どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

三陸鉄道直行便で田老に行く3

2014-08-16 15:40:27 | インポート
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さてようやく駅のホームからの風景です。最初のインパクトも大切なのですが、なぜか私には嘘くさく感じて、下をさまよって来たわけです。たった30分ですがそれでも少し違います。




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さてホームにはいっぱい人がいます。何でしょうか。実はバスツアーの合間に来たようです。これもホームに立った時の違和感の一つでしたね。

お客さん、黄色い線より前に出ちゃぁ、ダメだよ。





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あの先の岩を、津波が乗り越えたわけだ。



この雨の中自転車で旅行ですか。オツカレサマです。



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Kenji号、5分ほど遅れて入線です。防潮堤バックにいれました。



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この車両は展望シート付きの車両と、このおおきなコンパートメントといった感じの部屋が二つ着いた車両が着いてます。変わった車両です。30年くらい前からあるようです。



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宮古駅で、通常車両とナイスミーツ。




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宮古駅の大漁旗です。サケが何とも言えない味を出しています。




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さて悲報です。列車の運休が決定しました。12時から14時の間に区界で46ミリ、盛岡で39ミリのドシャぶりです。東北本線も止まったようです。



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これから八戸に向かうバイカーです。心が折れそうだと言っていました。




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これから大槌に向かうサイクリストです。がんばってください。



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確かに停滞前線上に低気圧が発達しながら近づいていました。とはいえここまで大雨になるとは思ってみなかった。



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お盆なので代替運送のバスの運転手が見つからないと言うハプニングが起きています。もうどうでもいいと開き直って盛岡ー宮古の106急行バスに乗る人も現れてきました。

そして代替のバスも来るのですが、一台づつしか手配できません。




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先頭の展望車両です。運転手に話しかけているのは乗り鉄です。これをチャンスに運転手と会話を楽しんでいます。とはいってもこの方、ちょっと特殊能力の持ち主です。ほぼ誰とでも仲良くなれるのです。列車の中でも、こうして待ち合わせの駅でも、バスの中でも、そうバスの中ではフツーのおじいさん(東北人だ!)とずっと話をしていました。ちょっと面白い関西人だからと言うわけでは無さそうです。製薬会社のMRとか、酒造メーカーの営業さんでしょうか。実は物腰がすごく低いんですね。


この頃には時間に余裕のある人か、諦めの悪い鉄ばかり残っています。その典型とも言えます。「どうせ今日中に盛岡に帰らなければ行けないんだから、いつかは出発するでしょう。」そう言われればそんな気になってくる。そこでギリギリまで待ってみます。


しかし世の中の鉄が、これほどコミュ力があったら。偏見は無くなるのにな…



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そして諦めの悪い面々も、ついにバスに乗ります。JRバスでなくてリアス観光バスなのは、宮古にはJRバスが
無いから。



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千徳の当たりの仮設住宅です。もう3年になりますが、災害公営住宅の建設が進んでいないので、まだこうして残っています。

実はこの時点で大渋滞に巻き込まれております。宮古駅から30分以上経っているのですが、まだ宮古市郊外を出ていません。



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本当ならKenji号からの閉伊川を撮りたかったのですが、バスの車窓からとなりました。とはいっても通路側の席なので自由が利きません。サイレントモードで撮影して回りを驚かせないようにしています、って隠し撮りか?




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我々がバスでノロノロ移動しているのに、列車が現れるんじゃないのかとドキドキしながら鉄道を眺めています。



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さて観光バスの運転手なので、路線バスの運転手と違ってサービスが微妙です。どこの道の駅に寄るとかアナウンスしないし、ましてや休憩時間10分で、何時何分に出発しますとかそういったアナウンスがありません。なので慌ててトイレにいて、道の駅を眺める事無く急いで戻ります。


どうも運転手も急な仕事で、早く帰りたいようです。お盆ですし。




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雨は小振りになってきました。




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予定より1時間遅れでしたが盛岡に帰り着きました。今回は出発にタクシーを使ったので、乗り物4種類となかなかの旅になりました。


なおコミュ力の高い鉄ですが、彼もまた鉄道が走ってくるんじゃないかと気が気でなかったそうです。みんなそう思ってるんだな~と。今日は無事花輪線を乗れたでしょうか。
なお家に帰ってから真っ先にJRの運行状況を確認した所、山田線は終日運休でした。ここでホっとするとは何かが間違っている気がしますが、水曜どうでしょうのイベントに向かった198と170はどうなったのでしょうか?


次は田老に、もう少し長くいたいものです。


三陸鉄道直行便で田老に行く2

2014-08-16 14:34:06 | インポート
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田老駅で降りたら、「あ~」と声が出た。きれいさっぱり消えている。

この直後に撮った写真はすべてボツ。何かが違う。駅を見上げてそう思った。




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駅前には特に建物はすくなかったと思ったが、今はそば畑が広がっている。この辺りは運動公園だったか?
奥の松も、林になっていた。




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球場跡。
グーグルマップでも確認したが、生コンプラントは最近出来たもののようだ。




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スタンドが残っていた。




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向こうの防潮堤は、切れたのだろうか切ったのだろうか。グーグルの衛星写真ではちょっと確認できなかった。





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津波の衝撃は防潮堤を覆うコンクリートを破壊したようだ。




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港側には小屋が建ち並んでいたと思ったが。




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街灯が倒れたままになっています。LEDの街灯です。付けてから間もなかったろうな。




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防潮堤が、ない!

あの防潮堤が、ない。

当時の映像では押し寄せて来た津波が、この辺りを渦を巻いていた。その衝撃が土塁のコンクリート板を剥ぎ飛ばし土塁を洗い流したのだろうか。


要塞とまで言われた田老の2重の防潮堤。低いがこの最前線の防潮堤が乗り越えられたとしても。威力が弱くなり2番目の防潮堤で食い止めると言うものだった。だが高さだけでなくパワーも桁外れの津波だった。



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反対側はなんとか食い止めながらも、川を遡上した津波が堤防の弱い所から流れ込んだ。正面と背後から挟み撃ちにあった。



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国道45号線のかさ上げ工事が始まっている。




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不謹慎にもロードス島のトルコとの攻城戦を思い出した。




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がれきはまだまだ残っています。コンクリートの塊は何かに使えるでしょうか。わざと残しているようにも見えます。




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わずかに残る建物の跡です。2重の防潮堤にはもう一つの意味がありました。この内側の人たちがやられても、助け出して山の住民が助けると言うものです。明治や昭和の津波ではそうしてきましたし、そう出来ると考えての事です。しかし山の住民も少なからず被害にあってしまったのが今回です。




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電気が来て、真っ先に捜したのが田老の映像でした。そのヘリコプターからの映像を見て、呆然としたのですが、田老の方達はもっと凄かっただろう。



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お寺がこんなにもよく見えたんだと。



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がれきが、ケルンのようにも見えます。チベットの墓地のようにも見えます。賽の河原でしょうか。



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津波到達点の碑が見えます。ここには家があったと思ったのですが。




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雨が容赦なく降っています。



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実はこの13時から14時までの間、岩泉小本で17.5ミリ、宮古市で14.5ミリの雨になっています。

ご近所に挨拶に行くのでしょうか。お盆です。終戦記念日でもあります。


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雨の中、防潮堤も無念を訴えているように見えてきます。





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所々に自然には咲かない花などが咲いていると、そこにはかつて生活があったのだと思い起こさせます。




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臨時の配電盤です。どうもコンクリート関連施設に送られているようですが、ナゼここに?津波から守るためでしょうか。



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何かをしようとしてそのままになったのでしょうか。




三陸鉄道直行便で田老に行く1

2014-08-16 03:21:58 | インポート
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前から田老には行かねばと思っていましたが、なかなかチャンスがありませんでした。まず交通手段。盛岡ー宮古は路線バスがいっぱい走っているのでそこは問題が無いのですが、三陸鉄道との接続や滞在時間に問題があったり、スケジュール的に問題があったりして、なかなか踏み切れないでいました。あと宿泊先の問題もあります。復興のため職人さんがかなり入って来ていて、そもそも宿が無いのに、人いっぱいでして、宿の確保はほぼムリでした。最近は多少はよくなっているようですが、オカネの問題もあったりして踏ん切れないものでした。


それがこの前見た列車を調べたら、なんと魅力的な企画があるではないですか。盛岡ー田老が直行です。オマケに三陸鉄道のレトロ列車&クエートから寄贈された車両、JR東日本のキハ58 Kenji 号です。田老には30分しかいれませんが、この企画を言い訳に出来るのではないのか!と踏ん切ったわけです。



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最近のJRと三陸鉄道は、なんか蜜月です。山田線の宮古ー釜石線を三陸鉄道に、線路を修理して無償譲渡するという、驚く決定をしました。そして、期間限定で路線の赤字補填もします。JRの復興支援はそれだけではありません。以前紹介したSLの復活と定期運行、そして今回のJR&三陸鉄道の相互乗り入れも実現しました。特装列車ジパング号も盛岡ー一関間を土日に走らせています。なんというかJR挙げての鉄っちゃん祭りになっております。


今回の切符もみどりの窓口で買いました。いや相互乗り入れって便利だわ。盛岡駅いったら三陸鉄道ののぼりを持った職員が立ってて切符を売るのかと、変な想像をしていました。


さてポケモントレイン?




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キター!「ポケモントレイン盛岡・一ノ関号」です。東日本大震災で傷ついた子供達を支援するため「ポケモン ウィズ ユー基金」が作ったものです。移動しながら遊んで楽しんでと言う列車です。一応「大きなお友達」も乗れるようです。


この「ポケモン ウィズ ユー基金」ですが、震災後の企業社会貢献活動ではかなりうまくいっているものではないでしょうか。本当の無償でなければいけないという頭の固い人は別として、ポケモンのイメージを更にふくらませるPRとしても成功していると思います。そしてこのトレインが走る事で、実社会での自分がサトシになったような、何でも困難を乗り越えるように感じられると思います。


中見たかった~。




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三陸鉄道レトロ列車です。えっとこの後ジパング号が3番ホームに入るようです。気がついたら「ジパング平泉2号」と「ジパングさんさ号」があるようですね。

鉄道会社も、こうして話題を作り続けなければいけない時代になっているとも言えます。




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クエートから寄贈の車両です。乗ってて少し冷房の効きがいいように感じました。クエート使用かとも思いましたが、何しろ新品ですからただ単に。第三セクターの鉄道会社が新品車両を買える事はほぼありませんから。

トイレが障害者仕様でとても大きくて、腰痛の痛み止めを塗るのに便利でした。



すいません。クエートがお金持ち過ぎてありがとうが言いにくいです。とはいえ、ムスリムのほとんどいないエリアでの寄贈です。意味はもの凄いものです。


なお、岩手県内のJR普通列車が一日使い放題ホリデーパスを使えば今回の旅費が1400円浮く事が旅の途中で解って、このみみっちさに愕然としたものです。三陸鉄道の今回の案内に運賃が無かったのはこれだったのか!と気がつきました。復興支援だからね!と言いたいのですが、まあみみっちい。


クエート様、ありがとう。感謝しているしするよ。僕じゃ無理だもん



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お見送りが盛り上げてくれます。


私と田老の関係ですが、大学の時にバイトでアンケート調査にいった事が切っ掛けです。マトモな会社のマトモな調査で対面調査。事前連絡が入っていると言うのもあるのですが、こういったアンケート調査にしてはかなり暖かく対応してもらったという経験があります。本気でご飯を食べさせようと言う家が何件もありました。


その後NHKのライトマンのアルバイトで何度も入った事のある土地です。町の津波防災の取り組みや、あの首藤教授と会った土地です。田老観光ホテルにも泊まった事があります。

なお当時の首藤先生ですが、というか20年前の津波防災の姿なのですが、まだ研究が進んでいなかった時代であったと考えています。一つでも多くの観測点が必要で観測点を増やす、これだけでもうれしい、そう言った時代だったと思います。そして当時主流派だった、データー重視の科学的な立場の人だと思います。

宮城県大川小学校の件などではかなりの悪玉になっていますが、精密なデーターが無いものを先生が判断できるとは思えない、というのが私の感想です。


田老町に一方向加速度計を3つ設置した時の先生の笑顔はとてもかっこ良かったです。





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ありがたい事に、知り合いが乗っていまして、席が確保できました。
混雑というほどのものではなかったのですが、満席状態です。やはり相席は気が引けます。ということで身長198センチ体重推定120キロと、身長170センチ体重推定90キロと、身長183センチ推定80キロが乗り合わせました。なかなかのスペックです。


お見送りを受けて、少し恥ずかしいと思うのは年のせいでしょうか。

ポジティブな社会ってちょっとイヤです。旅って、隠れてやるものでしょう。旅行とは違うんだから!




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艱難辛苦超えて、ようやく区界駅です。停車時間が長いのですがホームに出れません。タバコのみにとってはこれは苦痛の時間。なので車両先頭に探検に行きます。




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198センチの彼も探検に出かけました。ポッカリ空いた席が妙に印象的で写真を撮ってしまいました。

車窓も撮りたかったのですが、3人でゆるく盛り上がって、まあ帰りでいいやと考えます。




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さて宮古駅に着きました。これは通常の三陸鉄道北リアス線の車両です。




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こちらはレトロ列車です。微妙にポケモンが目立つホームです。




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さてこの頃の宮古市は大雨です。12時から13時で9ミリの雨が降っています。




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30分時間があるので駅そばを食べます。以外と各地方の味があるのですが、ここはフツーでした。ボテっとしたかき揚げが妙にうまかったです。そうかき揚げには地方色がありますよ。レシピおんなじなのに。


なお駅そばの行列は凄かった。この列車に乗った人の4分の1は向かったのかもしれない。それでは駅弁は?見つけるのを忘れた気もするが、どこで売っていたのか。キヨスクでも見かけなかったような。


その前に、駅弁を捜すお客さんを見なかった。おにぎりを捜している声が多かった。




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レトロ列車の照明は、レトロなシャンデリアなのですが揺れで燈体がぶつかって壊れないように針金で押さえています。




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宮古で「水曜どうでしょう」のイベントがあるということで、198センチと170センチは降りました。ポッカっと空いた席が寂しくてたまりません。


ということでこの車両のなんだかレトロな装備です。左奥になぜか家庭用ツードア冷凍庫がありまして、その裏に脚立がなぜかあります。右正面にはブラウン管のモニターとナゾのビクターのアンテナがあります。左上の網棚にはボースのスピーカーです。この車両の魅力はこの辺りが一番なのかもしれません。


そしてなのですが、なぜか彼らと私が座っていた席に誰も座ろうとしません。なぜなのか全く解りません。レトロを最も感じる席なのに誰も座らない理由は?相席を私が拒否しているとでも!


結論ですがこの席だけ上に網棚が無いんです。198センチの彼がこの席を選んでいたのは多分これでしょう。天井が高い。そしてフツーの客には網棚の無い席というのは選択肢に無いのでしょう。




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通常三陸鉄道の車両です。ネスレとイオンがラッピング広告をしています。企業社会貢献ですが、こういった形は全く悪いものではありません。少しでも華やかさが添えられれば、そう言った所はあります。




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撮り鉄は大変だ。




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三陸鉄道北リアス線と言えば、海岸近く走る列車のイメージがありますが、実際は山とトンネルだらけです。特に私の向かう田老の当たりは、海が見えると言うイメージは捨てた方がいいです。





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田老が近づいています。海が少し見えました。