どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

忙しかった

2015-03-17 01:30:20 | 日記

 

確定申告が終わってから仕事で忙しかった。人の顔を撮るだけなのだが、顔に歴史あり、どう良く見せるのかが腕前なのだがかなり疲れた。特に83人もの証明写真は疲れた。全く知らない人ならまだしも知っている人ばかりだから以外と難易度は高い。いい加減なことはできないからだ。それでいて時間制限もある。

単なる服装だったらそんなに問題はないし、髪型もそんなに問題にはならない。一番の問題は頭蓋骨から頚椎、脊椎から骨盤までの関係を一発で見抜くことだ。それができるかどうかなのだが、マッサージに行ってから来てくださいとは言えない。そこで様々な修正をかけてゆくのだが、その修正も間違った方向を一回でもやってしまうと延々に修正が続いてしまう。

そして斜視の問題がある。ものすごく軽度の斜視の人はかなりいる。認知されている三白眼は斜視の一種だと思っている。ここをどうするのかが証明写真の奥の深さだ。瞳を明るく力強く見せるためには、正しい位置に瞳を持って行けばいいのだが、それでは力が宿らない場合が多い。塩梅が難しい。

そう、証明写真の奥の深さは、見る人を想定した世界なのだ。そして顔という個性を合わせて引き出してゆく。

それって個性を表したものではないのかといわれると思う。ただこの証明写真が送られる所が厄介だからそうなる。上場企業だ。そこでは顔の個性は見ていないはずだ。ほんのちょっと、目とかネクタイのほんの少し、そこしか見ていない。個性というのはそんなに写真からは汲み取れないものなのだ。

気合が実は重要だったりするというのは、30年前から変わっていない。そこを引き出すのが、ほんの数分の仕事だと思っている。

 

 

写真は過去しか表さない。このせいか証明写真は面白い現象を生む。徹底的にやった写真を撮ると、写真に合わせるようになるのだ。正確に言えば見え方に気がつくわけだ。

この現象はかなりある。政治家なんてそうだ。若いときのオドオドした感じから見えかたを学習するにつれ、その風格を作り上げて行く。

プリクラ以降写真の写り方というのを工夫しまくっているのが現代人だ。だが正面からの顔から逃げているフシがある。気づきを与えられるかというのが、実は大きいことだと思う。

でもな、女子では小顔に見せようとして頭を大きく見せるヘアスタイルとかどうなのかといつも思っている。額も顔の一部なのだが、そこを綺麗に見せると聡明さという言葉に結びつくのだが。男子では証明写真というのはどうでもいいと思っているようだ。そしてそうなのだが、襟足が汚い子が多すぎる。そういった子に限ってヘアスタイルにこだわるわけだ。ただ襟足がボウボウだと、清潔感はない。ここはわかってほしい。だらしなく見える写真を撮ったら、まあ僕はアウトだな。

カミソリ持ってこい!と言いたくなった瞬間がありましたが、カミソリの使用は衛生的に厳禁なので。理容師資格が必要です。そうなると費用対効果の問題が大きすぎます。でも真面目に悩みます。

83人の未来と向かい合ったら、そりゃ疲れると。しかも最大5分、それ以下で最大で適切な魅力をどう引き出すのか、しかも笑顔ではなく真顔のもので、ほんの少しのニュアンスを追求するのはえらいことなんですよ。

 

疲れた。人の人生を背負いこむことはないのだが。