この前からコーヒーの話を書いている。まあしばらく真面目にコーヒーを飲んでいなかったと言うせいもあるが、世の中が様変わりしているのにビックリしている訳だ。
自分でザル焼きしていた頃は、自家焙煎屋もなかなか生豆を売ってくれなかった。だだ彼らも焼いているうちに端数が出てくる。生が500g余ったとかが出てくる。それを買うしかなかったから産地指定とかそう言った芸当は出来なかった。たまにガテマラ××農園とかそういたのが出てくる程度だった。
所が今のマニア達は、ブラジルでなぜこの農園の豆を使うのか、と聞いてくるらしい。私の頃とはかなり消費形態が変わっている訳だ。どういった事かと言えば、スペシャリティコーヒーと言うのが存在するようになってから、のようだ。これは小売りで1キロ単位で買える。そしてネット通販もある。なのでマニアが深入り出来る条件が揃っているのだ。そしてマニアたちはその高価な豆を平気で買える訳だ。何しろ商売ではない。ハワイ・コナのスペシャリティがキロ8000円だとすると、プロだと10キロ単位で買うから8万円だ。そして100g2000円で売らないと採算が厳しい。その上この値段では売れるものではない。
それでは自家焙煎屋の方はどうなるかと言えばその流行に乗るのも現れる。そして焙煎の個性ということで極端な浅焼きとか、低温長時間ローストのボケた味を珍重する人が現れる訳だ。マニアに対してはマニアックな答えもある訳だ。
ただプロは品質の安定性が求められる。焙煎のロットごとに味が変わったのでは目も当てられない。だから様々なテクニックがある訳だ。
だが世の中はもっとオソロシイ事になる。
まあ世の中商売だ。特にコーヒーのような商品作物は物語性に溢れている。だから様々なコピーがつくのだが、「甘い香り」がいつの間にか「甘さ」と書かれるようになり、土壌条件が「テロワール」と書かれるようになった。そして「ベリー」や「シトラス系」の香りとか言われるようになる。
コーヒーはとても複雑な成分を持っている。だから錯覚で甘さやシトラス系の香りを感じたりする事はあるが、普通それはない。
だがそのコピーが一人歩して行く。するとその甘さもベリー系もないローストは、失敗と見なされてしまう訳だ。カタログが正しいのであって、カタログ通りでないものは間違っていると見なす。
いや正確に言えばベリーもシトラスもある可能性があるが、それは多分発酵臭がわずかにあるだけだ。
味の世界もポストモダンになって来ている。テキスト至上主義は良い事が無い。コーヒーのように味わえるものまでテキストが混じり混んでいる事に、戸惑いを感じている。
そして有機栽培も無農薬もスペシャリティも、コーヒーの世界では認証制度だと言う事だ。その認証をとるためにはお金が必要だ。特にスペシャリティは検品が非常に重要になっている。つまり産地で検品を厳しくする事で人件費がかかっている。そして認証の経費もある。そこを商社がやっているのか産地がやっているのかは解らないが、高値で売るために涙ぐましい努力をしている訳だ。
フェアトレードも認証制ではあるが、多少人道的だ。だから逆に広がりにくいと言う特徴がある。
さて日本のコーヒーを考えて行けば、アンチの歴史だろう。戦前では苦いだけのコーヒーだったろう。まだコーヒーの味が一般的でなかったからだ。それが戦後に広がるのだが、商社の独占だったろう。そこに少数の自家焙煎コーヒー屋が出来、味の追求とか、オールドクロップとか、科学的な根拠とかを言い出す人が現れた。それでいて器具はどんどん新しいのが紹介されてそれぞれが生き残る。ネルドリップからパーコレーター、サイフォンとエスプレッソ、そしてペーパーフィルターは絶大な人気でドリッパーの種類はあまりにも多い。そして水出しコーヒーや各種コーヒーメーカがある。それぞれがそれぞれで簡便化だったりマニアックさだったりするが、それぞれが生き残っている事を考えれば、それぞれの味わいがあるからなのだが、そこがマニアックな所になるのだろう。水出しコーヒーの器具んなんてかなり安くなりました。
確実に流通の問題が、こじらせているのでしょう。そして自家焙煎そのものは誰でも出来る訳で。
コーヒーってこんなもの、という大きな物語が消えた世界です。