水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「光るモノ・8」

2006-05-21 20:40:12 | Weblog

谷川岳の頂上付近の光るモノ。
いわゆるUFO(未確認飛行物体)とは違う。
物体が光っているのではなく、光そのものの感じなのだ。
光が範囲を形作っている感じなのだ。
まぁ、何でもいいけど・・・。

空に光るモノは結構出現する。
雲が光る時もある。
雷のように瞬間の光ではない。
太陽の反射かもしれないが、輝く雲になる。
そして綺麗な色が現れる。

彩雲、瑞雲は科学的に語るモノではない。
出会えばわかる。
神秘的な美しさとの出会いはラッキーなのだ。
輝く美しさとの出会いはラッキーなのだ。
幸運は「輝く綺麗」で知らせてくれる。
誰でも幸運は区別できるモノなんだ。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「光るモノ・7」

2006-05-20 19:04:52 | Weblog

二つの太陽を見た事を思い出したには理由がある。
つい最近の出来事。
夜だった。
月が出ていた。
少し小さい気がした。

山の頂上にかかっていた。
おお、ふぜい、ふぜい。
あれは・・・谷川岳の頂上だな・・・。
あ、あれぇ?
こ、これは、以前あったパターン。
谷川岳は真北にあるのだ。

月は真北に沈まない・・・。
しかも・・・少し小さいし・・・。
あれは何だろう、って考えたってわからんし・・・。
まぁ、いいか、綺麗だし。
綺麗なら、何をしても許される・・・。
ブスとブオトコは正しく生きよう。


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「光るモノ・6」

2006-05-19 21:35:15 | Weblog

ある日、ワシは車で帰る最中だった。
ワシの治療院は北部山の中。
正面にそびえるのは谷川岳。
2000メートル弱のくせに、3000メートル級。
多くのクライマーの命を飲み込んでいる。

頂上が二つある。
通称、二つ耳。
その耳に太陽が沈むところだ。
おお・・・何となく、珍しい風景。
・・・・あれ?
谷川岳って・・・真北。

ふと左横を仰ぐ。
そこには太陽が・・・。
太陽は・・・え~と・・・西に沈む。
じゃあ・・・谷川岳(北)に沈む太陽は何?
沈みきるまで、ワシは車を走らせながら見ていた。

誰も違和感を覚えないのだろうか?
ワシと同じように車を走らせている人は多いのに。
皆さん・・・太陽が沈む方向を知らないのか?
太陽が二つあるのは変だと思わないのか?
・・・まぁ、いいかぁ。
結構、珍しいモノを見られたから。
それに、結構、綺麗だったし。


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「光るモノ・5」

2006-05-18 23:10:15 | Weblog

根性無し故に不可思議な現象に出会う。
出会ってもズボラだから探求しない。
ネコに小判・・・。
小判は光る。
その光るモノが現れるのだ。

小さいのは金粉状態。
大きいのは太陽並み。
ワシは小判より万円札がいいのだが・・・。
役に立たない光るモノしか出会わない・・・。
まぁ、綺麗だからいいけどさ。

明るいところで現れる。
明るいのに、更に明るく現れる。
ラテン系だな・・・。
何だかわからないが、まぁ、明るいからいいかぁ。
最近は不思議とは思わなくなった。
慣れだな・・・。

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「光るモノ・4」

2006-05-17 21:43:55 | Weblog

ズボラやメンドウクサガリ屋。
時々、自然体に近くなる。
すると、もう一つの世界が垣間観られる時がある。
グレちゃん(創造主)はヒネクレているのだ。
力を抜くと御褒美をチラつかせる仕組みを創った。
見せるだけで、与えてくれるわけじゃないけどねぇ。
(ここも勘違いしやすいのだ・・・)

2600年前にブッちゃん(仏陀)も言っていた。
「苦行(力を入れる事)は害になるだけだぜ。
冥想(力を抜く事)はラッキーの扉になるけどなぁ」
鳥やケモノ達に教えていた言葉だ。
難しい言葉じゃないし、誰でも出来る方法だ。

それなのに2600年経っても平和にならない。
教えてくれた事を実行しないからだ。
努力と根性で競争と戦争をしているからだ。
マジメで正しい事を追いかける固定概念があるからだ。

「そんな(こだわる)事、止めろよぉ。
もう少しズボラになれよなぁ」
ブッちゃんの言葉は生真面目な弟子には通じない。
不肖の弟子を持ったのはブッちゃんの欠点だった。


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「光るモノ・3」

2006-05-16 21:07:38 | Weblog

ワシはアホだ。
だが上塗りするほど丁寧じゃない。
アホのズボラだからだ。
ズボラもアホも使い様だ。
活かせば何でもラッキーを呼べる。

根性が無いのが幸いした。
ズボラが幸いした。
自分に力が無いから、自然に逆らわない。
自分に合った自然な歩き方がある。
自然に歩けば、穴に落ちる事は少ない。

い、いや・・・
落ちるのはしょっちゅうかも・・・。
だが根性が無いから、深く落ちない。
ダメージが少ない。
穴から出やすいのだ。

ズボラは世界を救う・・・
・・・かどうかわからないが、
アナタを救うことはあるようだ。
社会的評価は・・・低い。
だが社会的評価はアテにならないものだ。


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「光るモノ・2」

2006-05-15 22:21:22 | Weblog


感覚が狂っているから落ちても気づかない。
落ちている人の共通の言葉がある。
「私は、レベルアップした!」
人はレベルが上がる事はない。
だが、落ちる事はある。
こんな当たり前に気づくまででも歳月がかかるのだ。

普通に歩けるか、落ちるか。
人の道はその二つしかない。
普通に歩きとおせるのはマレだ。
上に上がる時は、人でなくなるのだ。
ウソだと思ったら、死んでみればわかる。
成仏とは人で無くなる時だ。

そんな傲慢な人間だもの。
不思議現象に出会うと都合のいいように解釈する。
現象の解釈は誰にも証明できないから都合いい。
都合のいいように説明するくらいはいいではないか。
だが「自分がレベルアップしたから」なんてのはなぁ。
アホは上塗りしなくても充分なのだ。


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「光るモノ・1」

2006-05-14 23:07:43 | Weblog


ワシは人間として、しっかりしていない。
しかも、それを直そうともしない。
だからかもしれない。
「しょうがないなぁ、アホは・・・」
とか何とか言いながら、女神が守ってくれる。

わけがわからんモノを見る事がある。
女神様の御蔭だと思うが、嫌なモノと出会う事は少ない。
わけがわからんけれど、吉凶でいうなら吉だ。
明暗でいうなら、明だ。
アホだが、そのくらいの判断はできる。

説明がつかない自然現象に出会う。
自然現象か不自然現象かもわからない。
精神世界に関わると、現象も怪しいのだ。
一番多いのは、本人の感覚の狂い(勘違い)だ。
精神世界は勘違いの穴だらけなのだ。
自然体でないと、簡単にワナに落ちる。


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「好転・30」

2006-05-13 21:28:32 | Weblog

この世は流転している。
しかも「好転」している。
この世が好転しているのだから、
この世にある全てのモノ達も好転している。

創造主がそのように創っっちゃたのだ。
この件に関して、誰もモンクは言えない。
好転してモンクを言うような輩も好転している。
渡る世間は鬼も人もウサギも女神もいる。
その全てが好転しているのだ。

好転していると気づくモノ達がいる。
好転しているのに気づかぬモノ達がいる。
それだけの違いだ。
この世に存在しているというのは、ラッキーなんだぜ。

好転は・・・
当たり前の出来事でもある。

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「好転・29」

2006-05-12 19:23:32 | Weblog

神をダシにしてもいい。
神をサカナにしてもいい。
それでメシを喰ってもいい。
人間は腹が減ったらメシを喰う存在だ。

だが、神はダシにもサカナにもならない。
あるいは、ダシにもサカナにもメシの種にも平気でなる。
そんな事ぁ、どうでもいいのだ。
神は・・・かなり・・・いいかげんな存在だ。
マジメな人間が、同じ人間の言葉に引っかかるだけだ。
神はウソは言わない・・・というか、
何も言わないのだ。

神はメンドウくさがり屋だ。
アレコレ言わないが、仕組みは創った。
それもワンパターンで創った。
生きとし生けるモノ、全てにワンパターン。

神は全ての存在に「好転」を与えてる。


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