どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

天気はよし

2015-03-20 21:34:45 | 日記

 

私の住むところではなんともないのだが、アメリカのオバマ大統領が微妙なことを言ったらしい。相手はイスラエルのネタニヤフ大統領だ。

どうも先のイスラエル総選挙でネタニヤフ氏が言った言葉が問題のようだ。イスラエルとパレスチナの二国共存を否定したと、誰もが疑う発言があったのだ。

CNNだ。

この日の電話は公式には、ネタニヤフ首相の勝利に祝意を伝える目的だった。しかし米政府当局者によれば、ネタニヤフ首相が選挙運動の終盤、パレスチナ国家樹立に反対を表明したことを受けてオバマ大統領は、「2国家解決案に関する首相の新たな立場と発言を受け、我が国の選択肢を再検討する必要が生じた」と伝えたという。




政治家というのはどうもドメスティックになりがちだ。国内の政治状況を最優先するあまり、不用意な発言をする。これも一つの例だろう。よりによってアメリカがイランと和平交渉している最中の発言だ。強烈な牽制をした。ただイスラエルの政治状況まで踏まえたものと思う。実際総選挙でリクード党はかなり厳しかった。

法改正など手は尽くしたが、リクードはアラブ系の小党集団を集合しただけにしか過ぎない。そしてアラブ統一会派に票が流れたというのが皮肉なことだ。

 

 

そういった意味では日本の政治家の失言はどうしようもない。

三原議員「八紘一宇」発言は笑えない問題

ニュースウイークで冷泉さんのコラムです。まあこの時点でこの言葉を使うのかというのがオドロキですが、文脈上おかしなことになっていつようです。

日本人は日本に税金を払え、そういった文脈でいいと思います。とはいえこの言葉は国内だった古代と、近代だった大戦と二つに使われているわけです。

えっとその前に、なぜ金持ちが国家から逃げるのでしょうか。その金持ちとかに八紘一宇とかいっても効かないでしょうし、実際そうなっています。

右にしか使えない言葉を国会で話すというのは、とても良くない。議論のしようがない言葉だからだ。そして八紘一宇という言葉がどうもよくわかっていない国会議員しか選出できない、その現実が実は問題です。

 

 

おざなりに使っている。それは東北人ならではの考えかもしれません。八紘一宇という美名でいったいどれだけの犠牲があったのか。

八紘一宇という概念に、東北はあったのかどうか。巻き込まれてしまったのかも知れませんが、そういった冷めた目で見てしまいます。

使う意味のない言葉を使う政治家がいるということです。

国家とはそこまで地位が低くなったということだ。


梅ほころぶ

2015-03-20 01:16:58 | 日記

 

今日は3時頃まで雨がぱらつく天気だった。家に一日いた。

リヒャルト・シュトラウスのサロメとエレクトラを聴いて過ごす。しかしだね、サロメは耳で聞くポルノだね。とういうかこの作曲家、なんかエロシーンが大好きなのかな。家庭交響曲でもセックスシーンが出てくるし。真面目に歴史的に考えて行けば、クラシックが王侯貴族や宗教家のものだった時代から、ベートーベンあたりからブルジョアが勃興し貴族的な趣味のものが一般化して行く。そしてサロンで聞くピアノ曲や室内楽、そして歌曲が流行る。そうこうしているうちにブルジョアジーも洗練されて行き人数も増えた。そうするとブルジョアの趣味が入ってくるようになる。その上さらに資産だけで食べて行ける大資産家が増えてくれば、ヒマを持て余してしまう。そこで巨大な曲が好まれるようになる。ワーグナーなんて最たるものだろう。どんどん曲は巨大化してマーラーの8番に行き着く。そう、クラシックにも流行り廃りがあったのだ。自分たちを正当化させるために「文学と音楽の融合」とか言い出している。ワーグナーなんてその最たるものか。その中でリヒャルト・シュトラウスは交響詩というジャンルを確立した。「音楽で表現できないものはない」と言い放っただけあってありとあらゆるものに挑戦した。その中にセックスシーンだったり不倫だったりとそういった俗な要素が入ってくるのが、時代というものなのだろう。

大変趣味の良い音だが、大変な流行作家であっただけはある。

 

 

雨は止んだ。買い物に出かける。

昔オタクたちに向かって、「オタク趣味というのは今後一般的になるだろう。その時君達はどこにいるのか」と聞いたことがあった。7年前だっただろうか、ライトなオタは一般化しつつあったがヘビーなのはまだ嫌われていた時代だった。それが今ではライトオタどころではなく一般的な文化になってしまった。最近では腐女子であることを隠さない子も増えてきた。

特に政府が「クールジャパンを売り込め」と言い出したあたりから、怪しくなってきている。

とはいえ資本のかからない文化でもある。だから経済的にいかに大きくとも成長しようとも世界経済には影響がない。

コーヒーの話で、サードウェーブコーヒーのインパクトがどうなるのか。私は彼らをヒッピー文化だと思っている。ヒッピーが東洋文化の精神性を尊重している。だから日本の喫茶店文化とどこがどう違うのか分かり難い。違いはアメリカの国民的飲料であるコーヒーの再定義と啓蒙活動をするところだろう。だがその豆はスペシャリィティコーヒーや希少種とか希少産地に偏りがちだ。種の保存や保護活動といった側面があるからだ。

だがこれを単純に流行と捉えて資本が動くと厄介なことが起きる。サードウエーブの動きを捉えたスターバックスコーヒーが出したハワイ・コナなんか代表だが、サークルKサンクスでペールーブレンドが出ていたのはめまいがした。ハイチはハリケーン被害からの復興支援もあってスペシャリティコーヒーが進んでいたと思う。だからこそサードウエーブの思想にはあっていたのだがもともと流通量の少ない産地に流行で人が群がるとどういったことが起きるのか。

価格の暴騰だ。ハワイもハイチもペルーも大暴騰した。ただこれらの豆が市場から正しく判断されてこの価格というわけではない。いずれ流行り廃りがあり、その中での暴騰だ。

ここで問題が起きる。コーヒーにおける永遠の問題だ。需要が逼迫すると高騰し、それが生産量増大のインセンティブになる。だがコーヒーの木を植えてから収穫まで最低5年はかかると言われている。その間に価格が暴落する。農場を広げて木を増やしたせいで生産量が増大するのだ。これがブラジルやコロンビアのような産地なら政府も大きいからある程度のことはできる。ブラジルも以前のようなコーヒーモノカルチャーではなくなり今ではGNPの5%となっている。だがエチオピアのように外貨獲得の90%だったらどうなる?この2国よりさらに脆弱なハイチではどうなるのか。ハイチやハワイは面積の問題で永遠の希少であるからいいだろう。ペルーはどうする?

その前に産地偽装が横行するだろう。コーヒーは似た味であれば、最終消費者にはよくわからないものなのはアメリカ人が一番知っていると思う。だからサードウエーブが起きたのだ。

そして、サードウエーブでもブルーボトルのように海外進出を始めるほどに大きくなると原材料確保が難しくなってゆく。思想はいいが現実は資本主義でガチガチな市場だ。自社農園という方向に進めばいいのだが資本が足りなさすぎる。

農民を助けるはずだったのが、苦しめる結果になりそうな気がする。

 

 

岩手大学の北水の池のそばで梅が咲いていた。なかなかの梅なのだが、手入れが悪くて目立たないのが残念だ。

 

 

早すぎる春だ。

 

 

工学部の白梅も咲き始めた。

 

 

人の欲望が疾く動くように、季節も動いている。