祭日で仕事は無し。そこでゆぴあすに泳ぎに出かけます。いつものことですね。最近は週1程度に抑えていますが。
大雪になるかということで、どうもこちらに人の足が向いたみたいで結構混んでいました。ただなぜか私のレーンに誰も入ってこないのですね。隣のレーンは4人いるのにこちらは二人とかです。まあインターバルでかなりがんばっていたと言うのがあるのかもしれません。
おかげでかなり強めのメニューになってしまいました。昨日の除雪で筋肉痛な所にもってですから、ちょっとやりすぎました。
帰りのバスでは、以前とんでもなく悪口雑言を言ったおばあさんと乗り合わせました。今回も名言をいただきました。
「オヤ、いつもの席が無い!オヤ、こりゃ廃車寸前だね」
このあと下車場所を間違えたあげくに、手袋が無いと言い出し右往左往しています。別な乗客がキレました。私は?笑っています。あとで運転手さんに「あの人はああだから。悪気は無いから。」とフォローしておきました。
なお岩手県交通のバスが「廃車寸前」と言うのは有名な話です。国際航業の東京都内を走ったバスが関東圏を走り、流れ流れて岩手に来ます。そして盛岡で走って更に地方に飛ばされて走ります。特に雫石営業所が有名です。30年前のバスが走っていると言う事で、バスマニアにとって有名な営業所です。
ブルックナー祭りはいったん終了しました。ただかなりチェリビダッケに毒されています。今日あの8番を聞いても遅いと思わなくなっているのです。かなり重症ですね。シューリヒト当たりで毒抜きをしなければいけない様です。
まあ泳いで疲れていると言うのはありますね。
ただチェリビダッケの演奏を聴いて思うのは、1950年から90年にかけてのクラシックの状況と言うのはなにか異常な状態だったのかも知れない。レコードの販売がそれに輪をかけたかも知れない。スターが必要なのだ。そのスターを発掘しつつも、カラヤンを重要視したと言うのは大きかったかも知れない。
レコードが評判になるとその指揮者のコンサートチケットは売れる訳で、楽団の収入にも直結していたのではないのか。
そしてなのだが、ドイツ音楽の世界ではフルトヴェングラーの戦後の問題や、クーレンカンプの死後以降ドイツ人のソロバイオリニストがいなくなったという時期になる。その上アメリカに移住した音楽家が多かった。ドイツはそれでも優秀な音楽家がいっぱいいたが、スターがいなくなった時期があったと思われる。そこでドイツを代表する音楽家の発掘が特に重要になった可能性がある。そしてレコードに協力的な指揮者となれば、それこそカラヤンだったのだろう。チェリビダッケはその点では全くだめだった。
実はカラヤンがアンネ・ゾフィー・ムターを重用しすぎたという話は、戦後ドイツ人バイオリニストのスターだったからだ、と考えればつじつまが合いそうだ。
夕方から雪になった。5センチ以上振ったが気温が下がらない。なかなか氷点下にならないのだ。だから雪は溶けて行っているが道路はツルツルになっている。明日は除雪するべきか。
どうしよう。仕事もしたいし。