「研究所」とつくと、私的には最近はマイナスのイメージなのです。
「○○研究所」とはっきりと何を研究しているのか明記している研究所なら
警戒心もないが、「地名+研究所」あるいは「会社名+研究所」の場合
何か隠しているのかも?と疑ってしまう。
疑り深い性格の悪さでしょうか?
川崎市多摩区の明治大学の構内に「登戸研究所」はあります。
(登戸研究所跡なのですが)
登戸研究所って、何よ?何の研究所?って思いますよね。
登戸は地名です。
これは意図的に研究の目的をぼかしているのです。
隠していると言った方が良いでしょうか?
時代劇で言えば「卑怯者め、名をなのれ!」と言ったところでしょうか。
正式名称「第九陸軍技術研究所」は現在の明治大学生田キャンパスの中に
その遺構が残されています。
ここは、登戸研究所が長野に移転した後、豊島師範学校へと変わり、
そして戦後にはその跡地は明治大学に買われました。
そして、登戸研究所の建物はそのまま明治大学の研究室として使われていたのだそうです。
2010年3月に、旧登戸研究所の研究施設だった建物を保存・活用して
明治大学平和教育登戸研究所資料館が設立されました。
その資料館に見学に行ってきました。
さて、登戸研究所なるものが、いったい何だったのか、さっぱり知らなかった私には
その内容はあまりに暗く恐ろしく、戦時中の日本の狂気を感じさせるものでした。
風船爆弾。
TV番組などで聞いたことはありましたが、これが1000個以上もアメリカ本土に届き
山火事がおきたり、幼い子供が死んでいた事を知りました。
また、この風船爆弾は何と和紙とコンニャク糊で作られており、それが太平洋を越えて
爆弾を運んだとは驚きました。
もっと驚いたと言うより恐ろしさに震えたのは、当初はこの風船で飛ばそうとしていたのは
何と生物兵器、ウイルスだったとの事です。
遅効性毒薬・青酸ニトリルの開発にも成功していたとのこと。
それが、帝銀事件にも関係しているらしいこと。
知らない事ばかりでした。
また、ここで、偽札が作られていた事も初めて知りました。
作られていたのは中国の紙幣で、「本物の偽札」だったのです。
本物の偽札とは何?
本物の版を中国から日本に持ってきて、こっそり勝手に作っていたからです。
国家をあげて偽札作ってたなんて、何だか今のどこかの国の様です・・。
偽札を作っていた建物は、つい最近まで残っていたそうですが取り壊されてしまいました。
その土台は重い輪転機を置くようにコンクリートのしっかりした物だった事が
取り壊したことによってわかったそうです。
私的には、古いおどろおどろしい感じの建物が見たかったですが。
今は当時のままの建物は無く
トレンディドラマ(古っ)に出てくるような素敵な大学キャンパス
今風の若者が歩いていました。
お掃除のおじさんが綺麗に通路を掃いています。
何と平和で贅沢な学生さんたち。
一挙に現代に引き戻されます。
何の案内板もなく
学生会館前にポツンと残された当時の消火栓。
緑に囲まれた明治大学生田キャンパス正門
今は、ここがかつて陸軍の秘密の研究所があったとは思えません。