この項は基本的に行き当たりばったり書いている。なのでどうもうまくいかなくなる。
さてカメラマンをやっていると、基本的に被写体は選べられない。だがそれをどうするのかと言う方向だけはある。
テーマだ。例えば食品の写真は基本「おいしそう」でなければいけない。あとはその商店の属性で決まる。安いんだけど豪華とか、ひたすら上品にとかになる。
ただそれでも基本のライティングは決まっている。なぜか?普段とあんまり違和感がないようにするためだ。その中でイロイロなテクニックがある。
実は被写体を見つけましょうと言う事は、テーマを見つけましょうと言う事だ。被写体を見失うと言うのは、テーマが粉砕されたり、腐ったりと言うのが本当の所だ。たまに衝撃的な事件があって、発表できないとかそうゆうのもあるかもしれない。ちょっと名前を忘れたが、戦場カメラマンでイラクの死産児たちを撮った写真があったが、このところ見ない。出ても良さそうなのだが、出ていないと言う事は福島の事故のせいだろう。
最も重要なテーマは、自分と「なんとか」になる。例えば自分と「彼女」とかだ。被写体は「彼女」だが、実は撮影している自分との関係性を撮影しているのに気がつかないと、まずアウト。写真の私と、今の私とどちらがいいのとなる。それこそ被写体を見失うどころか、失いかねない。
最高のお手本がある。荒木経惟の「センチメンタルな旅」だ。エロ部分はともかくとして、夢中になっている自分と彼女の関係を、冷静に見つめていながら、やっぱり愛していると言い放つ作品だ。
関係性、このバランスが難しい。
とはいえ写真には客観性がある。この客観性を全面に出せば多少はこのバランス問題から抜け出す事が出来る。例えば建築写真とか、歴史資料の写真とかがある。これらは技術的な問題が多すぎる。だからプロが呼ばれる。建築写真なんてある意味技術さえあれば誰でも出来る。なにしろ建築物の個性がこの位置から撮れと言ってくるのだから。難しい所は少ない。ただ引きが無いとかそういった物理的な問題が多き過ぎるだけだ。
ここからが更に難しい事になる。
昔、あるカメラマンが複写の仕事でも気合いが必要だ、とのたまわっていた。どうゆう事なのだろうか。左右から同じ量の光を均等に当てて、調整して撮影すればいい話しだ。それ用のスタンドもあるしレンズ等もそれ用のを使えば問題が無い。ただ単に、紙からフィルムに移すだけの作業だ。
友人が実験をした。ものを用意して、同じ光源で、ものは移動せずさわらせず、カメラを三脚に固定してレリーズを付けて、何人かの美大の学生に撮影してもらった。その写真を現像してプリントして、バラバラな状態で皆に見せたら、自分の撮影した写真がどれかを言い当てたそうだ。
つまり複写でも、関係性は写り込む、ということだ。気合いも目に見えてしまうようだ。
カメラマンのハイテンションと言うのは、実際そういった所にあると思う。モチベーションの低い状態では、低いレベルの仕事になりがちだと解っている。かといって長期間のスパンの撮影だとハイテンションはおろか、モチベーションのコントロールも難しくなる。またお祭りのように短期間の仕事はハイテンションがいいが、長くなるとそれでは互いに疲れてしまう。こういった問題はある。
さて、被写体をどうしようと思ったら、やっぱり人です。これは最強です。
人は人に反応します。これは可愛いとか美人とかイケメンと言うだけではありません。人であればだれもがその写真に反応します。これは人の直接的な本能です。なので人を撮れば大体は間違いがありません。子供と言うのは更に強です。
とはいっても、人が今一番撮影が難しい被写体です。肖像権のあの拡大っぷりがどうしようもありません。
さてカメラマンをやっていると、基本的に被写体は選べられない。だがそれをどうするのかと言う方向だけはある。
テーマだ。例えば食品の写真は基本「おいしそう」でなければいけない。あとはその商店の属性で決まる。安いんだけど豪華とか、ひたすら上品にとかになる。
ただそれでも基本のライティングは決まっている。なぜか?普段とあんまり違和感がないようにするためだ。その中でイロイロなテクニックがある。
実は被写体を見つけましょうと言う事は、テーマを見つけましょうと言う事だ。被写体を見失うと言うのは、テーマが粉砕されたり、腐ったりと言うのが本当の所だ。たまに衝撃的な事件があって、発表できないとかそうゆうのもあるかもしれない。ちょっと名前を忘れたが、戦場カメラマンでイラクの死産児たちを撮った写真があったが、このところ見ない。出ても良さそうなのだが、出ていないと言う事は福島の事故のせいだろう。
最も重要なテーマは、自分と「なんとか」になる。例えば自分と「彼女」とかだ。被写体は「彼女」だが、実は撮影している自分との関係性を撮影しているのに気がつかないと、まずアウト。写真の私と、今の私とどちらがいいのとなる。それこそ被写体を見失うどころか、失いかねない。
最高のお手本がある。荒木経惟の「センチメンタルな旅」だ。エロ部分はともかくとして、夢中になっている自分と彼女の関係を、冷静に見つめていながら、やっぱり愛していると言い放つ作品だ。
関係性、このバランスが難しい。
とはいえ写真には客観性がある。この客観性を全面に出せば多少はこのバランス問題から抜け出す事が出来る。例えば建築写真とか、歴史資料の写真とかがある。これらは技術的な問題が多すぎる。だからプロが呼ばれる。建築写真なんてある意味技術さえあれば誰でも出来る。なにしろ建築物の個性がこの位置から撮れと言ってくるのだから。難しい所は少ない。ただ引きが無いとかそういった物理的な問題が多き過ぎるだけだ。
ここからが更に難しい事になる。
昔、あるカメラマンが複写の仕事でも気合いが必要だ、とのたまわっていた。どうゆう事なのだろうか。左右から同じ量の光を均等に当てて、調整して撮影すればいい話しだ。それ用のスタンドもあるしレンズ等もそれ用のを使えば問題が無い。ただ単に、紙からフィルムに移すだけの作業だ。
友人が実験をした。ものを用意して、同じ光源で、ものは移動せずさわらせず、カメラを三脚に固定してレリーズを付けて、何人かの美大の学生に撮影してもらった。その写真を現像してプリントして、バラバラな状態で皆に見せたら、自分の撮影した写真がどれかを言い当てたそうだ。
つまり複写でも、関係性は写り込む、ということだ。気合いも目に見えてしまうようだ。
カメラマンのハイテンションと言うのは、実際そういった所にあると思う。モチベーションの低い状態では、低いレベルの仕事になりがちだと解っている。かといって長期間のスパンの撮影だとハイテンションはおろか、モチベーションのコントロールも難しくなる。またお祭りのように短期間の仕事はハイテンションがいいが、長くなるとそれでは互いに疲れてしまう。こういった問題はある。
さて、被写体をどうしようと思ったら、やっぱり人です。これは最強です。
人は人に反応します。これは可愛いとか美人とかイケメンと言うだけではありません。人であればだれもがその写真に反応します。これは人の直接的な本能です。なので人を撮れば大体は間違いがありません。子供と言うのは更に強です。
とはいっても、人が今一番撮影が難しい被写体です。肖像権のあの拡大っぷりがどうしようもありません。