水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「暖冬・3」

2007-02-08 22:27:29 | Weblog



人生の辛苦や歓喜を深く愛した宮沢賢治。
法華経の深遠さに触れてから書いた。
だからこそ、童話が書けるのだ。
ワシは童話を書くには未熟過ぎた。
それくらいは解った。

いろいろ経験したい。
いろいろ体験したい。
喜びや嬉しさや悲しみや淋しさ。
生きていく事が愉しみだった。
そして、それは今も続いている。
結局・・・童話は未だ書けない。

どうやら
タダのナマケモノではプロの作家になれないらしい。
「インゼイ」というパトロンはタダのアホには付かない。
やっと、その事が解ってきた。
ならば、どうする?
と悩むほどワシはマメじゃない。
所詮、悩み続ける根性は無いのだ。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「暖冬・2」

2007-02-07 21:31:08 | Weblog



純情は誤解されやすい。
イメージ的に清楚と思われやすい。
それは・・・誤解。
純情の「純」は、単純の「純」だ。
「情」は感情だ。

ストーカーをイメージしてくれ。
その方が理解しやすい。
あれが「純情」の形だ。
心は多種多様。
情も多種多様なのに、他を思いやれない。
自分の中のたった一つの感情に支配される。
とても未熟な感情が「純情」というヤツだ。

他との交わりが少ない頃。
心情の複雑さに出会ってない頃。
自分を含め、心は複雑だというのが理解出来てない。
純情ではマトモな作品は出来ない・・・。


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「暖冬・1」

2007-02-06 22:36:56 | Weblog



時事ネタは基本的には書かない。
故星新一氏がショートショートの心構えで記していた。
時事は過ぎてしまえばピントボケ。
プロの物書きは手を出さない。
な、なるほど・・・。
ワシが高校三年生の時だった。

ワシはプロの物書きに(ほのかに)憧れていた。
ナマケモノのワシは妄想や空想を食べている。
そうかぁ・・・
プロの作家は「インゼイ」というパトロンがいるのかぁ。
コタツでゴロゴロしていても食べていけるのかぁ。
いいなぁ。
ナマケモノにはナマケモノの職業があるんだぁ。
そして、プロの作家のエッセイなどを読んでいた。

まだアホの純情の頃だ。
今でも純情のままだ。
多少の違いはあるが、アホも付いている。
今はオッサンの開き直りの純情だ。

その頃、ワシには彼女がいた。
彼女に読んでもらうために作品を書いた。
ジャンルがバラバラだった。
小説から詩からシュールなものまで。
そして、行き着いたのが童話だった。


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「氣更来・5」

2007-02-05 21:01:16 | Weblog



陽氣を上手く取り入れた人もいる。
例えば野球の有名人では長嶋氏、新庄氏。
周りを幸せにする事を生き甲斐としている。
自分がたっぷり幸せだからだ。
生命力が充分だからだ。
だから、他を幸せにする事が好きなのだ。

病気からの脱却のヒントもここにある。
病(闇)は暗く冷たく淋しい。
自分の事(病)だけを考えている。
そこで、陽氣としての生命力を意識する。
すると、他を幸せ(陽氣)にする意識が生まれる。
こうなれば、しめたものだ。
病(闇)からの脱却は、もうすぐだぜ。

「氣」は意識で呼び込める。
というか、共鳴するのだ。
陽氣に意識を向ける。
陽氣な人と接触する。
陽氣な季節に身を任す。
始まりは「氣更来」からだ。


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「氣更来・4」

2007-02-04 19:13:33 | Weblog


生命力に余裕がない。
「イジメ」の解決に「正しさ」を持ち出す。
それで解決するなら何千年前から無いだろう。
道徳を上から押し付け解決するという発想。
心に対し、あまりに無知すぎる。
ワシよりも無知すぎる・・・。
政治家が言い出すと、無知よりも陰謀かも・・・。

陽の氣。
食べ物からも摂れる。
食べ方でも得られる。
人から分けてもらえる。
場所もある。
そして・・・季節もある。
その始まりが「如月」であり「氣更来」だ。
日本は、とても便利な場所だ。

ただし、どんなに「陽氣」があっても本人次第だ。
必要な事であっても無理やりは出来ない。
この世は個体に自主制をもたせている。
歩くのは本人なのだ。
目の前の宝(陽氣)を素通りする人は多い。


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「氣更来・3」

2007-02-03 21:47:12 | Weblog



マジメで正しさや正義を振り回す。
某アメリカが得意とする。
平気で戦争を仕掛ける。
赤ちゃん、病人、お年寄りの上から爆撃する。
正しさ、正義はデタラメなんだ。
ヤクザやならず者と変わらないのだ。
(その腰ぎんちゃくが某日本という国の政治家だ)

「陽氣」は生命力を増大させる。
生命力が充分なら鷹揚になる。
争いなどするわけがない。
正しさや間違いなんて、どうでもいい。
皆が楽しく平和に暮らせれば充分だ。
生命力(陽氣)と平和は正比例するのだ。

生命力の低下する。
すると、より弱い者を虐める。
某アメリカの戦争もそうだ。
学校や会社の「イジメ」もそうだ。
問題とするのは道徳観念ではない。
生命力の低下なのだ。


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「氣更来・2」

2007-02-02 21:47:59 | Weblog



生命力が充分だとイイカゲンになる。
まぁ、何でもいいよ。
物事が鷹揚になる。
こだわらない。
一歩でも二歩でも譲れる。

生命力が不足するとマジメになる。
こだわる。
言い訳として「正しさ」を使う。
物事や人事が厳しくなる。
心の在り方などにうるさくなる。
イイカゲンは許さない・・・。

「正しさ」という大義名分が無い場合・・・。
デタラメになる。
マジメだからデタラメになるのだ。
ヤクザなどはマジメ人間の部類なのだ。
デタラメにマジメなのだ。
イイカゲンではやってられない。


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「氣更来・1」

2007-02-01 22:15:38 | Weblog



今日から如月だ。
別名「氣更来」でもある。
「氣」は多種多様な氣がある。
だが、通常「氣」と言った場合は「陽氣」を示す。
「陰氣」や「病気」や「殺気」ではないのだよ。

「氣」が扱える。
「氣」が出る。
これらは本来は「陽氣」の事だったのだ。
ところが・・・世の中は混迷期だ。
気難しい顔をした人が「氣」を語る。
陰気なタイプの気功師が紹介されている。
・・・・まぁ、いいけど・・・。

ワシは混乱期なら好きだ。
近代では明治維新の頃が好きだ。
生命力がある。
だが混迷期はなぁ・・・。
生命力が低下してデタラメになってしまった。
イイカゲンは推奨するがデタラメはいただけない。
この二つは正反対に位置するのだぜ。


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