どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

障子を張り替えた

2017-09-15 00:57:31 | 日記

 

今日も天気がいい。障子の張り替えをやろう。障子に霧を吹き、湿らせてからゆっくりと剥がしてゆく。そして桟を拭き、残ったノリや紙を剥がしてゆく。できるだけ綺麗に剥がした方が次の張り替えが楽になる。

障子を乾かしている間に買い物にゆく。

 

 

ロヒンギャ問題が拡大して、40万人の難民がバングラディッシュに押し寄せている。そもそもの始まりは、弾圧に対して武装勢力が現れ、1年間でネットワークを作り上げたこと。これによりさらに反乱の規模が拡大、多数の集落にまたがるようになった。ただそれでも村によっては穏健派だったり、長老や村長などの指導者は穏健派だったりする。そう言った人々は密告や通報したりしてきたのだが、武装勢力によって殺されているとミャンマー政府は考えている。まあ武装勢力はミャンマー政府がそう言った穏健な村を焼き払ったり一般人の殺害やレイプを行なっているという。どちらが正しいのかは、今のところわからない。

ただロヒンギャ問題が出たのは最初人身売買の問題だった。近隣の国に人身売買され、殺されていたのだ。性的奴隷だけではなく強制労働もあったようだが、誰が売ったのかもよくわからない。ミャンマー政府ではない感じもするが、買った国もイスラムだったりする。そしてミャンマー政府はロヒンギャを国民として認めていない。バングラディッシュも認めていない。ペルシャ系とも言われているがどこか遠くから流れ着いた人としか誰もが認識していない、不思議な民族なのだ。

以前からロヒンギャに関する情報で困惑するのはこの点なのだ。バングラディッシュもこのロヒンギャ問題に関しては当初とても冷たかった。そして今でも暖かいとは思えない。

ロヒンギャのバングラへの移動が始まってから、国境を地雷で封鎖しているという。ミャンマー政府はそれは以前から設置していたものだというが、明らかに新しいものもあるようで、これがまたミャンマーとバングラディッシュとの間に紛争があったかどうかわからないので、なんでこんなのがあるのかがわからない。

さすがに国連がミャンマーにイスラム系少数民族のロヒンギャ族に対する暴力を停止するよう求めた。だが今現在焼け石に水の状況だ。スーチー女児も国連会議から逃げたと言われているが、この問題は、真に根が深そうだ。

そこにアルカイダがミャンマーに聖戦を布告した。で、これはとても遅い。なんで彼らがここまで遅かったのかといえば、国際的に問題になるまで考えていなかったからではないのか。本来ならばバングラディッシュやインドネシアがもっと早くに避難するべきものだった。アルカイダは次のシンボルにウサマの息子ハムザ・ビン・ラディンを据えようとしているという噂がある。父に一番近くいたというのが理由のようだが、それ以上にアルカイダのビデオに一番多く出ているというのが大きいようだ。この後継者が前面に出る前に、国際的な事件に関与すべきという考えがあるのだろう。そしてISISの力が衰えている今だからこそ、新しい戦線と戦士を手に入れられる機会として、ロヒンギャに戦線するのだろう。

だが、仏教徒から嫌われ近隣のイスラムに嫌われ、人身売買の対象になるとすれば、それはシーアでありしかも極端な異端と考えられる。ニザリだとすればその輪廻転成説が結構仏教からすれば嫌なものになる。チベット仏教だって同じ家系から宗教指導者が出るとはしていない。もしもスンニの過激派のアルカイダがロヒンギャと出会ったら、逆に彼らを虐殺する可能性がある。

調査したのかなぁ。でもアルカイダがロヒンギャを助けられたとしたら、イスラムにとっては教義上の大革命になるだろう。実は期待したい。

ということで、ウサマ・ビン・ラディンのパキスタンの家を襲撃して殺害したアメリカ軍が、あの別荘から押収した物品の公開を近くに行うようだ。ただしポルノビデオは除いて。

ビンラディンの隠れ家からポルノが見つかった、という話は、何も新しいニュースではない。第一報が出たのは、2011年5月2日にビンラディンが殺害された直後の5月13日。ロイター通信が匿名の米政府高官の話を元に、パキスタン北部アボタバードの隠れ家からポルノが発見され、これらは「現代的で電子的に録画されたビデオであり、かなり広範囲に及ぶ」とスクープした。」

それを今でも公開しないという。理由はそもそも公開されるものではないし、ウサマのものであるかどうかわからない。そう言った理由だ。どちらにしてもアルカイダはビデオを公開しても、これはフェイクだというだろう。ただ永遠の疑惑として残るだけで十分だろう。

54歳でヒゲから髪まで白いウサマの姿は、自暴自棄になった人の後ろ姿にも見える。

 

 

北朝鮮問題では、ニューズウイークに「強気の北朝鮮 メディアが報じなかった金正恩の秘密演説」というのがある。16年の3月6日に演説したものとされているが、17年の4月10日に北朝鮮で公開されたものだ。

詳しくは記事で、なのだが骨子としては北朝鮮の彼らの歴史観が出ているもので、初代の建国と発展、2代目の工業国としての発展と苦難の日々、そして3代目の水爆とICBMをもつ軍事大国として世界に冠たる国家になったということでいいだろう。つまり正統な系譜にあるのだというものだ。

<首領さまが工場でできた初の機関銃で響かせた銃声は、今日の国と民族の自主権と尊厳を固く守る核爆弾、水素爆弾の巨大な爆音となってこだましています>

この引用は、あるあるだねということ。水爆の方がすごいよ。

「ある家を訪ねた将軍さまが釜のふたを開けようとすると、小さな手で釜の中の雑草がゆを覆い隠そうとした幼い子が居ました。たとえ凍え死ぬようなことがあったとしても、将軍さまの懐を離れて他人の家の軒下へは絶対に入るまい(中国などへ脱北しないとの意味)と固く誓い、将軍さまの懐にさらに深く抱かれた人々が居ました。そのような人たちがまさにわが人民でした」

北朝鮮ウオッチャーではない私にとっては、政府が直接こう言った発言をしているというのに驚いた。金正日時代の大飢饉の話だろう。だがあの時には対外的に強気だったという記憶しかない。この後は、そんな艱難辛苦を超えて私らは強くなったという。

さてその文脈で14日の朝鮮アジア太平洋平和委員会の北朝鮮の発言は、なかなかだ。

日本列島を核兵器で「沈める」と警告するとともに、最近の核実験に対する追加制裁決議を行った国連を破壊して「廃墟と暗黒」にすると威嚇した。国営の朝鮮中央通信(KCNA)が報じた。」

国連から離脱してから言えよ。とは言っても国連から離脱したら交渉の手段がほとんどなくなる状況では、かなり難しい。

ただこう言った時に「4つの列島でできた国は、主体(チュチェ)思想の核爆弾で海に沈めるべきだ。日本はもはや、わが国の近くに存在する必要がない」とはいうが、チュチュ思想の核爆弾という言い方が、たぶん本当の意味なんだろうな。我々は強いから屈服せよと。現実の核ではなく思想が強いのだというのだろう。

強気すぎる北朝鮮がなぜここまでエスカレーションするのかといえば、ビック・ピクチャーの完成のためなのだろう。金正恩が生き残ればこの絵は完成するからだ。

その意味では主体思想の破壊こそが、最も重要なのだろう。だが今の所、韓国ドラマのUSBをばらまこうが何しようが成功していない。

 

 

障子は100均のもので揃えた。5%レーヨンを含んだ紙だ。それでも紙はいい。

だが問題は去年買った紙が結構折れていてどう皺を伸ばすのかということだ。パリッと張れないわけで。最近ではやってはいけないと言われている「貼ってから霧をふく」というのをやりましたが、夜になると湿度が上がったのか少し伸びてきました。

ガリっと乾かさないといけませんね。

 

 

障子を張り替えるたびに、徒然草の184段の話を思い出す。

義景、「皆を張りかへ候はんは、はるかにたやすく候ふべし、まだらに候ふも見苦しくや」とかさねて申されければ、「尼も、後はさはさはと張りかへんと思へども、今日ばかりは、わざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理(して用ゐる事ぞと、若き人に見ならはせて、心づけんためなり」と申されける、いとありがたかりけり。」

武士としての倹約の心を伝える話でもある。障子は破れるたびに少しづつ貼って直したりするものでもあった。それは紙が高いものだったからだ。だが今や100均でさわさわと張り替えることができる。そこに驚きがあるのだがそれ以上に、尼になった身分で差配もできない。だが今あるのはところどころ破れた障子、人が来るのになんでこんなことまで気がつかないのかと、憤りがあった上でのこの発言だとすれば、もっと面白くなる。

破れた障子はダメだが、繕った障子は大丈夫なのだ。身内には倹約をいい、客には別なメッセージがある。ウチはきついからね。

ただね、障子を張り替えるたびに思うのだが、これは世間に対する意思表示なのだなと。オレは頑張っています。そう言った感じもある。

だから障子のある家が減るのだろう。


今日もつつが虫

2017-09-14 00:55:20 | 日記

 

もうそろそろ仕事なので機材の確認をした。最近入手したゴドックスのナゾなアンブレラ。アンブレラなんだけど独自のシステムでストロボに直接つけられる。光軸と傘の軸が一致しているから光の質が良くなる。真ん中についているのは反射板でストロボの直接光を反射して直接光がないようにする。そしてデフューザーもつけられて、グリッドもつけられる。グリットというのは高さ5センチ程度の格子状の網を前につけるのだが、この面積の光が強く出る、柔らかいスポットライトというものになる。

なのでこのシステムは傘のみで拡散領域の広い通常のストロボになる。それにデフューザーをつければ通常の少し芯のある光のボックスライトになる。傘と反射板のみでは芯はないけど少し硬い光に、それにデフューザーをつけるとひたすら柔らかい光になる。で、それぞれにグリッドをつけると、なんと言おうかブラシツールの中心がどんどんなくなってゆく感じの、そんなものになる。7通りの光が作れるのだが使いこなせるかどうか。

 

 

傘と反射板でゼリーを撮影した。外光の比率が高い撮影だが、まあこんなもの。

 

 

原則としてこう行ったライティングシステムは被写体のサイズと同じだと大体うまくゆく。なので逆に光があーだこーだと言っても、こう言ったサイズのものでは全く判断できないわけで、それなりにうまくゆく。

 

 

キノコがあったということは秋なのですね。

 

 

秋祭りが始まった。だが「み組」って三ツ割だったと思ったのだが、なんで今日いるのかといえば、実は上田町内まで「み組」なのだそうで、それは知らなかった。あまりにも広域すぎる。

なおニュースなどで盛岡城下開闢以来のお祭りと言っているけど、実際は城下ができてからそのあとで八幡神社ができているわけで、少しタイムラグがある。こう言った伝承は、少し大げさにいうところがあるので、注意しよう。

 

 

北朝鮮が次にミサイルなり核実験をするとすれば、第19回中国共産党全国大会の始まる10月18日の可能性がある。最近中国の嫌な時期に何かするのがあんまりにも多い。その意味ではAPECの11月上旬で、もしかするとトランプさんがその機会に中国を訪問した際にやる可能性がある。

ただ一番考えられるのは、10月18日だろう。ただ空中核爆発のよる電磁波攻撃ではないだろう。ICBMの実験だろう。しかもグアムに向けてではない。前回が問題があった可能性があるからだ。北朝鮮は戦争する気は実はない。ツンデレでアメリカと対等な国家だと中国に思わせたいだけだ。

とにかく大国として認められたい北朝鮮は、プーチン大統領のいう「国民に草を食わせても実行する」だろうから、いつ行われてもおかしくはない。、歴史のある中国やロシアは小童扱いしている。イザとなったらアメリカの前に2カ国で滅ぼすと思う。そして都合のいい傀儡国家を作るだろう。だからこそ北朝鮮はアメリカに認めてもらいたい。

まあその上アメリカが停戦協定を守っていないという大義名分もあるし、この前の軍事演習は控えめでもあったが、国連憲章違反でもあった。示威行為であったからね。

ただアメリカと中国とロシアは喧嘩したくない。北朝鮮は本当にわかっているのだろうか。

 

 

三戸町の岩手医大のアパートが取り壊される。医大なのでいきなりマンションとかではないような気もするが、最近盛岡でナゾの再開発が多い。マンションが多いのだが、アパートの新築工事も多い。

地価の下落は止まっていないのに、賃貸し物件が増えていいのだろうか。人口が減るのが前提ではどう考えても先行きが危うい。特に悪名たかいD建設のアパートが目立つのだが、節税対策にしてもどうなのかと思う。

あまり良くない未来しか見えない。


結構な雨でした

2017-09-13 01:01:42 | 日記

 

ついにミニヒマワリも終わりの時が来たようだ。昨日からの雨は14時まで続き、79.5ミリになった。おかげで今日は引きこもる口実ができた。

そう昨日のニューズウイークの記事、「憤るアメリカ白人とその政治化」はとてもおもしろい記事なのだが、さらに面白く書き換えてみよう。クレイマー氏の著作からの孫引きを少し日本向けに直した。

「大都市に所在する行政部門は肥大化し、公務員らは甘い汁を吸っていると信じている。しかも「大都市」の人たちが自分たちを「田舎者」であると見下している、政治家も結果的に大都市ばかりに目を向けて、自分らのことには見向きもしない、と憤る。彼らにとって、「大都市」とは、大学や地元メディアにより構成されるエリートとホワイトカラーの公務員を意味する。怒りの裏には、行政サービスの財源の分権化が国内の再配分機能を減少させ、世帯数の少ない農村地域では行政サービスの量と質の維持が難しくなっている中で、「大都市部」は良い思いをしている、という認識がある。」

日本は地方交付税があり、このような状況にはないはずなのだが、漠然とそう行った思いをする人は多いのではないのだろうか。東京はなんであんなに威張ってんだ、とか。教育とか細かく見れば東京は財源の大きさが実感できるはずだ。

ホックシールド氏の著作をまとめたところを、またちょっとだけ直してみよう。

「私らは、自分たちを大企業とそれに買収された政治家の犠牲者とは認識せず、自分たちは、真面目に「きちんと列に並んで自分の本分をわきまえ努力して来ているのに」のに、朝鮮人や中国人、そして不真面目な生活保護者が、不当に「列に割り込んでいる」と憤慨している。しかも、意識高い人たちによって、「列に割り込む」マイノリティーに同情するだけでなく、政府の規制を使って、特定のライフスタイルを押し付けてくる鼻持ちならない輩だと怒っている。健康的なものを食べよ、タバコを吸うな、電球はエコなLEDを使え、など全て大きなお世話だ、という怒りである。」

つまり、反政府というより、「自分のようではない人たち」への再配分が嫌なのである。怒りの対象になるのは「怠け者」の日本人の基準から外れた人や「ずる賢い」朝鮮人だ。」

まあこれ以上の書き換えはやめよう。

結論としては、クレイマーとホックシールドの著作を読むと、二〇一六年の大統領選挙は「脱産業化で行き場を失った可哀想な白人労働者らを見捨てた」民主党が負け、雇用を増やすと約束したトランプの経済的ポピュリズムが勝ったという理解ではあまりにも一面的すぎることがわかる。彼女らの描写する「憤怒」「深層の物語」を動員したティーパーティー運動が、従来の共和党を「ぶっ壊し」、その結果、トランプのような人物が共和党の大統領候補になり得る素地を作ったといえるのではないか。」

日本はまだ穏やかな社会でもある。だから顕在化していてもひどい問題にはなっていない。だがこの引用を読むと、小泉内閣のことがうっすらとでてくるのではないか。実は細川内閣の頃からこの忿怒が吹き荒れているのが、日本の状況なのではないのだろうか。

 

 

「なぜ祖国パキスタンがマララを憎むか」という記事もその文脈で見るとおもしろい。

「祖国パキスタンには彼女に批判的な声が少なからずある。ツイッターで彼女を「恥知らず」な「裏切り者」と非難する人もたくさんいた。

 なぜだろう? 彼らの主張を要約すればこうなる。マララは偉くない、パキスタンには彼女より苛酷な運命に耐えている子がたくさんいる、そもそもマララがパキスタンのために何をしてくれた? なぜあんなに外国人に愛される? 本当に祖国のことを憂えるなら、なぜさっさと帰国しないんだ!」
 
最貧層の子の60%弱は学校にいけない、農村部の貧困層の約70%は土地を持っていない、その最下層の40%は生涯その階級から抜け出せない、貧国パキスタンの現状がある。しかしマララは教師の娘から、苦痛は受けたがそれでもノーベル平和賞の栄誉を受け、オックスフォード大学に進学する。その流れを彼女が優秀だからと認めず、CIAやキリスト教との陰謀だと考えてしまう。新しい生き方も考え方も彼らに取っては、無意味なものになる。

しかし苦労して貧困からはい上がり、ようやく中産階級にたどり着いた人たちはどうか。彼らがさらに飛躍して裕福になり、あるいは有名になるチャンスはほとんどない。だからマララが名声を得るようになったことを腹立たしく思う感情が、より強く芽生えるのだろう。」

こう行った感情は、世界共通なものなのかもしれない。日本でもリクルートの江副氏やライブドアの堀江氏が法で裁かれたのは、事後法的な処置で、法の精神から逸脱していると言われているが、報道ですら法なんて知っちゃいないので、未だ嘗て彼らは悪人になっている。
 
 
ああ、昨日書き損ねたが「コンゴ・カビラ大統領とルワンダの利権ーコンゴ中央部、国連とムクウェゲ医師の「忘れられた危機」は読み応えがあるよ。アフリカは遅れた社会だからそう行ったことが起きるんだよという人もいるだろうが、この構造を使って安く資源を購入して来た先進国の罪も大きい。日本も免れない。
 
 
 
 
 
こうしたドゥテルテファミリーが完全に市政を掌握しているダバオでは、麻薬関連犯罪そのものは封じ込められている一方で、有力者が完全にコントロールして「安定供給が確保されている」との情報も根強く、今回のパオロ、カルピオ両氏に対する疑惑もこうした情報を裏付ける形となっている。」

さてこんなことを色々書いて来たら、いいニュースが出た。BBCだ。「サルの自撮り写真の著作権を巡る訴訟、写真家が勝訴」
 
この訴訟はPETAが起こしたというのが特徴だ。環境過激派であった過去があり、未だ嘗てテロリストの印象は拭えない。その前に野生動物に人と同等な著作能力があるのかという問題があって、正確に言えばそう行った認識があるのかという大問題がある。だが法は人にしか適用しないという当たり前の結果になった。撮影を企画したスレーター氏は、動物写真家で動物保護も理解していたから、PETAと共同で記者会見をしている。
 
PETAとスレーター氏は共同発表文で、訴訟が「法的権利を人間以外の動物へ拡大することについて、重要かつ先進的な議論を巻き起こした」と述べた。」

少し馴れ合い感があるが、マカクザルの状況について改善があったといういのが和解の理由だろう。彼らは食用で捕獲されて来たからだ。結果オーライの訴訟だったが、法を拡大解釈しようとした問題は、後々の頃だろう。
 
世界はそこまで制度が動いていないからだ。
 
少なくとも、野生動物の生存圏を巡って生息域の保護は可能だが、人ができるのはそこまでだ。当たり前の結論だが、彼らが野生動物の代理者として訴訟を起こして来た歴史を考えると、話題つくりであった可能性は拭えない。つまり本気じゃなかったのだ。
 
 
 
 
秋ということで栗と枝豆のご飯にした。栗というのはめんどくさい。うまいのは渋皮に近い実だ。だがそれを一個一個剥いたら、つまり爪楊枝で渋皮をほじったりすればいいのだが、その忍耐力はない。とは言え栗むきのハサミで大雑把に向いてしまうとなんか勿体無い。なので鬼皮をむいて渋皮を包丁で始末するのだが、気がつくと夢中になっているのがおかしい。
そうそう北朝鮮が核爆発を使った電磁パルス攻撃を示唆している。水爆なら可能だろう。だが本当にできるかどうかを現代ビジネスで記事にしている。
 
かつての実験と違って、今では微細加工されたCPUなりのコンピューターのシステムで出来上がっている。そこでその微細加工された配線が焼き切れて機能を果たさなくなるというのが今の議論だ。
だがほとんどのコンピューターが電磁波を出さないようにシールドされている。で、ネットワークシステムも配慮されている。そして身近な雷に対する防御もある。日本のデーターセンターはその点恐ろしいほどの鉄壁の防御をしている。特に銀行システムを扱っているところはそうだ。
 
単純な話なのだが、J-アラートが出たら、その微細加工された端末の電源を切ることをオススメする。
 
電気の入っていないCPUを壊すほどの電磁波は、結構きついのだ。
 
ということで、シールドの甘いところで不具合は起きると思うが、実はスマホの不具合がえらいことになると予想している。そちらの社会混乱が大きいのではないのか。もしも北朝鮮がやってくださったなら、アップルやソニーのスマホはいい、となってくるんじゃないんですかね。


ニューズウイークが重い

2017-09-11 22:59:47 | 日記

 

まだ咲き続ける我が家のミニヒマワリです。長続きするものだと感心していますが、最近水着が寿命を迎えているのに、さてどうしようという。

水着の寿命と言われてもなんのことかわからないと思うのですが、使っていると生地が伸びる。そして撥水性とかの機能を持っている表面処理がはがれ始める。その表面処理が部分的にボロボロと剥がれるのが見えてきたわけですね。まあその前に薄くなってきたようです。

対策としてローテーションで水着を変えていたのですが、一気にダメになった感じがします。2つね。予定していたのは別にあって、それはそれ。予想外が2つ一気にダメになったのは

なんでだろうという前に、実は水着としてはこれ以上使っても差し支えない。競技としても多分大丈夫だろう。だがな、男のあそこがな、クッキリするのはどうなのかと思う。寿命を超えた水着は情けないくらいに情けないのだ。

泳ぎに行って発見してしまったのだが、さてどうしようか。

 

 

これはショートボックスの何かを探さなければいけない。対塩素素材で今は適合できる。大通りの藤沢体育堂が閉店セールをしていたのでのぞいたが、程よいサイズでがなかった。残念だ。盛岡の大通りのスポーツ店の最後なので記念にと思ったのだが。

ただおかしなくらいに古いスポーツ店ほど生き残っている。藤沢体育堂も青山の県営陸上競技場近くに移転する。モリサワもその近くだし、量販店ができないことを彼らはやっていると思う。

で、スポーツって量販店でイントロ、通販でマニア、結局地元という流れになればいいなと思っている。実際そうなっているようだ

 

 

 

腕がグダグタなのだが、ニューズウイークにいい記事があった。腹がたつほどのいい記事だ。

まずは毛沢東の孫が失脚した。とは行っても殺されないだろう。ただ独裁者の子孫というのはどう行った生き方をしなければいけないかという見本かもしれない。でもいいやつすぎてどうしようもない。

実は母は私にアメリカ留学を進めていた。なぜならアメリカには非常に多くの毛沢東思想を研究する人がいて、アメリカで毛沢東はジョージ・ワシントンよりも地位が上だって聞いたんだけど、それって、ほんと?」

3500字の博士論文で博士号を取ったというのは、ほんと。

 

 

なんでこの時期にニューズウイークは素晴らしい記事を連発するのか。この記事は咀嚼しきれていない。

「憤るアメリカ白人と孫政治化」ここまで普遍的と言えるのはないだろう。

そして「なぜ祖国パキスタンがマララを憎むのか」を読めば普遍的という意味がわかってもらえるだろう。

 

 

明日は雨だろう


なにごともなく

2017-09-11 00:57:28 | 日記

 

もう終わりだと思っているのだが、ミニヒマワリがなかなか萎れない。超多施肥が効いたのだろうか。

 

 

今日の高松の池は人でいっぱいだった。どうも天気が良いだけではなさそう。来週は三連休なので、手近なところで遊んでお金は来週に回そうという感じだ。再来週も連休なので、特にそうだ。釣り堀が大賑わいだった。

 

 

不安というのはどこから来るのだろうか。日本史で見るならば日本は明らかに進歩し続けた。江戸時代位以降は平和ということもあって目立つ。そして明治維新以降は物質的には恵まれてきた。とは言え戦後のムチャクチャから立ち直って以降の日本は進歩以外はなかったのではないのだろうか。

それが失われた20年、正確に言えば1993年以降なので24年だと思うのだが、実はITが発達して実は進歩している。

デフレは結果的に収入が増えてゆく喜びを失い、荷重サービスへの方向に進んだため労働環境は悪化した。将来が見通せないから不安なのだろうか。

ものすごく進歩した結果不安が増えたということなのが、多分正しい。そこで昔に戻れるかと言えば、その近所付き合いやなんやら、貧しかった時代の互助精神は、実は脆いものだったということに気がつく。今や大昔の農民の互助生活は江戸時代の侍の互助精神に近いくらいめんどくさい。そのような状況では、仲間とか絆とかそういった言葉で叫ばなければ維持できない。いやもっとひどい。盧溝橋事件以降の日本人が正しいという人たちは、その後風紀が乱れていったのを軽く考えている。

本当の情報がないから、迷って不安になるというのはある。迷いというのは大きい。それは情報過多の時代だからこその現象だと言われているが、実際のところは違う。間違いなく個人の価値観を絶対視しなければいけない時代なのだ。社会は変わらないのに、個人を抑圧する制度の問題は大きすぎる。逆に抑圧と感じている人たちは攻撃的になりがちだ。ただそれが全く別な欲求から出ている場合もあるので、注意が必要だ。

不安を蔓延化させる制度としては、不安で商売している人がいるというのもある。健康食品とか保険とかだ。だがそれ以上に報道は、稀にしかない事象を拡大して取り上げることで、人を不安に落とす。

不安を作り上げることで国家統制を行おうとしている可能性すらある。北朝鮮問題では、間違いなく恐ろしい話なのだが、誰もが日本を信じていない。Jアラートを受けて数分後に完璧な逃げ場はない。家から出るな。それでしかない。マシと言えばマシなのだが、結果としてそれも天命だねと受け止めているのが大多数だろう。

そう諦めから不安がきているのだ。

そもそももう日本も成熟して50年だぜ。青年期は終わったと思うんだがね。

 

 

坂口安吾の「家康」を読んでいるのだが、あまりもくどい。その文体にしばらく付き合おうと思っているのだが、「狂人遺書」は諦めた。

絶望的なくどさというのはどこからきているのだろうか。安吾は戦後の社会に全く期待していなかったということなのだろうか。価値が転換した社会で、全てを失った状況での新たな表現なのだろうか。くどい。本当にくどい。延々と平易な言葉で語られる怨念のような言葉は、晦渋すぎて何いっているのかよくわからない蓮実氏の言葉のようだ。

ただ、あの時代の言葉は多分若い人たちにも何かリアリティを持てるかもしれない。

かなり前から社会制度は破綻していたのだよ。それを繕うしかない制度を、延々と批判していたということなのだろう。

今でもそれは通用する。だが民主主義が実現したと思われる時代では、このくどさはなんとも言えない。

本当に深くて暗い川があるのだよ。