どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

雪が降った

2015-02-28 01:08:27 | 日記

 

昨夜から降り続けた雪は、朝にもう一度大きく降って積雪7センチになった。

気温は高めだが風がやや強く、夜半に氷点下になったら凍ると思い除雪した。とはいえかなり重い雪だ。ベシャベシャになるのを待ってから除雪する。それでも詰まってしまい難儀した。

 

 

買い物に行くと、自転車の後輪が少しフラフラする。何かと思って車輪を見るとバースト寸前だった。慌ててタイヤ交換する。突然の出費に渋くなる。

自転車屋の若旦那が、盛岡の自転車屋さんの高齢化を嘆いていた。年を取りすぎて修理もおぼつかない人たちが増えているのだそうだ。特に最近の部品の知識は全くないので、壊す事例まで起きているらしい。それでいて大型量販店は進出してくるし、自転車も使い捨てに出来るほどは安くなっていない。パンク修理などの細かい修理はまだまだ必要で、その時に街の自転車屋がない状態になったらどうなるのかわからない。修理難民が発生するのだろうか。

まあパンクレスタイヤにすればいいのだろうけど、それではリムやスポークに負荷がかかる。そして修理の手間も増大するのだろう。

彼の店が繁盛していいと思ったのだが、現実は極めて暗い。

 

 

川崎市の殺人事件はあまりにも痛ましかった。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

昔にイジメを目撃して調査してなんとか告発したことあった。それを思い出す。そこでは加害者側は自分のやったことを正義だと思っていたのだ。調べていると全く思わなかったのだろう。ベラベラしゃべてくれた。二人のうち一人は全く疑っていなかった。もう一人は1年後に聞いたところ反省していた。どこが正義かといえば、金振りのいい主犯格が三人でつるんでよく遊んでいたのだが、被害者は貧乏でおごり返すことができなかった。だからおごり返すべきなのにできないのはおかしい、というところからエスカレートしてかなり酷いことになってしまった。

川崎の事件はISISに触発されたという論者がいるようだが、それは実行の手段が似ているのではない。たぶんこれだけ残虐な殺し方をしているというのに、自分は正しい、という論理があると思う。

正義の名を借りた暴虐が、世界中でいくらでもある。その一つだろう。

ただ日本は清潔で安全な国になった。その中でそこで生きていけない人たちを阻害している。そこから一歩転落すると戻ってこれない可能性がとても大きい。ヤクザもグレーゾーンもどんどん漂白されてゆく。転落者を受け止める層がなくなり行き場のない人たちはすぐにドン詰まりに突き当たる。

暗黒の美学も無くなったのが今だ。正義すらも揺らいでとんでもない方向に進んでいる。

 

 

もっと恐ろしいことをいえば、個性を伸ばす教育と言っておきながら、全体に従わせることしかしなかった教育からはみ出したその個性は、間違ってはいないだろう。実は個性を伸ばす教育とは英才教育での話だ。個性の判断基準は未だもって学業成績しかない。そこに授業での意欲とかを加えても子供にとっては先生に媚びる手段が増えただけだ。それに適合できなかった人は別な方向の個性を目指すだろう。

力による支配しかない。彼らは力こそ正義だと信じたのだろう。だからなぶりものにできたのだろう。

ISISとの一致点は正義だ。そしてヘイトスピーチも正義だ。嫌韓本や嫌中本も正義を歌う。そして今回の事件も正義なのだろう。

それは私の知っている義ではない。正しさを歌った時点で義は悪になるのだ。政治家は正義という言葉を使うべきではない。