どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

大雪でした

2015-02-10 22:05:10 | 日記

 

今日は最低気温−7度、最高気温−2.2度と厳しい寒さになった。雪は最大降雪で11センチとさほどでもないのだが、粉雪なもので本当にボゥっとかすむような景色になった。

2時過ぎには小降りになって来た。

 

 

今日も仕事をして、そして近所の除雪ボランティアをする。けっこう忙しい。

 

 

最近普段のお茶を、紅茶から緑茶に変えた。紅茶の時も淹れたものをペットボトルに入れて風呂で冷却、そして冷えたままと言う飲み方だったのだが、緑茶もそうしているのだが、ガバガバ飲めていい。

そこで手頃な値段のものを捜している。冷やして濃厚なものなのだがそうそうない。鹿児島か静岡に絞れそうなのだが、静岡だと粉茶になってしまう。鹿児島は粉茶でも少し大きい。

実は「響」のコーヒーを飲んだ時に、エグミを感じたのだ。一瞬疑ったが、もう少し考えて行くとどうも体調か食い合わせと言う可能性がある。そして検討が終わったのが昨日だ。舌を洗ったりこすったりしてテストした結果、緑茶の渋が舌に残っていると言う結論になった。

ウーンだ。なぜかバッティングするのだ。完全な粉茶と言うのが問題なのかも知れない。そう言った意味では、福岡のお茶は針状のしっかりしたものだったので、味は薄いがバッティングはしなかったし鹿児島も粉茶だったがバッティングしなかった。

何だろう。ロットの問題なのかも知れない。

とはいえ緑茶でも粉茶とコーヒーはバッティングする可能性があります。紅茶だとさほどでないのは、粉茶が存在しないからかもしれません。どうも粉茶と言うのが問題なのかもしれません。タンニンが抽出されやすくそれがうまみに感じてしまうのでしょうか。

 

 

みずきの枝が赤くなっていました。小正月を過ぎた証拠です。

とはいえ少し早いですね。

 

 

雪かきを終えて、今日は斎戒沐浴をして「響」に行く予定だったが、歯磨きだけになってしまった。歯も舌も洗ったのだが、やっぱり渋が残る。

いや厳密に味わう必要は無いのだが、それなりの敬意はあってもいいのかと。ましてや舌に問題があると言う状況ですから。

 

 

仕事はしているんですが、過剰が多すぎますね。ブルックナーとか。


雪が降ってようやく仕事

2015-02-10 01:18:13 | 日記

 

ようやく盛岡らしい雪が降った。しかも日中は−5度以下。ようやく冬スナップがマトモに出来る。

とはいえ粉雪がカメラのAFを狂わせるんですね。もうピントのあわない事あわない事。それと雪が振っていると風景撮影も限られてきます。新雪の青空だとなにとっても絵になる訳ですが、雪が降っていると墨絵になってしまうので、それに見合った被写体でないとボケた感じのみになってしまうので、被写体を選ぶ訳です。

そして、空いた時間を使って撮りためた写真の整理をします。その際、ブルックナーのシンフォニーをかけましょう。チェリビダッケです。3番から5番までは記憶に残ったが、6番と7番になればどんどん疲れてくる。そう音楽は聞けば聞くほど疲れてくるものなのですよ。一日中聞くんだったらシャッフルされていなければいけません。集中してブルックナーなんて重量級を巨匠が演奏なんてそれはそれは重たいもので、まあ魂が引きずられるとでも言いましょうか、虚脱感が凄まじいものです。それを5回繰り返せばそりゃ疲れる訳です。

しかしミュンヘンフィルのティンパニー奏者なのだが、腱鞘炎にならなかったのかな。遅い演奏でもトリルそのもののスピードが極端に遅くなる訳ではないので、長時間叩きっぱなしと言う事になる。かなり辛いだろうな。

 

 

さて海外渡航者でも特に危険な地域に行った人がテロのあった場合、それは自己責任かと言うアンケートがあったらしい。

読売新聞だ。

読売新聞社の全国世論調査で、政府が渡航しないように注意を呼びかけている海外の危険な地域に行って、テロや事件に巻き込まれた場合、「最終的な責任は本人にある」とする意見についてどう思うかを聞いたところ、「その通りだ」が83%に上り、「そうは思わない」の11%を大きく上回った。

数字だけではなく、政府の対応が適切だったかどうかでも、「自己責任論」が多数を占めたと言う結果になった。

私としては政府の対応は適切だったが、それ以前の人脈形成が出来ていなかった可能性があると思っている。でも現実にはこんなものだ。ただ「最終的な責任は本人にある」と言う考え方には同意出来ない。それは「死を選んだ」と言う意味だからだ。

死を覚悟しなければいけない所に行くのだから、それは当然だろうと言えば、そうだ。一緒に仕事をしていたカメラマンが捻挫して弱っていた所に私が投げつけたのは「バカヤロー」だった。身の安全を守らない奴はどうしようもない。それは国内の話だ。当然戦場に行くジャーナリストはそれなりのトレーニングを積んでいる。身の安全を守らない人はいない。

死の可能性が高い所から生きて帰る可能性が無いと彼らだって行かない。

自殺はどうだ。なぜ日本で自殺者が多いのか?それは自己責任なのか?

それでは更に、遺伝性の重度の糖尿病患者に、「ここまで悪化させたのはあなたの責任です」といえるか?

はぐれもんは死んでいいと常に思っているのだろうか。それでは私はいつも死ねと呪われているのだろうか。

この日本と言う大きな村の安寧だけでいいのか。はみだしものは死んだ方がいいのか?

生きたいと思う人を助けるのが国家なのではないのか。のけものは日本人ではないのか、国籍があったとしても。

ということで憲法理念は国民に理解されていないと言うアンケート結果でした。

 

 

明日は仕事と雪かきか。