水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
「好転」だと思えなくてもいい。
思えなくても「好転」なのだ。
アホな人間が全てを解るはずがない。
アホなワシが全てを解るはずがない。
それでも「好転」には違いない。
グレちゃんが創ったこの世だもの。
「神を信じる」とはそういう事だ。
最近、ワシは神が信じられるようになった。
同時に宗教組織は欺瞞だと確信している。
どんな組織であってもニセモノだ。
ワシが知らない組織もニセモノだ。
例外は無い。
それは人間が作っているからだ。
神をダシにしてメシを喰う。
それが宗教組織だと思っている。
どんな立派な言葉を並べてもちょっと違う・・・
神は立派な言葉は言わない。
立派な言葉を飾るのは人間だ。
組織は人間の欲で作られる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
イイ事だけ起こる。
出かけに転んで足を折る事もある。
病になる事もある。
突然倒産になる。
でも・・・イイ事だけ起こる。
好転の姿がここにある。
グレちゃん(創造主)はヒネクレている。
あるいは・・・超優しい。
どちらも同じ意味だ。
「好転」は「難」という扉から入る。
観てしまえば、優しい仕組みだと気づく。
素直とヒネクレは同じだと気づく。
ラッキーの連続。
あらゆる出来事がイイ事だと気づく事だ。
全てが必然かどうか知らないが、
全てはイイ事に決っている。
姿が見えないだけだ。
ワシも狭い心と狭い目の持ち主だ。
だが、見えなくても「好転」だと知っている。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
誰でも「難」というヤツはある。
誰でも「難」が起こるように出来ているのだ。
自他の原因に係わらず「難」はある。
自然災害も国家災害も個人害もある。
原因は大した意味が無いのだ。
原因(過去)より、これから(未来)をどうするかだ。
ワシは女と金とヒマと才能に大量に襲われている・・・。
もうゲップが出る、ちゅうのに・・・。
無いのはガマンできるが、ありすぎるのはメンドウだ。
誰か、金だけでも貰ってくれんかなぁ・・・。
ワシがモテる(女難)のも金持ち(金難)なのも生まれつきだ。
(妄想にも大量に襲われている・・・)
つまり個人の責任や原因でない「難」も沢山あるのだ。
「難」はコントロールできない。
だが好転現象は誰でも作れる。
個人がコントロールできるのだ。
しかも、決して難しくない。
「好転」は「難」ではないのだ。
(この表現の深みを汲み取ってくれぇ)
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
趣味の問題。
問題なら解いてみよう。
解くとは、解放する事だ。
なのに問題を増やして、縛られて、どうするんだ?
解くのは簡単。
手放せばいい。
捨てちゃえばいい。
手放し、捨てても好みはある。
何となく好き、というやつだ。
ワシは「幸運」が何となく好きだ。
幸運にしがみつかなくてもいい。
幸運にとらわれているわけじゃない。
でも・・・幸運は好きだなぁ・・・。
幸運(ツキ)の女神様は好きだなぁ・・・。
好きだから続く。
「ありがとう」の言葉。
こうなれば楽なものだ。
何も考えなくていい。
考える事は自然じゃないのだ。
幸運は自然にやって来るモノだ。
難が有る時の「ありがとう」で幸運は来る。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
同じ言葉は継続すると変化を呼ぶ。
内容に沿った変化を呼ぶ。
「継続は力」というより「変化しやすい」だけだ。
どんな変化かは、言葉によるのだ。
継続が大切なのじゃないぜ。
大切なのは「質」であり外観ではない。
もちろん外観は趣味だから、好きにしていい。
質を求める、求めないのも趣味だ。
趣味は自分の好みであり、他にアピールするものじゃない。
アピールするのも趣味なら、好きにしていいけど・・・。
趣味は自分の好みだから、アピールしても強要しないでね。
「愛人を持とう!」
「世界の警察、ビバ!アメリカ!」
「継続は力なり、継続が大切だぁ!」
たいした違いは無ぇ・・・。
趣味は他から見れば、下らなねぇ・・・。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
災難がある時は「ありがとう」だ。
難有るときに「ありがとう」と言える。
「ありがとう」と思えなくていい。
思えないのは当たり前だ。
だが口で「ありがとう」とは言えるのだ。
「私は心に正直でありたい」
それは・・・無理と無知。
心がどんな仕組みか解ってない。
「心と正直」は夫婦になれない・・・。
心は曖昧と矛盾と混沌で創られている。
しかも、常に漂っているのだぜ。
だから「ありがとう」と思えなくていいのだ。
肝心のコツは「言葉にする事」なんだ。
ヤケクソで言おう。
「ありがとう」
否定の言葉は出さない。
「ありがとう」だけ口に出す。
そのうちに、何かが変化する。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
故御師匠様の言葉を思い出す。
「ありがとう、は難が有りと書くんだ。
難が有った時は、ありがとうなんだ」
ふ~ん、そうなんだぁ、と上辺で聞いていた。
この言葉の深さに気づくのは、ずっと後だった。
ワシは「有り難い事」が「ありがとう」だと思っていた。
全ての事、この世の出来事は「有り難い事」だ。
悠久のあの世からみれば、この世の出来事など点だ。
人と人が出会う事など、とてもマレで不思議な出来事だ。
人の一生など、とても短い出来事だ。
その中の一つの出来事だから、有り難い(めったにない)。
この解釈は深くて正当だと思う。
だが真正面からの解釈だ。
グレちゃん(創造主)はヒネクレている。
意味は深さだけじゃない。
側面からの見方もあるのだ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
継続で形にする事は、正誤から外れている。
つまり・・・趣味の問題だ。
趣味は他人に強要や煽動するモノじゃない。
精神世界に触れると、趣味が見えなくなるようだ。
正誤や真偽にとらわれすぎだよ。
そういう事を踏まえて叫ぼう。
「め~がみちゃん、愛人になって!」
ワシの世界平和も趣味だ。
誰かの世界制服も趣味だ。
心の底に「平和」が趣味の人達がいる。
多分・・・圧倒的多数だと思っている。
正誤や正義や真偽を持ち出さなければ、
世界はもっと楽に平和になるだろうなぁ。
ワシは幸せになりたい趣味がある。
だから継続したわけでもない。
趣味だから継続しちゃったのだ。
「感謝・合掌・ありがとうございます」
これは個人的な趣味なのだ。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
継続は力なり、という。
継続すると「形になりやすい」のは確かだ。
この世(物質界)はそのような仕組みだからだ。
だが力は継続だけではない。
気まぐれだって力だ。
ノーテンキだって力だ。
ナマケモノだって力だ。
スケベだって力だ。
ミミズだってオケラだってアメンボだって・・・。
継続は形になりやすいが、形にして幸せになるかは別だ。
特に自分以外のモノ達が幸せになるか想像してみようぜ。
紹介販売や営業の煽動言葉としてよく使われる。
あれは幹部側が駒を動かす為に使う言葉だ。
受け売り言葉で駒が使うのはなぁ・・・
「思えば叶う!」なんていうのも同じだ。
それほどこの世は単純じゃない。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
光側に伝わる言葉・行い・思い。
幾つもあるもんだ。
いつでも、誰でも、どこでも伝わる。
宝は山ほど転がっているもんだ。
だが・・・拾おうとしないだけだ。
あまりに普通の言葉や行い。
誰でも言っている言葉だ。
だが伝わるのは少ない。
反対の言葉も併用するからだ。
それでは、何もならない。
北に歩いたら、すぐ南に歩くんだもんなぁ。
ある程度は歩き続けなければ届かないよなぁ。
当たり前なんだ。
難しくはないけど、コツはある。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」