水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「差・6」

2008-06-10 22:54:26 | Weblog



悲しみ、苦しみ、辛さ、時には憎しみ。
そればかりが浮かんでいる時、
心の中の大部分を占めているように思ってしまう。
無理もないかもしれない。
だが、事実は違うのだ。

心の仕組みはズームアップ機能だ。
一つに焦点を当てると、自動的に大きくなってしまう。
大部分を占めてしまう。
星をみる望遠鏡みたいなものだ。

いろいろな星がある。
それは事実だ。
だが、一つに焦点を当てる。
見えるのは、その星だけ。
焦点を当てた時、他の星は見えない。

                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「差・5」

2008-06-09 22:49:42 | Weblog



心の中は多種多様な塊がある。
嬉しい事も不思議な事も楽しい事もある。
だが、心は悲しみや苦しみに向かいたがる。
悲しみだけじゃないのに。
苦しみだけじゃないのに。

明るい方向。
温かい方向。
ワクワクする方向。
くつろげる方向。
いつでも選択できるのだ。

そこに差がでる基点がある。
ほんの僅かな違いなのだ。
大きな努力じゃなないのだ。
継続する精進でもないのだ。
誰でも出来る選択。
難しいのじゃない。
気づけないだけなのだ。

                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「差・4」

2008-06-08 22:48:19 | Weblog



差がでる。
変化の速度に差がでる。
質に差が出る。
それは他へと影響する。

今の何で差が出るのか?
それは、方向だ。
見る方向だ。
どんな状況でも、方向は自由に決められる。

戦火の中でも、八方塞がりの中でも。
苦しくても、悲しくても。
辛くても、痛くても。
向くのは自由だ。
現実味や計算など関係ない。
360度、あるいは全方向、自由に向ける。

                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「差・3」

2008-06-07 20:42:40 | Weblog



変化は必ずある。
だが、どう変化するかは決まっていない。
同一人物でも、どう変化するのかは未決だ。
過去の事実は変わらない。
だが、その先は決まっていないのだ。

これが科学とは違うところだ。
過去の事実から未来は決まる。
決まるが、計算通りにならない。
法則通りにもならない。
まるっきり、正反対にもなるのだ。

決定の条件は過去にはない。
今だ。
常に今、現在にある。
変化の種類や質は、現在で決まる。

                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「差・2」

2008-06-06 11:30:27 | Weblog



変化はある。
森羅万象にある。
常にある。
物質界(色界)は流転が条件なのだ。

変化も種類がある。
急変も穏変もある。
大変も微変もある。
多変も単変もある。

時間というヤツがセットだ。
時間は変化を創る元なのだ。
時間の無い界なら、変化も無い。
時があるなら、変化する。
時も同じ速度ではないが、変化は必ずある。


                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「差・1」

2008-06-05 23:43:12 | Weblog



運命に差が出る。
健康に差が出る。
生き方に差が出る。
品性に差が出る。

生れ付きの違いはある。
男かオナゴか。
どの国に生まれたか。
どの時代に生まれたか。
どんな境遇にうまれたか。

だが、そこから先に差が出る。
良い、悪いという差ではない。
正誤という差でもない。
あえていうなら・・・
幸か不幸かの差が出る。

                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「15年目・29」

2008-06-04 19:08:09 | Weblog



天職だと感じている。
しかも、仕事を進めると自由になる。
ワシは自由に生きたい。
だから、天職は適職だし幸運職でもある。

ワシのロクデナシの心を鍛えなくていい。
立派に精進なんてしなくていい。
器が自由になればいいのだ。
それが、ワシの能力を進めることでもある。
それが、より自由に生きられることでもある。

この氣功を始めると自動的に楽になる。
辛い事や厳しい事は平行してある。
楽である事と辛い事は同時にある。
真剣勝負で崖っぷちを歩く事と楽は同時にある。
この氣功は、ワシの好みだ。
まだ、まだ、まだだ。
やっと15年目に突入した。
この仕事に出会っては幸せだ。

                                 
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「15年目・28」

2008-06-03 20:53:10 | Weblog



ワシの心は歪だ。
だが、そんなのどうでもいい。
どうせ、大して使わない。
器を柔らかくしたいのだ。

ワシの心はロクデナシで良かった。
多少でも立派だったら未練がある。
こだわりがある。
もっと磨いちゃおうかな・・・。
そうして、人は穴に落ちていく・・・。

自分の心も他のモノも入る器。
器が柔らかくなれば、愉しくなる。
立派になるのじゃない。
正しくなるわけじゃない。
愉しく、楽しくなるのだ。

                                 
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「15年目・27」

2008-06-02 22:30:24 | Weblog



自分の心は邪魔しない。
しないが・・・
器が小さい。
器に流れる量がある。
故御師匠様との違いだ。

器は変化する。
変化できる。
それは理解している。
変化できるが、簡単ではない。
変化する時は、簡単なのだが・・・。

心はどうでもいい。
自動的に使わないでいられる。
だが・・・器なのだ。
生れ付き大きい人もいる。
前世の質と量の違いかもしれない。
ワシは・・・大きくない。
                                 
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「15年目・26」

2008-06-01 22:39:31 | Weblog



心は適当に相手をすればいい。
すると、力を抜いた状態になる。
心に固執しないからだ。
その状態になると、心以外のモノを感じる。

心が邪魔して観えなかったモノ。
心が邪魔して感じなかったモノ。
どうやら、それらが大切な宝のようだ。
しかも、使える・・・。

その一部を使わせていただいている。
他から流れ込んできている。
あるいは、常に包まれていた。
その一部の「氣」の更に一部分。
今のワシの現状だ。

                                 
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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