「氣」が出るようになっても変わらない。
一つには「氣」の感覚が判らないようだ。
無理もないさぁ。
追求して得た能力じゃない。
未知の感覚は追いかけなければ判り難いのだ。
せっかく氣功が出来ても、活かす事ができない。
だからいいのだ。
下手に利用すると苦しい目に合う。
ワシは他人相手にしないように言ってる。
氣功が出来てもモロモロに対処できるわけじゃない。
安全で本来の使い方で充分なのだ。
それは、自分自身に使う事なのだ。
こんなの珍しいわけじゃない。
自動車が乗れる、絵が描ける、と同じだ。
でも乗れても描けてもプロにはなれない。
プロは自分の存在を懸けるからプロなのだ。
プロきどりが一番危険なのだ。
乗れる、描けるのを愉しめれば充分だ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)