ゴミ拾いに挑戦してて、休み中だったけど再開しました

いつの間にか浜がゴミの山に。自分自身の健康のためにもゴミ拾いを始めました。引っ越し先から戻ってきてゴミ拾い再開しました。

浮島処理センター

2011-11-23 23:36:40 | 工場見学

川崎市の浮島処理センターに見学に行ってきました。
処理センターって何?
何を処理するの~?
ゴミ処理です。


浮島処理センターは浮島バスターミナルから10分ほどの所になります。

途中の空き地?にはこんな看板が。
ここにゴミ焼却場からでた焼却灰が埋められるという事なのでしょう。




メガソーラー展望スペースから見たメガソーラー
太陽光発電の施設です。
このメガソーラーの土地も最終処分場で、この下には焼却灰が埋まっています。
このメガソーラーの設置は期限付きだそうで・・えと・・何年だったか説明してくれたのですが
忘れました
撤去されやすい様な設置方法になっているとの事です。

そして、埋め立て廃棄物が雨水などにより外部環境にしみ出し水質汚濁の原因とならない様にするため、浸出水処理施設があります。
浸出水が水質汚濁の原因とならなくなるまで運転を続けるのだそうです。






ゴミ焼却施設の中も見学しました。
ゴミピットと呼ばれるこの施設の大きさは見ても実感できませんでした。
パンフレットを見てみると巾17m横59m深さ12.5m
12000㎥のゴミを貯めておくことができます。

毎日毎日、ここに川崎市のゴミは収集車で集められてくるんですね。


黄色のクレーンで焼却炉に運ばれます。




粗大ゴミの処理も見ることができました。
まだまだ使えそうな自転車や電気製品、家具などが、フォークリフトで壊されて行く様は
ちょっとした衝撃でした。
我々は簡単に大型電気製品や家具などを買い替えますが
その物達の「処分」される姿を見て反省しました。
物は大事に長く使ってやらなければ可哀そうだと思いました。





また、この人間の手で選別している所では
何重にも袋に入れてあるものは、袋を破る手間がかかって選別に困るという事を知りました。
私も品目毎に別けて袋に入れたものを、まとめてまた袋に入れていたりしていたので
気を付けようと思いました。





ゴミ問題を一口で言う事はできませんが
ゴミの山を見て感じるのは、やはり不安でしょう。
ゴミとはいったい何なのか
何が物をゴミにするのか
考えがぐるぐる頭の中を回ります。
人間は結局ゴミしか生産していないという事になるのでしょうか。
人間はゴミに埋もれて滅びる・・・事にならないようにしたいですね。

汚泥資源化センター

2011-11-22 20:32:09 | 工場見学
私は田舎に長く住んでいたので下水道というものについてよくは知りませんでした。
田舎では水洗トイレは浄化槽につながっていました。
その浄化槽で汚水をきれいにしてから流していました。
浄化槽は一年に一回くらいバキュームカーが来て汲み取りをしていました。
経費としては年一回の汲み取り料と年四回の点検料がかかりました。

※私の徳島の家は20年以上前に建てられたので合併浄化槽ではありません。
また、下水処理場もありません。
考えると怖いものがありますが、下水は直で海に流されています。


ここ川崎市では上下水道が完備されています。
上水料とほぼ同額の下水料がかかります。
高いなぁ~~と思っていました。
使った水の分だけ水を綺麗にするお金がかかるのだなと思っていました。
しかし、それだけでなく、上下水道代には、し尿処理代も含まれているのですね。
トイレで流した水がそのまま下水に流れて行き、下水処理場で処理され
そこで出た汚泥がさらに汚泥資源化センターで処理されているのですね。?

田舎だと自宅で合併浄化槽で行っている事が、都会では下水処理場と汚泥処理場で
行政サービスとして行われているのですね。
凄いな~~~と思います。




川崎市の市民企画講座で色んな工場や施設などに見学に行っています。
今回は横浜市の北部汚泥資源化センターに見学に行ってきました。



このでっかい卵みたいなものが、消化タンクと呼ばれるものです。
濃縮された汚泥を攪拌しています。
ここで汚泥の中の有機物を分解して汚泥を減量させます。
このタンクで発生した消化ガスを使って発電設備で発電も行われています。





消化タンクの中がどうなっているのか見られる模型です。
卵型が一番かくはんに適した形なのだそうです。
底の方は埋められていて安定されています。




消化タンクで減量された汚泥は脱水し乾燥機にかけられてから焼却されます。


よく分からなかったけど、多分焼却炉




水色の丸いものが汚泥濃縮漕
その向こうに見える白い丸いタンクは消化ガス貯留施設です。





この汚泥資源化センターの隣にあるのが
北部第二水再生センターです。
「水再生センター」と言うのは新しい名称で昔は「下水処理場」でした。
平成17年度に下水処理場から改名したのだそうです。
名称が変わっただけだけど・・・何となくクリーンなイメージが・・。


ところで、ウィキペディアによると
都道府県ごとの下水道普及率が東京都や神奈川県で95%以上であるのに対し、和歌山県と徳島県は10%台であるとの事。
徳島県では下水道よりも合併浄化槽による汚水の浄化の方が進んでいる様ですが
それを合わせての水汚水処理人口普及率でも徳島県は43%だそうです。
田舎の方が汚水を垂れ流しているのですね、ショック。

トイレットペーパーについて少し考えた

2011-11-10 21:30:58 | 工場見学
川崎市にあるトイレットペーパーを作る工場に見学に行ってきました。
その工場では古紙からトイレットペーパーを作っています。
その工程を見学させてもらいました。
工場内は写真撮影禁止でしたので、残念ながら写真はありません。


工場の外見だけ

緑のカーテンがありました。




川崎市ではミックスペーパーと言って、汚れた紙以外の紙は資源ゴミとして回収しています。
その回収された紙ゴミと一般の企業から出された書類などの紙ゴミで(有料で引き取るそうです)
この工場ではトイレットペーパーを作っています。
私でも知っている、よく近所のスーパーで見かける再生紙のトイレットペーパーでした。


運び込まれる紙はビニールや金具付のままでもOKです。
一般の企業から有料で引き取るものは、秘密保持の為に書類のファイルなどがそのまま
段ボール箱に入った状態で入れられて来ます。
それらの物は皆、一旦水につけられて溶かされます。
溶かされた紙からトイレットペーパーの製品になるには1日半から2日かかるそうです。
途中の行程で金属やビニール、プラスチックは取り除かれます。
取り除かれた金属類は、買い取ってくれる業者がいるそうです。
また、プラスチック類は、できた紙を乾かすドライヤーの役目をする機械を動かす燃料になります。
なので、入った原料は何も無駄にしないように工夫されています。

また、製紙業には大量の水が必要となります。
しかし、川崎の沿岸部には水がありませんでした。
それを中水(下水処理した水)を使う事でクリアしました。
ここで使われた中水は、ここの処理施設で再び処理して流されます。
処理施設から出る水の水質調査は随時川崎市にデータがいく様になっているとのことです。

そして、電気は、同じ工業団地内の製鉄工場の発電所から買っているので
今回の東京電力の計画停電には何の影響も受けることなく
24時間操業を続けられたのだそうです。

トイレットペーパーの原料ですが、先のミックスペーパーとオフィスゴミに加えて
牛乳パックを混ぜて作るのだそうです。
牛乳パックは三層になっています。
外側をフィルムに挟まれて、真ん中は上質な白い紙です。
その紙を混ぜる事で紙の質が良くなるのだそうです。
それを聞いて私は今まで牛乳パックの分別は気にしていなかったので、
これからはちゃんと分別しようと思いました。


この工場で作るトイレットペーパーの品質は一定に保つ事は難しいそうです。
その日に持ち込まれたミックスペーパーの内容によってその日ごとに変わってしまうのだそうです。
品質が悪くなりそうだと牛乳パックを混ぜる量を多くして調整しているそうです。
なので普通には気がつかないほどの違いだと思います。
私も再生紙のトイレットペーパー買っていますが前の物と紙質が違うなと感じた事はありません。

ちなみに東日本では6:4の比率でダブル、西日本では同じ比率でシングルが人気との事です。
地域によって好みがあるのですね。


トイレットペーパーについて考えた事

一度使ったら再生できないトイレットペーパーを作るために
新しいパルプが使われるのは勿体ない。
トイレットペーパーの質がどのこうの肌触りがどうのこうのと
高級品のトイレットペーパーを使っている国はどのくらいあるのだろう。
それって傲慢な事ではないのかなと感じました。
世界的に見れば、トイレで紙を使っている国は少ないとのことでした。
考えてみれば、昔は貴重品だった紙を、誰がいつの時代からトイレで使い出したのだろう?

最初のウォシュレットが出た時、温水で洗って温風で乾かすようになっていました。
それだと紙を使わないですむわけです。
けれど日本人はせっかちなのか、不安なのか、紙を使わずに用を済ませる人は少ない様でした。
私もこの度の大震災の影響で、トイレットペーパーやティッシュが店頭から消えたとき
トイレットペーパーやティッシュがなければ生きていけない!!くらいに感じてしまっていました。
紙を使う事に慣らされている国に住んでいるってことですね。

アライグマがいた・・・・

2011-11-10 21:29:42 | Weblog

11月5日
夜9時半頃、駅から家に向かう道に猫がいました・・・
と思いましたが、どうやらアライグマの様なのです。

矢印の先にアライグマのしっぽが見えます。
暗かったので、これしか写せませんでした。



ペットとして輸入されたものが飼いきれなくなって捨てられたアライグマが
増えているとは聞きましたが、
ご近所さんにもいるとわかって驚きです。
アライグマはその可愛らしさからは想像できないですが、なかなかの獰猛な動物の様です。
特定外来生物にも指定されています。


大山街道を歩く ② 用賀から鷺沼

2011-11-10 21:26:24 | 大山街道

「大山街道を歩く」の2回目が10月25日ありました。

先日、永田町から用賀まで歩いたばかり・・と思ったのに、もう一か月がたったのですね。

この日は用賀から鷺沼まで歩きました。 用賀を9時半に出発しました。良いお天気でした。

大山街道②

 

 

 田園都市線用賀駅を元気に出発。風があって冷たい。

 用賀駅前から都道427号線を瀬田交差点方面に歩きます。   

      

 延命地蔵さん     

今では珍しくなったお風呂屋さんがここにも。

瀬田交差点から脇道に入ります。住宅地の中の道を行きます。

 ここで、宅急便の自転車を初見。自転車で配達しているのを見たのは初めてです。

 都内では普通なのでしょうか?

 

やがて、行善寺に着きます。

行善寺は崖線の上にあります。寺の裏側にまわると、開けて見晴らしの良い場所があります。

遠くに大山が見えます。

私たちはこれから大山まで歩こうとしています。まだまだ、あんなに遠いのですね。

 

 

行善寺から崖線の坂道を下ります。坂の途中に法徳寺に上る行灯坂の上り口が見えました。

 

 

坂を下りると、丸子川にかかる小さな橋、調布橋があります。

橋を渡って左に進むと大山街道の道標があります。 

     

道標のある所から右に脇道に入ります。

住宅地の細い道を抜けると、いきなり二子玉川駅の東口側の再開発されて

すっかり綺麗になったバス停あたりに出ました。

あら~~~~・・・都会

 

 

バス停のある広場を抜けて多摩川堤通りを渡ります。そこは正に多摩川堤でした。 

昔の堤防です。

堤防が切れている所があって、そこから川側にあった屋形船の店や料亭などに行っていたそうです。

 昔、二子玉川は郊外にあるちょっとした人気の観光地でどうしても川が見える風景が料亭には必要で堤防で遮ることを反対たのだそうです。

結果、船宿や料亭は堤防の外側になったのだそうです。 

それで、その通り道がおの切通しなのだそうです。

 

 

 

突き当りまで進み、右に曲がってすぐの所に二子の渡しの小さな碑があります。       

言われないと見過ごしてしまいそうな何気なさです。

 

ここから兵庫島に向かい、しばし休憩。

この二子橋ができたのは大正14年思いのほか古い橋だったのですね。 

しかし昔の橋のままではなく補強工事がなされています。 

橋げたの数が多いのが特徴だそうです。

  

 

二子橋を渡って神奈川県に入ります。いよいよ地元です。

二子新地から溝の口までの大山街道は歩道のない二車線の道路で交通量も少なくはないので注意しながら歩きました。

田中屋呉服店、稲毛屋金物店など、昔風の建物が何軒か残っていて宿場町らしさも偲ばれます。

 昔からの薬屋。灰吹屋です。

 

大山街道ふるさと館でお昼休みとなりました。

まだ半分ほど行程が残っています。午後からも頑張って歩きます。

溝の口神社と夫婦銀杏

 

 

溝の口駅近くのJRの踏切近くにある片町の庚申塔                                                                                                       左はねじもり坂。 

溝の口は多摩川から続く平地ですがここから丘陵地帯になります。                                                                                                 

  

子育て地蔵さん

 

宮崎の大塚

墳墓なのか何なのか何時の時代の物なのかも分かっていない塚

                                 

宮崎の大塚から再び大きな通りに戻ります。

ここから坂道を下りますが、坂の上からは大山が見えました。     

 

 

このへんで、もう疲れてきました~~。

最初は頑張って張り切って写真とか撮っていましたがついて歩くだけでもシンドイです。

ここから坂を下りると宮前平駅に出ました。 

宮前平駅から再び小台坂を上ると鷺沼です。 

坂を上ったり下りたりです。

 鷺沼駅前で解散となりました。10キロ程の行程でしたが坂があったので疲れました。                                              

次回は鷺沼駅から青葉台駅までです。  


静岡に行く

2011-11-02 22:41:05 | Weblog
10月22日
主人と静岡に一泊で行ってきました。
静岡に大事な用事があったのですが、そのついでに静岡で働いている息子と会いました。
22日、23日ともに、天気予報は大雨。
低気圧の北上に伴って南から湿った空気が入り込んで・・・何たらかんたら、とりあえず大雨にあるだろうとの事でした。

朝起きてみると、やっぱりと言うべきか、当然と言うべきか、天気予報ははずれもせず
雨が降っていたのでした。
まあ、私、雨女ですから。


東名高速道路を走ると、時おり、ワイパーも間に合わないほどに激しい雨が降ったりします。
かと思うと、晴れ間が覗いたり。


私の当初の計画としては、静岡と言えば
そりゃ、あ~た、登呂遺跡でしょう!!
と思っていたのですが、生憎の雨(それも時々豪雨)では・・・・

とりあえず屋根のある所だね~
という事で、焼津のさかなセンターに行くことに。

大きな市場でした~~。
新鮮な魚介類がたくさんでした。
あれもこっれも買いたいものばかりでしたが、次の日に帰るまで鮮度が保てないので
諦めざるをえません~~、残念。

さかなセンターの中の店で海鮮丼を食べました。
美味しかった~~~
食べた後で気が付いたけど、写真撮っとけば良かった。






次の日の天気予報も朝から雨との事でしたが
あさ、起きてみると、雨がやんでいました。
やった~~!!

さっそく駿府城に行ってみることに。
駿府城って「駿府城址」なのですね。
そんな事も知らなかった。
もうお城はないのですね。


向こうに見える山の方にまだ怪しい雲がかかっていますが
これからは天気が回復していく感じがしています。







お城の石垣は修復中でした。
はずされた石垣の石の一個一個に番号が付けられています。
この順番通りに石は積み直されるのですね。






駿府城の家康像





雨上がりのせいなのは分かっていますが
家康が泣いています。
家康さん、今の日本を見て嘆いているのでしょうか。






家康お手植えのみかんの木
のみかんは小ぶりでした。
みかんは思ったより昔から栽培されていたのですね。




JR静岡駅前の家康像

う~~ん。
家康と言うと、なんか・・・小太りのおじいさん的なイメージがあるのでしょうか。
本当にこんな感じの人だったのでしょうか。
しかし、あっちにも家康、こっちにも家康。
静岡は家康の街なのですね。






東名高速の足柄パーキングエリア
最後になって、やっと富士山が見えました~~。
静岡に行っても富士山が見えたのはこの時だけでした~~。