どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

震災で頭が・横河武蔵野 新川選手

2011-10-13 01:51:55 | インポート
風評被害で胸が締め付けられそうになる今日この頃ですが、心温まるニュースが飛び込んできました。
時事通信10/12から
「横河武蔵野(東京都武蔵野市)のスクラムハーフ新川裕太選手が釜石(岩手県釜石市)の選手に「お前ら震災で頭がおかしくなったんちゃうか」と暴言を吐いていたことが12日、分かった。関東ラグビー協会は「被災地域と住民を愚弄(ぐろう)する発言」だとして、同選手を9月26日から30日間の出場停止処分とした。」
詳細はこちら
http://www.jiji.co.jp/jc/eqa?g=eqa&k=2011101200222

個人的に単なるスポーツでのやり取りで、ネタに困った新川選手の発言だと思います。よくある事です。ヤジもコミニケーションです。相手の反応を伺おうとがんばったのでしょうが、知識と経験が不足していたのでしょう。
なおスクラムハーフとはスクラムを組んでいるフォワードとバックスの中間にいる選手で、この場合スクラムからボールを出す重要な仕事をしています。スクラムがうまく行かなかいのが続いたためイライラしたのでしょう。緊張を持続させなければ行けないのに、ヒマというのは辛いものです。そこでこの発言なのでしょう。
確かにこの状態は、よそから見れば頭がおかしくなっているように見えるのかもしれません。
特に釜石シーウェーブスは新日鉄とアイリスオーヤマのスポンサーに被害が出ています。また町のサポーターたちには甚大な被害がでています。この状態で試合をするというのは、頭がおかしくなっても、全くの事です。
震災以降気の振れた首相もいましたが、気が違う寸前の復興大臣もいました。政治もそうなら裁判も小沢関連で、雑誌記事を参照にしたと思われる、禁断の手を使ったりしています。比較的冷静と思われる霞ヶ関も、ここにきて増税を言い出す始末で、チャンスと思っている時点で頭がおかしくなっています。放射能問題と震災問題はゴッチャになりがちですが、マスコミも錯乱しています。当然風評被害からすべて日本人は卒倒状態です。
これを書いている私も震災以来ブログを書いていますが、震災以前だったら気がふれた行為でしょう。もしかすると、新川選手だけがこの世の中で頭がおかしくなっていない人なのかもしれません。貴重な人なのかもしれません。しかし今は少しだけ頭がおかしくなった方が、処世術としてはいいよと教えて上げたい。
せっかく謹慎処分の期間があるのだから、ぜひ釜石でボランティアをなさられるのがよろしいかと。そうすると多少は頭がおかしくなって、こういった問題をおこすことも無くなるのではないのでしょうか。
まあ30日とは言わない。3日でも行ったらいいだろう。別に釜石である必要は無い。正気であるという事がいかに大変なのか、身に染みて解って欲しい。
コミュニケーションの幅が広がって、ラグビー選手としての幅も広がる可能性もある。そのへんも考えるべきだ。
このままだったら、頭がおかしいのは新川選手だけになってしまう。


スティーブ・ジョブス・残された違和感

2011-10-12 21:10:06 | インポート
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訃報のときに駄文を書いておいた。なぜか防衛反応が働いたのだ。
きっとみんなベタほめにするのだろう。誰も悪口を書かないだろう。案の定神格化した記事が目立つ。だから先回りして悪口を書いた。
しかし古くからのマックユーザーはどうだろうか。確かにジョブスは神であったが、よりそう神でもあった。
父がAppleⅡを買ったので、我が家は何となくリンゴ文化であった。10キロベーシックでプログラムを書いていたりしていた。なぜか色を変えると、形がガタガタになる理由が解らなくて苦しんだ記憶がある。
その後なぜかLC475が転がってきたり、マックばかり使って5代目ぐらいだろうか。なのでひどく苦労した記憶ばっかりある。特に文字化けを読めるようになったのは自分でもすごいと思った。
問題なのは、あの肩身の狭さだ。マックを使っているといえば、「あの爆弾出るコンピューターでしょ?」といわれるし、「ああ、あの絶滅危惧種ね」、「時代遅れだね」と平気でいわれる。ウィンが勝手にファイルを保存するのが嫌だ、デスクトップなり自分の好きな所に格納出来るのが整理には便利だというと、「それってバカ?」といわれる。古いマックを修理出来る電気屋があるのだが、その存在をあげつらわれる。
古いマックと新しいマックと2台あるといえば、あきれられる。いや古いソフトも使いたいからといえば、人からは「?」という反応。マックによくありがちな一代限りで開発が終わったソフトがあるからといえば更に「?」。
古いG3にカード差し替えでG4にしているといえば、また「?」。なんで新品にしないのという人はまだ優しい。「やっぱりマックユーザーって変態なんですね」これが一般的。
迫害ですね。
ソフトが無いのもよくバカにされた。個人的にクラリスワークスのあの機能のなさっぷりが好きだったのだが、多機能のオフィス使いからバカにされていた。ディファクトスタンダードでなきゃどうするの?
ゲームは絶望的に少なかった。これはゲーマーから嫌われていた。BIOSを全くいじれないのも嫌われていた。なのでこの辺りのユーザーからは相当いじめられた。特にビル・ゲイツが資金援助した頃には、アホなウインユーザーから思いっきり蔑まれたものだった。
なので逆に業務用にマックはいかが?ゲームはないし、ウイルスを作ってくれる奇特なハッカーもいません。業務用には最適です、と自虐の日々が続いていた。
それでもマックだったのは、マックとは生活になっていたからだ。使う側も使われる側もわがままで、爆弾を投げつけ合って仲良くしていたのだ。出来過ぎ君のウインやリナックスは敷居が高すぎたのだ。
しかしオープン・ドックも失敗し、OSコープランドもいつの間にか消え、ラプソディは何だったのかと思うが、当時その発表の度に、もしかしたらこの自虐の毎日から抜けだせれるんじゃネ、と一喜一憂していたものである。
しかし出来上がったOSはUNIXベースになった。おかげでマックはなんかコンピューターっぽくなってしまった。今使っているのはインテルiMacだが、インテルのせいかわくわく感のないパソコンになっている。でも今のマウスは素敵だと思う。毎日なでて暮らしている。この直感的な操作は、元に戻れないものを感じている。
iMacでジョブスは復活した。ただその後はマックユーザーから距離を置き始めたように思う。それでもたまにiPod nanoのパッケージデザインが、あのマックキューブを思い出させてくれたりする。
その後の快進撃はご存知の通り、経営の神様みたいにもなっている。
旧来のマックユーザーとしては、ジョブスにほろ苦い思い出もある。たまに現れて福音を述べるが、何にもしてくれなかった所がある。それでも離れられなかった私はやっぱりバカ?今回ももっと悪口を書こうと思ったのだが、全くうまく行かない。せいぜいマックユーザーを増やしてくれた事ぐらいしか感謝出来ないのだが。あのウインユーザーを黙らせたのだから。でも恨み言はいっぱいある。
だからあまりスティーブ・ジョブスをたたえないで欲しい。もう本当に帰ってこないのだから、これ以上遠くに送らないで欲しい。

PS.ウォズニアックとの件を追い出したという記事をよく見かける。私の記憶では、ウォズは交通事故で業務に耐えられなくなったからというものだった。多分両方なのだろう。ジョブスはあまりギークが好きでない印象があるからだ。


風評・被害ではないがなんじゃこりゃ

2011-10-12 02:07:19 | インポート
風評被害ではないのだが、何とも言えない話しが2件あったようだ。
一つは明らかに勇み足。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111011-OYT1T00878.htm
大分県の畜産協会会長で県議会議員が、湯布市の「牛喰い絶叫大会」で挨拶し、用例として「セシウム牛はいりません!」と叫んだもの。
完全に勇み足です。大分の牛の安全性を強調したつもりなんでしょうが、周りからは不謹慎と言われてしまう始末。
なお言い訳が微妙なのは、記事を参照してください。ほめられた言い訳ではありません。
なおセシウム牛の問題は稲藁が広く流通していた事と、震災直後で東北の牛を食べて応援みたいなムーブメントがあって、セシウム牛が全国に流通してしまった。普通九州の牛は大阪どまりで東北にはきません。東北の牛も東京止まりで九州には行きません。全国で流通するのはよほどの高級品です。
九州の皆様ご安心ください。そちらにはよほどでない限り九州産の安全な牛しか出回っていません。なお東北よりそちらの方がビキニ環礁やムルロワ環礁によっぽど近いと思いますので、その辺お忘れなきよう。

次はしょうもない話し。立派な風評被害なのだが、なんじゃコリャとしか言いようが無い。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111011-OYT1T00941.htm
大阪府が造ろうとしている橋の橋桁が、福島県郡山市で製造された。橋桁は出来ているのだが住民が放射能を不安視してクレーム、9月から工事が中断したまま、という記事。
まず橋桁は工業的に作られています。耐用年数は100年保証というものです。いったんよそで作ってから運んで組み立てます。放射性物質が混入する可能性ですが、あったとしてもコンクリートで封印されますので飛散する可能性はほとんどありません。内部被爆の可能性はとても薄いです。表面についている可能性があったとしても、工場出荷時に高圧洗浄でかなり除去出来ます。更に内部被爆は無くなるでしょう。
製造時にコンクリートのサンプルを残しているはずなので、コンクリート中の放射性物質の量は測定出来ると思います。全くの推測ですが、放射性物質が含まれていたとしても微量でしょう。大阪府にある土壌中の放射性物質より多いかもしれません。しかしほとんどコンクリートで閉じ込められています。そのコンクリート自体も、もともと天然で微量に放射性物質を含んでいます。お忘れなきようにお願いします。
橋桁は、上をアスファルトで覆います。この厚さだけでも放射線による影響は薄まります。車で通過するなら影響は無いでしょう。歩行者にしても歩道もアスファルトで覆われています。橋の欄干はどこで作られるのかは解りませんが、多分福島産ではないでしょう。大阪の橋を福島に発注しているのは、大きすぎて大阪近辺では作れないかとても高くつくかなのでしょう。欄干あたりは近畿で作るはずです。
橋の下で一生を過ごすなら考えるべき問題かもしれません。この辺もお忘れなきようにお願いします。
まず外部被爆と内部被爆を分けて考えましょう。橋の工事で内部被爆はほとんどないハズです。
それでは橋が老朽化したらどうするんだ、となります。橋の耐久年は100年です。ただ目指せ150年くらいで橋桁は作られているハズです。この目標のためには表面のコンクリートが風化するためには少なくとも30年はかかります。そういったコンクリートで作ります。出来た直後から風化が進んでそれが飛散する橋はそもそもとても危険です。これはありえません。
なので、橋が出来て数年したら橋を塗装すると飛散を防ぐ事が出来るでしょう。これはケースバイケースですが。
そもそも今現在の福島県をもう少し信用したらどうかと思う。必至になって何でもかんでも検査している。県外に迷惑がかからないようにとんでもない努力をしている。それは認めてあげるべきだろう。
むしろ橋の工事で、地域のベネフィット問題が起きているのではないのだろうか。
それとも大阪府民は、橋を食べているのだろうか?だから怖がっているのだろうか。
核由来の放射性物質が全くない土地というのはあり得ない。これだけは確かだ。それを考えて欲しい。
PS
大阪府の話しは多分この後とっても厄介になる。橋桁を発注したのは回り回って大阪府になるからだ。橋はオーダーメードの商品だ。転用は出来ない。なので納品を拒否出来る根拠が無ければ、損害請求が発生する。しかも橋桁のような巨大なものだと保管費だけでも大きいものになる。
発注時に放射能の問題が無かったのに納品段階で問題になっているのは、契約上拒否出来ない。その上放射線量がさほどでもない場合は、拒否する根拠が無い。
なので大阪府が拒否する場合は、橋桁製造の費用と製品の保管が難しい事から、その破壊にかかる費用を最低でも、できれば全額を負担しなければいけない。それがどの程度になるのかは解らないが、最終的には大阪府の負担になる。税金に回ってくる事は確実だ。
建設業者も泣くのだろうが、製造した福島の業者は泣くにも泣けない。
放射能物質については、ホントまじめに考えて欲しい。不安の再生産がスパイラルしている。


盛岡私的観光案内 西下台梨木材木町

2011-10-09 20:53:21 | まち歩き
西下台をもうちょっとと、材木町で前回行けなかった所を追加します。


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西下台の紡績工場後に出来たマンションの前から。機械がモニュメントとして残っています。


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左側が岩手大学農学部の農場です。この辺り日当り良好です。


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駐車場脇の神社。個人宅の中にあったものでしょうか。昭和23年の航空写真からは見当たりません。


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児童館があります。少子化でこういった設備はどうなってゆくのでしょうか。


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その向かいに岩手大学・自啓寮と同袍寮があります。この二つの寮は戦前の高等農林と高等工業の伝統を引き継いでいますので、3月末から4月上旬にかけてストーム等新歓行事でメチャクチャうるさいのです。地域住民がよく我慢していると思います。


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農家が何件かあります。


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こちらの畑は立派。1000平方メートル耕作していれば、税制上農家でいられます。32メートル四方の土地ですからこんなもんでしょうか。


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細い道が。奥に家があるようです。


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左側に岩手大学農学部の取り付け道路があるのですが無視します。大正期の土木工事なので名所なのですが。


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山田線の踏切です。梨木町側に向かいます。


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道を行くと古い家が並んでいます。ここは昔から変わっていません。


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田んぼだった名残で暗渠が入ってます。大学からダイソーに行く近道。


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中央通りのドンつまりにある家。かなり目立ちます。


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戦前からありそうな家です。


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前回通れなかった道。山田線に列車が走っています。


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さてここも材木町なのですが、北上川の護岸に降りる階段がついてます。何があるのでしょうか。


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水が出ています。これを受ける升もあるのでなんか使っていたのでしょうか。


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対岸の夕顔瀬町です。どうみても河川敷に半分家がかかっているようなのですが、大丈夫なのでしょうか。違法な感じがします。


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降り口は二つあるのですが、この水はどう考えても飲用にはならないと思うのですが。昔この辺りで牛を飼っていたので、近所の子供たちもこの辺りでは泳がなかったといってますが、なぜあるのでしょうか。わざわざ作っている事から、何らかの理由があるのでしょう。


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この辺りには古い大きなさいかちの樹があります。あの漆器を洗うときに使う大きな豆の莢の木です。って解るかな?


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この長屋は戦前からあるみたいです。手入れがキッチリされています。


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昔夕顔瀬橋が木造だったころ、この灯籠が橋の中程にあったそうです。木造の橋に大きな石灯籠、ちょっと無理があったみたいです。


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鉄橋からコンクリート製の橋に変わった際、この灯籠を置く計画があったのですが重量オーバーで無理でした。多分共振を引き起こしかねないのでしょう。今あるのはレプリカ。奥に林が見えますが、中州に茂った木です。この中州は江戸時代に人工的に作ったもので、ここに木造の橋があったようです。


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材木町の石垣を間近に見るための遊歩道があるのですが、どこかが陥没したため立ち入り禁止になってます。なおここの夕顔瀬の地名は、前九年の役のとき大混戦があり、人の頭がゴロゴロと夕顔の実のように転がっていたという伝説があります。瀬というのだから昔は川幅が広かったのかもしれません。


盛岡私的観光案内 安倍館前九年2

2011-10-08 15:50:29 | まち歩き
一の蔵邸が続きます。

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安倍館でもこの近所に住んでいました。そのため近所をよく散策していたのですが、当時はこのあたり相当迷路でして、よくこの庭に出てしまったものです。
いまでも凄まじい荒れ方ですが、当時はこんなもんじゃなかった。もっとひどかった。


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盛岡市がお金を出して一気に伐採したりして手を入れましたが、庭の復元にはほど遠く、開墾作業でした。現在では管理人が必至に手を入れてがんばっていますが、復元には至っていません。航空写真の左上に当時の庭が見えますがそれを見ただけでも今の状態のひどさが解ります。


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実はこの庭、灯籠がとても少ないのが特徴です。この規模の庭園ではありえない事です。多分ですが、ここにあった茶室を学校に寄贈した時、石や灯籠もあわせて寄贈したのではないのかと考えています。


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池が広大で3つの島があったようです。建設当時は水があったようです。裏側に小川があってそこから引き入れていたようです。ただ昭和23年の航空写真を見ても、水の量が少ないようです。なのでかなり前から水を張るのを止めていたようです。水漏れが多かったのでしょう。水利権の維持も大変だったでしょう。


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多分ですが、この庭は60年以上手が入っていなかったのではないのかと思います。そのうち庭石や灯籠が散逸したのではないのかと思うのですが、どうでしょうか。回遊式庭園なのに、飛び石がほとんどないのは不思議な事です。家がこうして数寄屋なのに庭とのギャップが大きすぎます。もしかすると庭を完成させられなかった何かがあるのでしょうか。
扁額がとてもいいです。
しかし公開されてから20年経ちましたが、私が住んでいた時の感想では本当にもったいない建物でした。18歳から見てもすごい建物だったのですが、とにかく荒れ放題でした。お化け屋敷となっていました。それをよくここまで持ってきたと、管理人の努力に脱帽です。


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茶室が移転したので井戸のみがその名残を残しています。茶室の位置は特定されていませんが、もしかするとここから30メートルほど奥だったようです。


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3の島と2の島が見えます。昔は安倍館の遺跡と何か関係があるんじゃないかと思ったくらい、深い池です。


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台所裏の井戸。物置も近くにあります。そういえば友人が昔あの物置に住んでいたと言っていた。とすれば使用人の家だったのかも。とにかく残っています。


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風呂場を外側から見ます。屋根が気が利いた感じです。


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門前です。今は広い駐車場があります。昔はここからにして鬼気迫るものがありました。今ではなかなかのスポットです。なお邸内では抹茶が飲めます。


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さて安倍館の遺跡に向かいます。昔はこんな家が多かったのですが、新築の家が増えています。なにしろここはスーパーがちょっと遠いだけで、とても便利なとこです。あの湿気さえ無ければ最高の場所です。


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安倍館の遺跡です。中世の城郭です。堀がかなりよく残っています。で面白いのはその城郭跡が住宅地な事。かなり昔からそのようです。


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バス停と白石パンの建物。もしかすると工場だったかもしれません。


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城趾本丸に向かいます。


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安倍館八幡神社があります。


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東側は北上川で、崖になっています。20メートルはありそうです。そして堀がとても深い。


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神社の脇には公園があります。使われている気配がない。


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立派な解説があります。


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本丸の右となりに行きます。


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堀の北上川向き。


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道路の方です。


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ここが3.11で崖崩れしたあたり。忠魂碑と安倍館神社があります。この城跡ですが、連郭式という横並びの作りです。こんなんでどうするんだと思われるでしょうが、中世の千人単位での戦闘だったらこんなものでしょう。


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古い家から新築まで混在しています。


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城跡の北端です。家の土台が気になります。


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その北端で、なんで庭石がここにあるんだと不思議に思う。


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中世の堀がはっきり残っているのは珍しいようです。


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先ほどの一の蔵邸を作った阿部氏の墓所のようです。



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安倍館の北端はこんな感じの坂になっています。


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さて前九年に向かいます。とはいっても前九年のうち安倍館の遺跡に関わる部分です。この道から考えても、城趾のすぐ前も崖に近い所だったようです。


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この辺りは農家が多かったようです。お屋敷もあります。


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謎の駐車場。コレクションでしょうか。


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ずっと下がってゆきますと小川があります。


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もう少し行くと、もう一本あります。あの城趾ですが、ポコっと高い所にあって、正面に沢があったようです。緩い谷があったと思います。敵を発見しやすく、侵入が難しい場所なのが解ります。実は城趾としてはかなり広くて、ここから500メートル先の天昌寺までがおよその城趾です。


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上ってゆくと、前九年の通りに出ます。実は安倍館と結ぶ道が一本しか無いのです。ここが住むには安倍館の欠点です。まあ旧4号が前なので問題は無いのですが。


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農家ですね。


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ここにも残ってます。


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コルビジェ風のアパート。ウエットに見えるのは土地柄のせい。なんか流行っていたみたいで、何件かこんな感じのアパートを見かけます。


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自然に帰ってゆく車。なんなんでしょうか。実は史跡なのですがここは。


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その脇に、塚があります。敵見ガ森というのだそうです。前九年の役のころにはあったようですが、安倍館の遺跡とも関係しているのは確かでしょう。なぜか地名は狐が森だったと思います。


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天文台のある新聞屋さんと、奥にはお菓子屋さんの工場。実は宮沢賢治で有名な、盛岡の光源社は初めはこの辺りにあったそうです。


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脇に入ります。また農家発見。


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コンクリートブロックむき出しの家。かっこいいです。


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やはりとても便利な場所なので新築の家が多いです。でも空き地もあります。ネコジャラシがきれいです。


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またしてもミニ公園発見。いったいどうなってるんでしょうか。そういえば仙北町で幅2間奥行き5間程度の売り地があったなー。通りに面していたけど不可解な物件だった。ああいった土地がこういった公園になるのでしょうか。



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さてぐるっと回って戻ってきました。次は前九年と天昌寺と大館町か。エリアが広すぎるな~。でもこの広いエリアでないと、安倍館城趾と前九年の役の廚川の柵が説明出来ない。
自分でも思うが、この企画長過ぎると考えているのにどうしよう。今回だって長すぎると思って、ちょっと説明のための写真を落っことしているし。まあおいおい考えてゆきます。