。

野川探検4

2008-12-01 15:58:43 | 野川を歩く
11月18日(火)晴

野川探検も3日目になりました。
この日は、京王線の柴崎駅から歩き始めました。
柴崎駅から野川沿いの道まで出ました。

寄り道をして神代植物園に行ってみたいな~と思いました。
が、道が分からなくなってしまい、深大寺あたりで引き返すことにしました。
また、今度、ダンナと一緒にでも深大寺、神代植物園あたりを
ゆっくりと訪れてみようと思います。

とりあえず、深大寺の前あたりの鬼太郎茶屋です。
ここで目玉のおやじのお饅頭を買って食べて、
これから歩く鋭気を養ったのでした。



素朴な味の目玉のおやじ饅頭。
ふかしたてをいただいたのでした~~。




野川の上流に向かって今日も歩きます。

橋の上から下流を見た写真です。



野川はいつの間にか、野川公園に入っていました。
湧き水が出ているところもありました。




自然観察園との仕切りのフェンスに沿って、黄色と白の菊が咲いていました。
自生でしょうか、植えられているのでしょうか。
黄色の方の菊はアワコガネギクではないかと思います。



白い方の菊の花には、羽がぼろぼろの蝶がとまっていました。
ヒョウモンチョウの仲間だと思いますが分かりません。



のどかな景色が続きます。
野川公園と武蔵野公園は続いてありましたので
どこがどこだか分からなくなりましたが、とにかく、ここは公園内です。
整備されてから年月がたっているのでしょう、初めは作られた公園ぽかったかもしれませんが
今となってはごく自然な感じになっています。





武蔵野公園の「とんぼたんぼ」の近くです。
ここらへんは、最近に整備しなおされた様ですが
もうススキがこんなに生い茂っていているのですね。




「とんぼたんぼ」の向かい側の岸には
モミジが赤く紅葉していました。
あちらは広場になっているようでしたが、先を急ぎました。



何だか、郷愁を誘う、「いつか見た風景」ですね。
これが、作られた風景なのなら、凄いな~~と思います。
もしこれをデザインされた方がいるのなら親しみを感じます。
その方は私と同じ「いつか見た風景」を持っているんだなと思いました。

残されていた風景なら、やっぱり凄いな~と思います。
野川を愛し守ってきた人たちがいるんだなと感激します。



武蔵野公園を過ぎると、川の両岸に民家が立ち並ぶ風景に戻ります。
川の中にススキがたくさん生えています。




川沿いのお宅の庭にはきれいな菊の花が咲き、モンシロチョウも来ていました。
歩道はそういった小さな発見もあり飽きる事なく歩く事ができました。




途中、「湧水の道」なるものがあり、気を惹かれましたが
先を急ぎました。



この川沿いの歩道は、野川がある限り続くものと思っていましたが
そうではありませんでした・・・・
ある橋を堺に、この光景は消えてしまったのでした。

橋の下流側


橋の上流側


その橋が小金井市と国分寺市の堺となっており
国分寺市側の野川は三面コンクリートになっていたのです。
川沿いの歩道もぷっつりなくなりました・・・・
うろたえる私。
これから一体、どうしたら・・・・・・


とりあえず、住宅地を川を求めて歩きました。
何だか、私の住んでいる川崎市の小さい川みたいな感じになっています。



不動橋という所にたどり着き、今日の野川探検は終える事としました。
不動橋から国分寺の駅はすぐ近くです。



不動橋から上流を見る
心を残しながらも、この日は帰りました・・・・・・・
京王線柴崎駅からJR国分寺まで、この日は頑張って10キロくらい
歩いたでしょうか。