大学の認可が下りなくて、2つの短大と一つの大学の新学科設置が見送られた。
さて昔知り合いの大学の学科長なのだが、新学部設置が文科省の審議会で決まったとき、おめでとうございますと声をかけた。すると全く予想していない答えが返って来た。「いやこれからですよ。国はいつひっくり返すから解らないですから」。事務方のお偉いさんに聞いた所、やっぱり同じ反応だった。「いやまだまだです。許可が来てからが本番です」ものすごく慎重だったのが記憶にある。設置許可がおりてからパンフレットを作ったりしていた。
さて今回の件だが、田中眞紀子文部科学省大臣な事もあり話題になっている。確かに大学審議会の権威と言うものもあるが、設置許可のはんこは大臣がもっている。大臣が審議会より上の立場ではない。なので田中文科大臣を非難する意見もあるが、実際大臣の意見が反映しない政治システムと言うのもおかしい話しだ。田中文科大臣は「量より質の教育」と言っているが、全く正しい。
その上で、審議委員会の設置を認めた時点からかなり状況が変わって来ている。まず堀越学園への解散命令がでる見通しとか、新設の大学がたった2年で定員割れして入学者募集停止に追い込まれたとか、新設にはかなりハードルが上がる状態になっている。
さて短大から4年制大学へ移行する例が多いのが、最近の傾向だ。これは少子化なのだが大学の定員が増えて、短大の地位が少なくなった事。そして就職も厳しく4年制でないとなかなか希望する企業には採用されないし、4年制でも厳しい。なお高校卒の就職だが、実はかなり厳しい。それほどまでに大卒や短大卒が多いのだ。とはいってもどの世界でも優秀な人間は学歴に関わらず引っ張りだこだ。だが元々そういった人間は少ない。
短大は資格が取れるとかそういったウリもあるが、1年単位の専門学校にそのお株を奪われつつある。その上短大のカリキュラムはかなりキツイ。これが知られてしまっている。なので高校生は短大より4大を目指すし、そうでない場合は専門学校の方が実利的だと考える。実際短大はかなり潰れている。
これに対応しようと短大から4大への衣替えが進んでいたのだが、ここに来て悪い条件ばかり揃って来た。
まず4大の定員割れだ。場合によると入学試験者数が定員を下回るとかがおきている。以前岩手大学と福島大学の受験者を比較したが、定員に対する受験者の数が、1.5倍で健全で、1.3を切れば定員割れの可能性が出てくる。地方国立でもかなり危険な数字がならんでいる。地方私学であればかなり厳しいだろう。この状況で、各大学は特色のある大学運営を求められており、更に財政のバランスの安定性や、ブランディングが求められている。だがそれもなかなかうまくいかない。ましてや学生のニーズにあった教育というワケワカラン所になれば試行錯誤だ。
田中文科大臣は「量より質の教育」というのは、ウラには「キャラ立っていないと今後難しいですよ」と言う意味でもある。実際私の経験でも、その大学はキャラの立て方の努力が凄いのだ。
今回最悪な状況になったのは、民主党のせいではない。ついに文科省が大学助成金の増大に音をあげたのだ。
ここには財務省との戦いがある。文科省としては以前からある義務教育の少人数学級制への移行を検討して来た。これは教員数を増やす事になるので財務省が嫌がって来た経緯がある。しかし文科省としては現場や各教育委員会からの突き上げがあり、これは絶対取り下げられない問題だ。その上財政上の問題から予算を下げる方向で来ている。旧国立大学で現在独立法人に対して、今年人件費の値下げを指示した。立場上違う組織なので、国が値下げを指示する事は出来ないのだが。そこを超えたと言う事だ。
今年も文科省vs財務省の戦いでは、財務省が驚くべき爆弾を投げて来た。「経済学等の手法で研究されたデーターだと、少人数学級って逆に本当に優秀な人材は育たないんじゃないの?」だ。つまりある一定以上の人数がいないと、学級内で競争が緩和されて、確かに出来ない子のボトムアップになるが、優秀な子の学力向上には役に立たないという話しだ。そしてだが、文科省は実際この件を検討していないように感じる。実際は田舎では少子化により、その文科省のいう定員40名以下の状態になっている学校がかなり見られる。それでその田舎の子たちの大学進学率や旧帝大進学率が向上していると言う話しは聞かない。地方都市でも周辺では、一学年60人の場合は2学級にしている場合がある。この場合の落ちこぼれ率とかの、対費用効果は聞いた事が無い。
そこを突かれてしまった。
その上で、大きな小学校では副担任制をとっている。実質的に少人数制に移行しているのだ。更に大学から教育志望の学生を対象に授業の補助とか、そういった事業も行われている。実は少人数学級制は予算請求が厳しいのだ。
もしも文科省が独自で少人数学級を行おうとすれば、他の予算を削らなければならない。また財務省に対して努力している所を見せなければいけない。現在の財務状況はそういった具合だ。この流れでこうなっていると思う。多分田中眞紀子だろうが誰であろうが、この判断をしただろう。
今後どうなるのかと言えば、今回の件では札幌の看護学科か認可されるだろう。社会ニーズが大きいからだ。あとは厳しいと思う。秋田の件は、独立行政法人秋田大学に吸収してもらうとか(たぶんこういった所を検討していなかった所が突かれたと思う。なにしろ出来る大学が美大ですから投資効率を疑われても仕方がありません)そういった方向性もあるのではないのかと思います。
財政上から私学助成金の今後のふくらみを阻止していというのがここ数年見えていたのは間違いない。だがそれを考えていなかった3校はイマイチに思える。もちろんイロイロあったのだろうが、時間切れだろう。もはやそんな余裕も無い。
何しろ文科省は、高度産業を担う人材育成を目指して、博士号課程を大学にいっぱい設置したが、そこから輩出された博士たちの職にあぶれる事。酷いレベルだ。こういった事人材の受け入れで大学設置は進んで来たが、今後は難しくなるだろう。
完璧に教育システムが歴史的にいかに翻弄され今日に至っているのか、そういったことがかいま見れる話しだ。
教育と言うのは一本筋が通っていなければいけない。これが出来なかったと言う事が問題なのだ。未だかつて情操教育は学校が行うべきか、そんなレベルだ。そういって低レベルの話しが教育を分け解らなくさせている。
田中眞紀子大臣は、悪くない。悪いのは、審議会で通って浮かれた人たちだ。
PS
審議会が年内にも新しく再編され、この3校もそれに従って審議されるようだ。事実上の撤回となりそうだ。これはこれで正しいと思う。
さて昔知り合いの大学の学科長なのだが、新学部設置が文科省の審議会で決まったとき、おめでとうございますと声をかけた。すると全く予想していない答えが返って来た。「いやこれからですよ。国はいつひっくり返すから解らないですから」。事務方のお偉いさんに聞いた所、やっぱり同じ反応だった。「いやまだまだです。許可が来てからが本番です」ものすごく慎重だったのが記憶にある。設置許可がおりてからパンフレットを作ったりしていた。
さて今回の件だが、田中眞紀子文部科学省大臣な事もあり話題になっている。確かに大学審議会の権威と言うものもあるが、設置許可のはんこは大臣がもっている。大臣が審議会より上の立場ではない。なので田中文科大臣を非難する意見もあるが、実際大臣の意見が反映しない政治システムと言うのもおかしい話しだ。田中文科大臣は「量より質の教育」と言っているが、全く正しい。
その上で、審議委員会の設置を認めた時点からかなり状況が変わって来ている。まず堀越学園への解散命令がでる見通しとか、新設の大学がたった2年で定員割れして入学者募集停止に追い込まれたとか、新設にはかなりハードルが上がる状態になっている。
さて短大から4年制大学へ移行する例が多いのが、最近の傾向だ。これは少子化なのだが大学の定員が増えて、短大の地位が少なくなった事。そして就職も厳しく4年制でないとなかなか希望する企業には採用されないし、4年制でも厳しい。なお高校卒の就職だが、実はかなり厳しい。それほどまでに大卒や短大卒が多いのだ。とはいってもどの世界でも優秀な人間は学歴に関わらず引っ張りだこだ。だが元々そういった人間は少ない。
短大は資格が取れるとかそういったウリもあるが、1年単位の専門学校にそのお株を奪われつつある。その上短大のカリキュラムはかなりキツイ。これが知られてしまっている。なので高校生は短大より4大を目指すし、そうでない場合は専門学校の方が実利的だと考える。実際短大はかなり潰れている。
これに対応しようと短大から4大への衣替えが進んでいたのだが、ここに来て悪い条件ばかり揃って来た。
まず4大の定員割れだ。場合によると入学試験者数が定員を下回るとかがおきている。以前岩手大学と福島大学の受験者を比較したが、定員に対する受験者の数が、1.5倍で健全で、1.3を切れば定員割れの可能性が出てくる。地方国立でもかなり危険な数字がならんでいる。地方私学であればかなり厳しいだろう。この状況で、各大学は特色のある大学運営を求められており、更に財政のバランスの安定性や、ブランディングが求められている。だがそれもなかなかうまくいかない。ましてや学生のニーズにあった教育というワケワカラン所になれば試行錯誤だ。
田中文科大臣は「量より質の教育」というのは、ウラには「キャラ立っていないと今後難しいですよ」と言う意味でもある。実際私の経験でも、その大学はキャラの立て方の努力が凄いのだ。
今回最悪な状況になったのは、民主党のせいではない。ついに文科省が大学助成金の増大に音をあげたのだ。
ここには財務省との戦いがある。文科省としては以前からある義務教育の少人数学級制への移行を検討して来た。これは教員数を増やす事になるので財務省が嫌がって来た経緯がある。しかし文科省としては現場や各教育委員会からの突き上げがあり、これは絶対取り下げられない問題だ。その上財政上の問題から予算を下げる方向で来ている。旧国立大学で現在独立法人に対して、今年人件費の値下げを指示した。立場上違う組織なので、国が値下げを指示する事は出来ないのだが。そこを超えたと言う事だ。
今年も文科省vs財務省の戦いでは、財務省が驚くべき爆弾を投げて来た。「経済学等の手法で研究されたデーターだと、少人数学級って逆に本当に優秀な人材は育たないんじゃないの?」だ。つまりある一定以上の人数がいないと、学級内で競争が緩和されて、確かに出来ない子のボトムアップになるが、優秀な子の学力向上には役に立たないという話しだ。そしてだが、文科省は実際この件を検討していないように感じる。実際は田舎では少子化により、その文科省のいう定員40名以下の状態になっている学校がかなり見られる。それでその田舎の子たちの大学進学率や旧帝大進学率が向上していると言う話しは聞かない。地方都市でも周辺では、一学年60人の場合は2学級にしている場合がある。この場合の落ちこぼれ率とかの、対費用効果は聞いた事が無い。
そこを突かれてしまった。
その上で、大きな小学校では副担任制をとっている。実質的に少人数制に移行しているのだ。更に大学から教育志望の学生を対象に授業の補助とか、そういった事業も行われている。実は少人数学級制は予算請求が厳しいのだ。
もしも文科省が独自で少人数学級を行おうとすれば、他の予算を削らなければならない。また財務省に対して努力している所を見せなければいけない。現在の財務状況はそういった具合だ。この流れでこうなっていると思う。多分田中眞紀子だろうが誰であろうが、この判断をしただろう。
今後どうなるのかと言えば、今回の件では札幌の看護学科か認可されるだろう。社会ニーズが大きいからだ。あとは厳しいと思う。秋田の件は、独立行政法人秋田大学に吸収してもらうとか(たぶんこういった所を検討していなかった所が突かれたと思う。なにしろ出来る大学が美大ですから投資効率を疑われても仕方がありません)そういった方向性もあるのではないのかと思います。
財政上から私学助成金の今後のふくらみを阻止していというのがここ数年見えていたのは間違いない。だがそれを考えていなかった3校はイマイチに思える。もちろんイロイロあったのだろうが、時間切れだろう。もはやそんな余裕も無い。
何しろ文科省は、高度産業を担う人材育成を目指して、博士号課程を大学にいっぱい設置したが、そこから輩出された博士たちの職にあぶれる事。酷いレベルだ。こういった事人材の受け入れで大学設置は進んで来たが、今後は難しくなるだろう。
完璧に教育システムが歴史的にいかに翻弄され今日に至っているのか、そういったことがかいま見れる話しだ。
教育と言うのは一本筋が通っていなければいけない。これが出来なかったと言う事が問題なのだ。未だかつて情操教育は学校が行うべきか、そんなレベルだ。そういって低レベルの話しが教育を分け解らなくさせている。
田中眞紀子大臣は、悪くない。悪いのは、審議会で通って浮かれた人たちだ。
PS
審議会が年内にも新しく再編され、この3校もそれに従って審議されるようだ。事実上の撤回となりそうだ。これはこれで正しいと思う。