どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

体罰

2013-01-11 04:11:29 | インポート
先のバスケット部の体罰問題で、自殺されたキャプテンに、ご冥福申し上げます。


私自身は、体罰容認派だ。スポーツ教育で体罰はあり得ると考えている。

ただ今回の場合、多分誰も解らないと思う。私も解らない。
なぜ彼が殴られ続けたかだ。そしてだが、もしかすると殴られる理由が見つからずに自殺してしまったのではないのだろうか。

体罰容認派だが、一つだけはっきり解っている事がある。体罰を受けるような事を、例えば試合中とか練習中とかしてしまった場合には、あった方がいい場合がある。それを本人が自覚している場合に限る。
特に、自覚しているのだが他者のせいにしている場合には有効だと思う。

だが体罰怖さで、努力すると言うのも本末転倒だ。一つだけ解っているのは、人は自信をもってのびのびと動いた方が成功しやすいと言う事だ。

それではのびのびとさせて、才能を開花できる人がどの程度いるのかだ。
まずいない。スポーツに関して確実にいえる事は、自己コントロール能力に長けていないと、のびのびとした環境では怠けやすいのです。正直な所、自己コントロール能力に目覚めさせるための、イニシエーションとしての体罰はあり得ると思います。

少し不思議だと考えてもらいたいのが、団体競技と個人競技の話しです。個人競技での体罰問題は少ないです。なぜなのでしょうか。
理由は簡単です。指導者が、選手を見捨てる事が簡単だからです。やる気のない奴は来るな!そういった論法が使えます。また選手もある意味一国一城の主です。監督と個性のぶつかり合いとか、イロイロあるのですが最終的には自己責任です。

体罰問題が大きいのは、ほとんど団体競技です。実はこの辺りに本当の問題が隠れていると思います。
実は団体競技では、指導法やメソッドがイマイチ確立されていないのか、体罰問題が散見されます。個人競技だと思われている柔道も、団体戦があると言う意味では団体競技です。事故率の高いラグビーは、団体競技、その緊密な連携と個人の奉仕、まず一致します。奉仕度が高いと事故率が上がるのではないのかと。


さて初めに体罰は容認されると言いましたが、実際は厄介です。効果的かどうかです。おまけに受けた人が納得できるかです。効果がなければ意味のない事を理解できなかった、という意味であの監督は道を踏み外したのでしょう。

いまの所の報道での情報での、とのが続く言い訳ですが、もしかすると監督は相当選手たちから嫌われていたのではないのかと思います。これは著名監督のジレンマです。強いチームを作り上げて常勝になってくると、部員数が増えすぎるのです。これはなぜかと言えば、強いチームにはメソッドがあり自分が伸びる可能性があると期待している子供が入学してくるからです。自分を伸す可能性のあるチームに所属したがる、と言う事です。
ただ現実的には、監督が細かく見れるのは50人以下、25人程度でしょうか。コーチがいてとかそういった組織は高校では相当難しいと思います。

正直な所、こういった悲劇を止めるためには、高校スポーツの抜本的改革が必要と思います。

幸いに日本には、Jリーグのクラブ制があります。またスポーツ少年団の組織もあります。ただこれが中学校とか高校になると突然学校対抗のとかになってしまいます。しかしここに矛盾があるのは確かです。

教育機関がサービスでやっている、部活動は本質的に問題なのです。



PS


実は本質的に謎なのは、体罰が常習化している部活動では全国を狙うようにはならないはずだ、と指摘します。恐怖管理で萎縮した状態で、詰め込まれるようにトレーニングして来たとしても、試合では結果が出せなくなったりします。更に萎縮するからです。

本質的に体罰にはいい所がありません。あるとすれば気付きの切っ掛けを作ると言う作業です。体罰を受ける事で深く反省するとか、そういった効果はない訳ではありません。本人が納得できるものだったら、効果があると言うのはそうゆう事です。

チーム全体に暴力を振りかざすと、最悪そうなります。なので見せしめにキャプテンを体罰対称にしたのでしょうが、キャプテンは常に納得していなかった、と言う事になるのでしょうか。

しかし見せしめであったとしても、常に暴力があるチームではチームの状態が壊れてしまいます。監督に対する不信とかも募りますが、殴られているキャプテンを見ながら、弛緩してゆくチームがあったのではないのでしょうか。

実はこの監督に対して、OBなどから存続の嘆願書の署名運動が始まっているようです。
これはなぜなのでしょうか。慕っている人が多いと言う事です。なぜ殴られても慕っているのかは、私には解りません。ただ、なにかがズレてしまった結果、この監督の暴力が悲劇へと結びついたのでしょう。


まったくの予断ですが、チームになにか決定的な隙間が出来てしまった。その際に新キャプテンになった彼の前には、同じスキームでくる監督しかいなかった。多分中間管理職のあの悲哀を、受けてしまったのかもしれない。

監督にその状況を報告しても、多分言葉が足らない。いや10代体育会系でプレゼン出来るのかと言う事だ。そんな能力があれば、自殺なぞしていない。
2軍落ちを平気で受ける。頭冷やしますとかいって。

そう出来ないのが、高校生だ。プライドもあるし自身の可能性の問題もある。


しかしだ、同じ高校でバレーボール部がやっぱり顧問の体罰事件があったり、正直な所顧問を切ってどうのこうのと言う話しではないと思う。

高校スポーツは甲子園や花園を含み、解体されるべきだ。