今日は岩手大学卒業式です。仕事で行ってまいりました。毎年そうですがかなりくたびれました。まあ別れですから、華やかな中にも悲しみがあったりするわけで、そんな中にいるだけでぐったりしてしまいます。奇跡の卒業を遂げたやつとか、華麗なるビフォーアフターで40キロ増強とか、そういった彼らがいなくなるのは寂しい限りです。
式が終わったあたりから雪が降り始めたようです。なごり雪でしょうか。
ぐったりしている理由の一つに、昨夜シュニトケなんぞを聞いていたというのがあります。その後口直しにガーシュインを、そしてスティーブ・ライヒのピアノフェーズを聞いていたのですが、そのまんま寝てしまって朝に適当に音楽をかけようとCDをプレイしたところピアノフェーズ。
ミニマルミュージックの悪いところは集中力を強いるところ。引き込まれてしまって聞き終わらないと気持ちが悪くなる。かといって聞き終わるとぐったりする。それを朝一番にやらかしてしまったというのがよくなかった。
馬酔木の花にも雪はふる。
最近レコードが流行っているようで、響に行くせいかその類の賛否両論を良く聞く。まああそこにはオーディオマニアも行くわけでそういった話がよく出てくる。デジタルとアナログのどちらがいいか、この古ぼけた議論が未だもって出て来るのが嘆かわしい。
みんな忘れてしまっている。録音はどんな形式であっても音楽そのものは記録できないのだ。そこの空間でどんな音がなっていたのか、それは記録できないのだ。オーディオシステムというのは昔っからそう出来ているのだ。例えば2台のピアノはそれなりの面積を取る。そういった構成の曲の場合演奏者が対面になるように配置する。つまり互い違いになるわけなのだが、反射板は一枚しかない。奥のピアノの音は前面に跳ね返って出て行くが、手前のピアノは、半分以上音が天に抜けて行く。
マイクをどうするのか。天に抜けたピアノの音を大切にしようとするとマイクは少し離れた場所に設置される。うまくやらないとスピーカーで鳴らした時に残響ばっかりで濁った音になる。それではマイクを近づけると特定の音しか拾わない。だからマイクの本数が増える。エンジニアのお出ましなのだが、それは会場での雰囲気を最低限残しつつスピーカーで適正に聞こえるように調整するのだがバランス取りが難しい。
それではこの録音がスティーブ・ライヒのピアノフェーズだったら?2台のピアノには調律を厳密にしたとしても個性がある。そして二人の演奏者、同じ音形を同じ力で20分以上弾き続けられる胆力と技術があったら?
実はライブを聴いたことがあった。そこでは音色がどんどん変わってゆくのだ。音形は全く同じなのを片方わざと遅くしたりしながら弾いて行くと、同じ音が重なり合う瞬間は音が強くなる。それはわかると思うが音色が変わるのにはびっくりした。一緒に聞いていた人もピアノの音からホルンの音が出てきたのにビックリしていた。
そう、こういったことは全く録音できないし、オーディオシステムのような点からの音源ではかなり難しいのです。
この点ではアナログもデジタルも全く変わっていないということに誰もが見切りをつけてもらいたいものです。ハイレゾになろうがデジタルでも録音には限界があるし、今のスピーカーを使うシステムの問題もあるわけです。逆説的にサラウンドシステムを志向する人は、オーディオマニアのような嗜好がなさそうだと考えています。ようはスピーカーの数が増えればあまり気にならなくなるということなのでしょう。
もちろんそれでもこだわる人はいるのでしょうが。スピーカーとアンプの数が増えて金額的にも大変だと思うのですが。
アナログとデジタルの問題ですが、私らカメラマンの間ではさほど話題になりません。理由は視覚と聴覚の違いだからでしょう。人では視覚は最上位の情報源です。その次に聴覚、そして嗅覚と味覚でしょうか。視覚の方が社会性があるから個人差は少なくなると考えています。そしてアナログに比べた場合の圧倒的な流通の仕方が違います。デジタルは速いです。この速さこそがデジタルの魅力でしょう。
それではアナログの魅力は?一発でわかることと実は保存性です。物として残したものがちです。その辺はデジタルでも変わらないのですが、読み出し機器がなくなると一発アウトというのがデジタルです。そういった目にあってきた方はいっぱいいるのではないのでしょうか。
でもMPEG音源で音楽を聴いてきた奴らに、LPレコードの素晴らしさを言われたりハイレゾの美しさを言われると、かなりムっとくる。
音じゃねんだよ、音楽なんだよ。あのMPEGダメダメシステムをなんとかしようとして音をぶち込んできたけど、作り手が頑張ったから聞けただけ。
コピーを聴いているだけというのは、間違いがないんだから。だからライブに行こう。なかなか行けないけど。