水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
人生の辛苦や歓喜を深く愛した宮沢賢治。
法華経の深遠さに触れてから書いた。
だからこそ、童話が書けるのだ。
ワシは童話を書くには未熟過ぎた。
それくらいは解った。
いろいろ経験したい。
いろいろ体験したい。
喜びや嬉しさや悲しみや淋しさ。
生きていく事が愉しみだった。
そして、それは今も続いている。
結局・・・童話は未だ書けない。
どうやら
タダのナマケモノではプロの作家になれないらしい。
「インゼイ」というパトロンはタダのアホには付かない。
やっと、その事が解ってきた。
ならば、どうする?
と悩むほどワシはマメじゃない。
所詮、悩み続ける根性は無いのだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
純情は誤解されやすい。
イメージ的に清楚と思われやすい。
それは・・・誤解。
純情の「純」は、単純の「純」だ。
「情」は感情だ。
ストーカーをイメージしてくれ。
その方が理解しやすい。
あれが「純情」の形だ。
心は多種多様。
情も多種多様なのに、他を思いやれない。
自分の中のたった一つの感情に支配される。
とても未熟な感情が「純情」というヤツだ。
他との交わりが少ない頃。
心情の複雑さに出会ってない頃。
自分を含め、心は複雑だというのが理解出来てない。
純情ではマトモな作品は出来ない・・・。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
時事ネタは基本的には書かない。
故星新一氏がショートショートの心構えで記していた。
時事は過ぎてしまえばピントボケ。
プロの物書きは手を出さない。
な、なるほど・・・。
ワシが高校三年生の時だった。
ワシはプロの物書きに(ほのかに)憧れていた。
ナマケモノのワシは妄想や空想を食べている。
そうかぁ・・・
プロの作家は「インゼイ」というパトロンがいるのかぁ。
コタツでゴロゴロしていても食べていけるのかぁ。
いいなぁ。
ナマケモノにはナマケモノの職業があるんだぁ。
そして、プロの作家のエッセイなどを読んでいた。
まだアホの純情の頃だ。
今でも純情のままだ。
多少の違いはあるが、アホも付いている。
今はオッサンの開き直りの純情だ。
その頃、ワシには彼女がいた。
彼女に読んでもらうために作品を書いた。
ジャンルがバラバラだった。
小説から詩からシュールなものまで。
そして、行き着いたのが童話だった。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
陽氣を上手く取り入れた人もいる。
例えば野球の有名人では長嶋氏、新庄氏。
周りを幸せにする事を生き甲斐としている。
自分がたっぷり幸せだからだ。
生命力が充分だからだ。
だから、他を幸せにする事が好きなのだ。
病気からの脱却のヒントもここにある。
病(闇)は暗く冷たく淋しい。
自分の事(病)だけを考えている。
そこで、陽氣としての生命力を意識する。
すると、他を幸せ(陽氣)にする意識が生まれる。
こうなれば、しめたものだ。
病(闇)からの脱却は、もうすぐだぜ。
「氣」は意識で呼び込める。
というか、共鳴するのだ。
陽氣に意識を向ける。
陽氣な人と接触する。
陽氣な季節に身を任す。
始まりは「氣更来」からだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
生命力に余裕がない。
「イジメ」の解決に「正しさ」を持ち出す。
それで解決するなら何千年前から無いだろう。
道徳を上から押し付け解決するという発想。
心に対し、あまりに無知すぎる。
ワシよりも無知すぎる・・・。
政治家が言い出すと、無知よりも陰謀かも・・・。
陽の氣。
食べ物からも摂れる。
食べ方でも得られる。
人から分けてもらえる。
場所もある。
そして・・・季節もある。
その始まりが「如月」であり「氣更来」だ。
日本は、とても便利な場所だ。
ただし、どんなに「陽氣」があっても本人次第だ。
必要な事であっても無理やりは出来ない。
この世は個体に自主制をもたせている。
歩くのは本人なのだ。
目の前の宝(陽氣)を素通りする人は多い。
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マジメで正しさや正義を振り回す。
某アメリカが得意とする。
平気で戦争を仕掛ける。
赤ちゃん、病人、お年寄りの上から爆撃する。
正しさ、正義はデタラメなんだ。
ヤクザやならず者と変わらないのだ。
(その腰ぎんちゃくが某日本という国の政治家だ)
「陽氣」は生命力を増大させる。
生命力が充分なら鷹揚になる。
争いなどするわけがない。
正しさや間違いなんて、どうでもいい。
皆が楽しく平和に暮らせれば充分だ。
生命力(陽氣)と平和は正比例するのだ。
生命力の低下する。
すると、より弱い者を虐める。
某アメリカの戦争もそうだ。
学校や会社の「イジメ」もそうだ。
問題とするのは道徳観念ではない。
生命力の低下なのだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
生命力が充分だとイイカゲンになる。
まぁ、何でもいいよ。
物事が鷹揚になる。
こだわらない。
一歩でも二歩でも譲れる。
生命力が不足するとマジメになる。
こだわる。
言い訳として「正しさ」を使う。
物事や人事が厳しくなる。
心の在り方などにうるさくなる。
イイカゲンは許さない・・・。
「正しさ」という大義名分が無い場合・・・。
デタラメになる。
マジメだからデタラメになるのだ。
ヤクザなどはマジメ人間の部類なのだ。
デタラメにマジメなのだ。
イイカゲンではやってられない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
今日から如月だ。
別名「氣更来」でもある。
「氣」は多種多様な氣がある。
だが、通常「氣」と言った場合は「陽氣」を示す。
「陰氣」や「病気」や「殺気」ではないのだよ。
「氣」が扱える。
「氣」が出る。
これらは本来は「陽氣」の事だったのだ。
ところが・・・世の中は混迷期だ。
気難しい顔をした人が「氣」を語る。
陰気なタイプの気功師が紹介されている。
・・・・まぁ、いいけど・・・。
ワシは混乱期なら好きだ。
近代では明治維新の頃が好きだ。
生命力がある。
だが混迷期はなぁ・・・。
生命力が低下してデタラメになってしまった。
イイカゲンは推奨するがデタラメはいただけない。
この二つは正反対に位置するのだぜ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)