水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「伝染・6」

2007-05-11 10:12:52 | Weblog



伝染は何らかの変化を伴う。
全てを交流していても浅ければ変化しない。
変化のキッカケにはなるかもしれない。
「伝染」を変化を伴うものとする、と定義する。
ある程度まで内部に影響する深さ以上の交流だ。

「時(期)」が同調に導く場合がある。
(「縁」は多分に「時」に作用させられると思う)
「場」が同調に強く働く場合もある。
(これにも「縁」が関係すると思われる)
「場」には「動かない場」と「動く場」がある。

本人の意思により同調する場合がある。
他人の意思により同調する場合もある。
意思ではなく「気づき」で意識が変わる場合がある。
意識が変われば同調の深さが変わる。
意識の変化や広がりは「伝染」の深さに関わる。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「伝染・5」

2007-05-10 23:03:26 | Weblog



自動的に全てと交流している。
だから自動的に伝染する。
だが深浅はある。
どんな相手でも出来事でも深浅がある。
当たり前なのだ。

表面だけの交流。
ある程度まで内側に入った交流。
深い部分の共有や共感の交流。
それらは人と人や人と出来事。
人と自然。
そして「縁」もある。
全てに深浅の違いがあるが、交流している。

差は「氣」の同調度で起こる。
最初から周波数の近い場合もある。

人は「意識」を意思で動かせる。
意識で同調度は変化する。
深浅は、ある程度は本人が決められるのだ。



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「伝染・4」

2007-05-09 23:34:49 | Weblog



基本的には全てと交流している。
銀河系を遥かに超えたイスカンダル。
古代進達が訪れる前から我々と交流している。
地球とイスカンダルは影響し合っていたのだ。

だから東西洋の占星術が生まれた。
古は直観が使えたからだ。
経験や体験から知っていたのだ。
遥か彼方の星が影響している事を。
今の「科学的」よりも事実を的確に見抜いていた。

だからって、アチコチにいる占い師を信じるわけにいかないぜ。
圧倒的にインチキで、残りも圧倒的が勘違いだ。
更に残った極、極、極微な人数にマトモがいる、と思える・・・。
マトモは・・・表に決して出てこない。
これも仕組みを知れば当たり前なんだけどなぁ・・・。


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「伝染・3」

2007-05-08 21:13:52 | Weblog



万物の根元の「氣」
その「氣」は伝染する。
当たり前なのだ。
この世の森羅万象は全て交流している。
全て伝染し合っている。

この世では孤独というのはありえない。
全てが交流する「場」として「この世」が創られた。
全てが自動的に例外なく交流しているのだ。
ヒットラー似のどこかの首相とも繋がっている。
傲慢を人物化したようなどこかの都知事とも。
ワシの傲慢は彼の都知事からの影響かもしれんなぁ・・・。

交流は「氣」によって為される。
当たり前だ。
物質レベルでは交流できない。
原子レベルではぶつかってしまう。
その先からの交流なのだ。
有り難い事に、全てに「氣」がある。
だから全ては「氣」で交流できる。


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「伝染・2」

2007-05-07 23:17:54 | Weblog



「氣」は伝染する。
こんな当たり前の事実。
事実だから納得するのは当然。
だが、深い納得までは年数を要した。
(今の深さも途中経過だと思うけど・・・)
納得には段階があるのだ。

「氣は万物の根元である」
古の深い直観の言葉だ。
量子物理学理論が同じ結論に達している。
超微粒子を「氣」とするならば、だ。
あるいは、超微粒子の更に先を「氣」とするなら。

超微粒子の世界は物質の壁を突き抜ける。
物質と意識に作用する。
つまり、この世の全て。
森羅万象。
物質だけでなく、見えない作用も含めて。
「氣は万物の根元である」


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「伝染・1」

2007-05-06 21:52:13 | Weblog



故御師匠様が言った。
「(この)氣功なんて伝染病みたいなものだ。
側にいれば伝染ってしまう」
10数年前の話だ。
当時は氣功といえば中国気功しかないと思われていた。
(今でも氣功=中国気功という人は多い・・・)

気功が出来るまで修行する。
訓練する(練功という)。
アレコレ学ぶ。
やっと、微弱ながら「氣」が出るようになる。
努力や根性や才能やアレコレが必要だった。
だから気功が出来る人は、それなりに努力を自負していた。

そ、それが・・・
伝染病と一緒に言われては面白くない。
中国気功の人達から反論があったようだ。
無理も無い・・・苦労したのにねぇ。
故御師匠様は、つ、つい、本音を話す。
本音をアッケラカンと話す人を煙たがる人達がいる。

判る事は判るという。
解らん事は、解らんと言う。
だから、とても魅かれる人達もいる。
ワシは・・・魅かれちゃったのだ。
追いかけるなら美女の方がいいのに、
白髪白髭の小太りのオッサンを追いかけた。
1994年の五月だった。


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「端午・5」

2007-05-05 21:43:08 | Weblog



菖蒲や蓬(よもぎ)を湯に入れる。
菖蒲や蓬を入り口や門に飾る。
五月五日の端午の節供だ。
子供の日じゃないんだぜ。
子供はそうでなくてもチヤホヤされている。
(でも無声、有声の期待の圧力も受けている・・・)

見えない「氣」を活かす日だ。
多種多様な「氣」がある。
邪気や悪気が引き起こす病気。
それらを駆除する「氣」を使う。
こんな事でかなりの防御になる。
智恵はこうして使うモノなのだ。

ワシは「氣入れ水晶」を多用する。
生薬のように時期を限らなくてもいい。
もちろん腐らない、枯れない。
風呂にも飲み水にも部屋にも玄関にも使える。
でも、古からの智恵と変わらない。
節供から学ぶ事は多いもんだぜ。


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「端午・4」

2007-05-04 21:23:34 | Weblog



オトコは生活に役立たずだからヒマしてる。
ヒマだと(ロクデモナイ事を)考える。
存在感が薄いから虚勢をはる。
威張るなら、戦いが最適だ。
ヒマだし威張れるし、勝てば存在感もある。
ようし、戦いだぁ!
名目は「国や家族の為」としよう。

薬草としての菖蒲や蓬。
菖蒲は「勝負」や「尚武」につながる。
本来はオナゴの為の節供だ。
オナゴは桃の節供もあるじゃないかぁ。
一つ、よこせ!
こうしてオトコは節供を横取りした。
何とも・・・腹の小さい・・・。

威張るオトコ。
暴力に頼るオトコ。
だが、決して自分より強い相手に向かわない。
威張るオトコは腹が小さい。
暴力も弱い相手にしか使わない。
オトコは卑怯者が多いのだ。


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「端午・3」

2007-05-03 21:01:41 | Weblog



節供は年に五つ。
五節供といい、それぞれに意味がある。
例えば正月の七草粥を食べる行事。
節(気候の変わり目)に身体や運を整える。
智恵は生活の中に活かすものなのだ。
古は智恵の使い方を知っていた。
今はアホばかりだから悪智恵しか使わない。

五月の節供。
薬草が採れる時期だ。
天候が不安定な時期だ。
梅雨などで疫病も流行る時期だ。
種まきや田植えなどの大切な時期だ。

その薬草を門や戸口に飾る。
薬草には「魔(悪気)」を祓う力がある。
魔は病や不運を呼び込む。
これは日本や中国だけではない。
古の世界各地でしていた事だ。
効果があるから続けられていたのだ。
「科学的でない」などと言うアホはいなかった。


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「端午・2」

2007-05-02 22:18:41 | Weblog



最初はオナゴの為の節供だった。
(節供が本来で節句に転じた・・・と思う)
旧暦の五月は梅雨時期。
どうしても疫病が流行ったりする。
大切な田植え時期だ。
田植えはオナゴの仕事だった。

豊作の仕事はオナゴなのだ。
実りある仕事はオナゴが適職。
古来から田植え稲刈りはオナゴの仕事。
早乙女とは早苗を植えるオナゴをいうのだ。

オトコは生産的な事は不適な性だ。
生物的にはオナゴが主でオトコは変形だ。
だから、戦のような非生産事をしたがる・・・。
政治家になっても、非生産事しかしない。
本当はオナゴの直感と母性で政治をする方がいい。
オトコは隅で酒でも飲んで、たまにオナゴの相手をする。
危機になれば、最前線で盾になるか、捨てられる運命なのだ。


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