水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
「夢」は見るモノ。
「夢」は持つモノ。
「夢」は現実世界ではない。
だから追いかけるのは趣味だ。
だから実現するのも趣味だ。
趣味なら、勝手にしてくれ。
「欲」は見るモノではない。
「欲」は持つモノでもない。
持ってしまう。
追いかけてしまう。
「欲」は現実世界だからだ。
フッ!
哀しい人間の性(さが)ってヤツさ。
「欲」も実現させるのは趣味だ。
趣味だから、他人がどうこう言う問題じゃない。
勝手にしてくれ。
だが「夢」と「欲」は混同できないぜ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
心と「愛」を混同しない。
それがヒーリングのコツです。
でも例外的に、心のほとんどを「愛」で満たす人がいます。
聖人、聖女、深い意味で高貴な人達です。
故マザー・テレサやダライ・ラマ法王などです。
感染者を抱きしめても感染しない。
重病人を抱きしめて回復させる。
ヒーリングは「分かち合い」です。
しかし「愛」の深さ、大きさで浄化されます。
病を分かち合っても、受け取る前に浄化されてしまいます。
何もこだわらない。
何も考えない。
目の前の苦しむ人を抱きしめるだけ。
究極のヒーリングの姿がそこにあります。
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「愛」は存在そのものです。
だから生物にも物質にも備わっています。
最も普遍的なものです。
だからヒーリングは誰にでも出来ます。
そしてどんな物でも出来ます。
ヒーリングは能力ではありません。
ある方法でもありません。
技ではありません。
もちろん、パワーでもありません。
レベルなんて関係ありません。
誰でも出来ますし、どんな物質も一端を担っています。
しかし、自由に意識して出来るわけではありません。
安定して出来るわけでもありません。
「絵を描ける事」は誰でも出来ます。
しかし誰でも「画家」ではないのです。
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ヒーリングの二つの柱があります。
「器のやわらかさ(大きさ)」
そしてもう一つの柱があります。
「愛」
誰でもが持っている要素です。
でも誰もが安定して維持するのが難しい要素です。
ほとんどの人が「心」の一部だと勘違いしているからです。
「心」が上辺に覆いかぶさるのは事実です。
その為に「愛」は活用され難いのです。
心は元々曖昧な幻です。
不安定が性質なのです。
だから心と愛を混同すると使えないのです。
心を動かさない。
心を「空っぽ」に切り替える。
これが「愛」を活用するコツだと思います。
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家族の最初は男とオナゴのツガイです。
例外はありません。
新たな家族も男とオナゴのツガイからです。
しかも他人同士が最初なのです。
家族と他人の違い。
大きな違いでもあり、僅かな違いでもあります。
見えない世界は大きな違いと僅かな違いが同一なのです。
こちら側の理解度で違う面を受け取るのです。
やわらか度で多面を選ぶ事もできるのです。
家庭は社会生活上の生活共同体です。
生活共同体には家族が一番適しているのです。
それは家族の属性であり本質の「愛」があるからです。
逆の言い方をすると「愛」が薄くなると、
家庭は上手くまわらなくなります。
柱である男女は他人同士です。
属性が薄くなる事も当然あるでしょう。
お互いの意志(意思ではない)で繋がった家族です。
最強でもあり、脆弱でもあります。
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人物がカブるので混同しやすいですね。
でも「家族」と「家庭」は次元が違います。
「家族」は見えない世界に属しています。
「家庭」は現実社会の暮らしに属しています。
「恋愛」と「結婚」の混同と似ていますね。
「家族」は肉体が無くなっても家族です。
家族から欠けるわけではありません。
「家庭」では一人の肉体が無くなると、
一人欠けた家庭になります。
「家族」の無い人はいません。
私達は例外なく、親があり、先祖があるのです。
時には兄弟姉妹がいます。
生存していなくても、家族なのです。
「家庭」の無い人はいます。
成人という意味は「家庭」を築けるという状態です。
築く、築かないは自由です。
築きたいけど、築けないのもあります。
相手の同意があり「家庭」は築くものです。
同意の前に「縁」があり、出会いがあります。
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他人と家族との違いは何でしょう?
血のつながった親子はDNAに共通するものがあります。
でも血のつながらない親子も家族です。
夫婦は基本的に血がつながらない間柄です。
他人と、どう違うのでしょう?
ヒーリングは「分かち合い」です。
そして「分かち合い」の間で浄化される割合があります。
この割合が他人と家族では大きく差がでてきます。
そこに他人と家族の違いのヒントがあります。
科学的差異では他人と変らない家族でも違いがあります。
言葉では「愛」と呼ぶのでしょうか。
「慈しみ」と呼ぶのでしょうか。
「情」と呼ぶのでしょうか。
深い意味を込め「慈悲」と呼ぶのでしょうか。
どの言葉も少しの違和感があります。
でも、これらの違いが他人と家族の違いでしょう。
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病(闇)が消える仕組みがあります。
単純に移動しただけでは消えません。
「分かち合い」で移動すると消えるようです。
消える割合はヒーラー側の意識によるようです。
動く割合はヒーラー側の器の大きさです。
大きさというより「やわらかさ」です。
「やわらかい」ほど多く受け入れられるのです。
器はどこまでも広がるように出来ています。
そして、この器は誰でも持っています。
でも動いた病(闇)の浄化の割合とは別です。
器が大きく(やわらか)ても浄化の割合は正比例しません。
ここがヒーリングの複雑な要素です。
複雑であり、シンプルです。
そして、この要素も誰でも持っています。
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ヒーラー側は病み人から20を受け取るわけではありません。
ヒーラーと病み人との間で浄化されてしまう部分があるのです。
ヒーラーに対して、病み人側をヒーリーとも言う場合もあります。
波動の送り側としてヒーラー。
癒される側としてヒーリー。
私は分かち合いだから、送り側、受け側という区別をしません。
だから受け側という意味でのヒーリーという言葉は使いません。
病み人が身内の場合と他人の場合で違いがでます。
病み人からは同じ20の数値が減った場合を想定します。
病み人が他人の場合。
ヒーラーが受け取る(マイナス)数値は10とします。
20動いてもヒーラーは10だけ受け取ってしまいます。
病み人からヒーラーに病が動く事で浄化が起こっているからです。
10が浄化され、消えてしまいます。
病は移動すると消えるようです。
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病は不安定です。
数値で表せる対象ではありません。
常に変動しています。
生きている、と表現してもいいでしょう。
でも、説明するには数値を用いた方が理解しやすいのです。
数値を例え話として応用している事を前提とします。
ある人の病の数がマイナス100。
その人にヒーリングします。
ヒーリングは、する側の器の大きさで変ります。
「分かち合い」の数値に大きな差がでます。
でも無視して話を進めましょう。
「分かち合い」は必ずしも半分づつの交換ではありません。
時間やその他の条件で様々な「分かち合い」になります。
仮にマイナス100の病が20動いたとしましょう。
病み人の数値は80に減少しました。
ヒーラー側は20を受け持ったでしょうか?
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