水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
ワシはいいかげんだ。
だが、生命力の増減とお金の多寡を交換できない。
それほど、デタラメ(マジメ)には生きられない。
いいかげんだから、無理が出来ないのだ。
根性がないから、いい暮らしの為に働けない・・・。
〇〇の為、働く。
家族の為、いい暮らしの為、社会の為。
そういう働き方もアリだと思う。
アリは働きものだ・・・。
〇〇の為、だから、辛い事込みで給料をいただく。
体や心を壊さぬ程度に頑張って下さい。
〇〇の為、では働けないタイプもいる。
自分勝手なヤツだ。
すいません。
ワシは〇〇の為に生きる事が、本気で出来ない。
好きなようになら、生きられる。
自分勝手ではあるが、他を押しのける根性も無い。
本当の自分勝手だから、他との競争もありえない。
生命を削って仕事なんて出来ない。
ワシは我が身が可愛い。
同じく他の身も可愛い。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
食う為。
辛くても、嫌でも働く。
好きな仕事で食えりゃ、誰でもする。
そうだよねぇ。
好きな仕事は・・・食えないのが多いのだ。
でも、仕事は本来、好きな働きだ。
フリーターもニートも一概でくくるわけにはいかない。
だが「仕事は辛いモノ」という固定概念がありそうだ。
仕事は本来ウキウキするモノ、という事を知らないようだ。
仕事が無い。
それは、給料を貰える仕事が見つからないだけだ。
仕事はどの人にもある。
その人用に、用意されている。
気づかない、か、見つけないだけだ。
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本来のその人用の仕事。
それは(喜んで)働くという事だ。
当然、褒美として生命力が増す。
だが、必ずしも高収入にはならない。
逆に低収入になる場合もある。
元々、本来の仕事と報酬は別次元の問題だ。
そんな事ぁ、微々たる事だぁ。
とは言わない。
社会生活は、メンドウだけどお金が必要だからだ。
どうして、こんなにメンドウな社会にしたのだろうね?
貨幣が無い時代。
本来の仕事をしていた者達は多かった。
本来の仕事でないモノ達も、もちろんいた。
だが、夜は皆で焚き火の周りで歌い踊っていた。
おおらかな縄文の時代がなつかしいぜ。
食えない、なんて、ありえない時代だった。
支え合って生きるのは、地球の生物の仕組みだ。
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一生の大部分を働く。
どうせ働くのなら、本来の仕事がいい。
仕事は「満足」の扉の一つだ。
その扉は、結構大きな扉だ。
働くか、働かされるか。
同じ仕事でも、全く違うものとなる。
幸せは「満足」とペアでやってくるからだ。
働かされて「満足」は味わえ難い。
報酬のお金の多寡で味わえる相手ではない。
高収入は一時的な「満足感」にしかならない。
もう一つ大事な影響がある。
生命力の増減に係わるのだ。
無理して働く。
それは働かされるという事だ。
当然、代償として生命力を使ってしまう。
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心にバランス感覚があった頃。
それは心の余裕があったからだ。
余裕は生命力の余裕だ。
バイタリティがあれば、未来を必要以上に杞憂しない。
生命力が少ない程、不安は増し余裕は無くなる。
最近は、その頃に比べお金はあるのだ。
モノもあるのだ。
欲しいモノも手に入りやすい環境なのだ。
だが、余裕は無くなっている。
生命力は以前よりも少なくなっているのだ。
不安と不平の現代社会。
信じられるのは、お金だけよ・・・。
そんなのは勝手に思ってもいいけど・・・。
お金で満足は買えないのだ。
満足は自分の内部の問題だ。
お金は外部との関係だ。
満足感は買えるけど、満足にはならない。
この違いが解らない世の中になってきた。
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仕事の目的。
お金の為。
生きがいの一つ。
大きく分けて、この二つになるようだ。
だが最近、この目的の割合が変わってきたようだ。
嘗て、仕事は社会に生きる役目だった。
社会に「仕える」「事」が仕事だった。
自分が出来る事、したい事が仕事となった。
もちろん生活の為でもある。
その二つは、同時進行するのが当たり前だった。
生活の為というのは、お金の為だけはなかった。
その人にとっての仕事は、家族にとっても重要だった。
お金さえ儲かればいい仕事では、家族は心苦しく生活するのだ。
嘗ては・・・心苦しく思っていたのだ。
まだ、心にバランスがあった頃の話だ。
最近まで、何とか心にバランス感覚はあったのだぜ。
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「欲」は一見ワルモノに見える。
確かに、落とし穴の機能を備えている。
だが上手く(自然に)使うと生命力を応援する。
生命力を増大させる。
自他の繁栄につながる。
「欲」は「翼・ヨク」になる。
そして「翌・ヨク」(未来)につながる。
翼は強く使うと飛べない。
翼にしがみつくと、落ちる。
翌は追いかければ逃げる。
今をおろそかにするから自滅する。
この世にある全てのモノは無駄がない。
全てが活用できるように用意されている。
使い方。
全ては、それだけだ。
特に「欲」は使い方で空を飛べるか、穴に落ちるかが決る。
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「欲」は感性で使う。
感性は頭を使わない。
心を使わない。
体の深い底で感じるまま。
自他の共通する微にして妙な感覚。
「欲」は自ら発している。
だが自他の共通感覚で使う。
自だけで追いかけて使うと破滅する。
この世の仕組みだ。
自がある。
そして他との共通共存。
すると自他の共栄になる。
「欲」はとても上手くできている。
なんて面白い仕組みだろうと思う。
グレちゃん(創造主)の傑作だ。
とてもオチャメな仕組みだ。
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「欲」は良く使うと生命力を上げる。
「良く」というのは「調和する」という意味だ。
人間社会の「正しい」という意味ではない。
「調和する」とは「自然」という意味だ。
「自然」とは「いいかげん」という意味だ。
「自然体」とは「いいかげんに生きる」という意味なのだ。
「欲」は自然体で使うと生命力を上げる。
「自然体」は頭を使わない。
心も使わない。
追いかけない、逃げない。
感性で使うのだ。
「欲」に重きを置くと生命力は下がる。
追いかけると、生命は壊れやすい。
「欲」は軽く使うモノだ。
「欲」は「翼(ヨク)」の使い方なのだ。
(ん?翼を使った事が無い?
翼は誰でも持っているのに・・・)
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様々な障害の出来事がある。
だが、それはまだ「幸・不幸」が決定してない。
その出来事には「幸・不幸」が含まれない。
「幸・不幸」は心が決める。
例え理不尽な戦争に巻き込まれてもだ。
困難な出来事はある。
厳しい出来事もある。
痛い出来事もある。
悲しい出来事もある。
だが「幸・不幸」は決定してない。
「幸・不幸」の差。
ホンの僅かの「欲」の使い方。
「欲」は肉体(物質・この世の構成物)にある。
そして、心によって幻を見せやすいモノだ。
万物にある「欲」だから使い方がある。
心の「欲」ではないのだ。
体を存在させる「欲」なのだ。
「欲」は深く底にある土台だ。
生命を応援する為に創られたモノだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)