今日は快晴だった。
夕べはブログを書いてから、マックの移行アシスタントを使って旧マックのデーターの入れ替えを行った。当初はFireWireのケーブルで行うつもりだったがそれだと日曜以降になってしまう。イーサネットのケーブルでも出来るようなのでイーサネット経由で行う。まあ寝るだけだしいいやと思っていたのだが、以外とあっさり終わった。ギガビットイーサの実力を見た気分だ。
まあ早く終わったのには理由がある。もうLC475の時代から使っているせいで、パソコンの中にデーターを溜め込まない習慣が身に付いてしまっている。バックアップは当然だし、終わった仕事はDVDと外付けハードディスクに分散保管している。iTunesにはほどんどないし動画もかなり少ない。まあそのせいだ。
今回からマーベリックということで大型ネコ科から偶蹄類に変わった訳だが、慣れない。まずメーラーが慣れない。モバイル系のデザインになっているせいだろう。ただこれでは積ん読型のメルマガはかなりきつい。
文字予測変換もかなり精度が上がっているが、微妙だ。キーボードもかなり軽くなった。もうちょっとヌルっとしたタッチが欲しいのだがかなわないことだ。デフォルト設定の文字も違和感がある。綺麗なんだけどちょっと違う気がしている。
ワープロなんて文字を打つだけだと考えている人が多いと思うが、実際細かな環境でかなり影響を受ける。縦書きで打った時と横書きで書く時の違和感は凄い。しかもそれらを横書きを縦書きに変換して読み直すと、いかに自分が単純にそう言った環境に影響されてしまうのかが良くわかる。まあ一流どころは違うのだろうが。
そして問題は画像処理ソフト。今回はニコンNXを使っている。理由は我が家のハードディスクの中にあったから。移行アシスタントが移動してくれていた。優秀なんだけどちょっと使いにくいソフトだ。しかしアドビのライトルームを買って入れてみたら、返品したくなるほど使いにくい。何だろう。このフォトショップとの断絶感は。Dー7100のROWデーターの現像を拒否するし。なおニコンのNX2も現像拒否した。バージョンが古いのだろう。
概念的には解っていたつもりだったのだが、クラウドサービス中心に設計されているからスタンドアローンタイプの使い勝手と違う訳です。だから写真共有サイトにデーターを自動で送る機能とか分け解らないものがあったりする訳です。
このあたりなじめません。お客さんがいる仕事なので間違って共有サイトに送ってしまうとと思えば、手が縮こまります。
オオバンの忍者走りがよく撮れました。
ニコンのNX2はいいソフトなんだけど、マウスで任意の場所をズーム出来ないという欠点が大きいですね。
とりあえず直感的に使えるソフトでないと使えない。そしてライトルームのように設定をきちんとしていれば問題が無いとしても、外部に出す事を前提にしたソフト設計はイマイチに感じる。こうなればフォトショップを一ヶ月レンタルしてみるか。フォトショップエレメントも悪いソフトではない。ただ現在予算を使い切ってしまった。
ライトルームを試験使用すれば良かったのだが、OSのバージョンがあわなかった。
現代ビジネスの魚住昭氏のコラム「世界を歪めてみる恐怖」が面白かった。NHKの2015年1月13日放送のクローズアップ現代「ヘイトスピーチを問う」を紹介する記事なっているが、かなり的確な問題提起だ。
「時が昔に戻ってほしい。そして安心したいというのが嫌韓・嫌中感情の下に隠れた欲望なのではないでしょうか。だからこそ安倍首相の掲げるスローガンが『日本を取り戻す』なんです。でも現実と欲望のギャップが大きいので日本人の世界観はますますひどく歪んでいく」と加藤さんは言った。
この前段で、遅れていた中国や韓国に追い抜かれ、そして豊かになったら日本みたいになるのだろうと思っていたら違った、という話になっている。だが「時が昔に戻ってほしい。」という言葉は極めて大きい。私もかなりドキっとした。
ただその「昔」というのは何なのか全く解らない訳だ。ある種の神話世界のような話が多い。
例えば大昔だがこういった論争をした事があった。「今の母親はだめだ。昔は子供の青っ洟を口ですすって吐き出したりしていたもんだ」「今はティッシュがあるからいいんじゃないんですか」「いやそう言った事ではない。愛情と言うのはそう言ったものではないだろう」「単に買えなかっただけだと思います。そして今は衛生状態がいいのでそう言った事をしなくて済むようになったと思います」といった具合で近代家電がいかに母を堕落させたかとかそう言った話になってしまって、後はもう反論するのも嫌になってしまいました。
この話は私より10歳以上上の方との論争でした。でも彼が子供時代、今のマトモな親より愛をそそがれていたとは思えません。それでも昔がよかったと言い切れる根拠がどこにあるのか全く見えない訳です。
母性の神話と言うのはいくらでもあり、時代にあわせて様々な形があります。そこには常に問題があった訳です。
宗教をバックボーンに持たない日本人にとっては過去以外参照出来る事が無い訳です。その中で神話が磨かれていけば行くほどギャップは広がり、現代の母親はもの凄い苦労をする事になる訳です。少子化の最大の理由なのですが、だれもそれに対して問題にしない訳です。
もしかすると過去をロマンティックに感じるのが日本人なのでしょうか。それだけ今が過酷なのでしょうか。
多分違う。
今を生きるために「昔」を持ち出すのは、いい事ではないと思います。