水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「無と空・26」

2009-03-21 22:20:15 | Weblog



もともと素質はあるのだ。
ワシは無節操の素質はあるのだ。
「こだわらない」と「無節操」は似ている。
本質の違いなど、どうでもいいじゃないか。
似ていれば、近づけるさ。

ワシが愛深き人だとは思えない。
だが、節操が薄いとは思える。
相手が誰でも、あまり影響ない。
超美人でも人妻でも超熟女でも・・・
でもなぁ、20代の若ぇネ~チャンは苦手だ。
10代のネ~チャンはもっと苦手だ。
毛虫と同じくらい苦手だ。
(結構好き嫌いがあるじゃん・・・)

何処かの社長や先生。
威張った政治家、芸能人。
どうせ無関係だと思っている。
まぁ、ポーズとして政治家には辛口だ。
だが、本当は誰でもカボチャと同じだ。

             
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「無と空・25」

2009-03-20 22:29:06 | Weblog



様々な条件にこだわらない。
だから差別しないで関われる。
職種、性別、年齢、貧富はもちろんだ。
人間と人間以外のモノ達。
生きているモノとそうでないモノ。
故御師匠様は差別しなかった。
区別だってアヤシイものだ。

どんな相手にも普通に接する。
それが、どんなに素敵な事か。
それが、どんなに凄い事か。
目の当たりにすれば感動する。

少しでも近づきたい。
同じ様にできなくても近づきたい。
ワシはそう思った。
なんて素敵な生き方だろう、と思った。

             
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「無と空・24」

2009-03-19 22:58:59 | Weblog



広く深く優しい関わり方。
それが「こだわらない」って方法だ。
気取っていうなら「愛」ってヤツだ。
ワシはこれに気づくまで数十年かかった。

「愛」を小さく狭くとらえていた。
「こだわらない」を個人の生き方ととらえていた。
同じモノだと気づかなかった。
同じモノだという例は目の前で見ていたのに・・・

故御師匠様もそうだった。
「こだわらない」生き方だった。
それは、とても愛深き接し方だった。
こだわらないから、愛深き生き方となる。
同じモノだから、当たり前だったのだ。

             
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「無と空・23」

2009-03-18 21:37:21 | Weblog



「愛しなさい」
そんな無責任は言わない。
愛の形さえ解らないのに・・・
宗教組織は無茶を言う。
知らないからだろうなぁ・・・

愛を動かす意思。
具体的に伝法した。
八っつあん、熊さんに解るように。
鳥やケモノに解るように。

それが「こだわるなよ」だ。
字で表したのが「無」だ。
難しいことは言わない。
出来ないことも言わない。

             
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「無と空・22」

2009-03-17 10:56:16 | Weblog



愛は全ての間に存在する。
だが、それが働くのは意思による。
有る、けど動かない。
神はいる、けど動かない。
存在する事と動く、働く事は別なのだ。

誰でも愛の人。
人だけじゃない。
生物、非生物、非物質も含める。
ようは・・・全て愛ともいえる。
全て神ともいえる。
全てに神性がある、とはこういう意味だ。

聖なるモノがあっても動かない。
同時に邪なるモノもあるのだ。
どちらも通常は動かない。
動かすのは、そこにある意思だ。

             
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「無と空・21」

2009-03-16 10:17:55 | Weblog



全ての間に存在するなら・・・
愛=神という図式が成り立つ。
「神はいつでも、どこでもアナタの側にいます」
教会などが言うセリフも、その通りなのだ。
ただ・・・認識は浅いと思う。

キリちゃん(キリスト)が言った。
キリちゃんは愛を知っていたからだ。
「こだわらない」事が愛だと知っていた。
言葉として「神」を使った。
だが、神は誤解されやすい言葉なのだ。

ブッちゃんが「無」を使う。
やはり誤解されやすい。
一般に話をした時には「こだわらない」と言ったろう。
キリちゃんのあの姿は「こだわらない」姿だ。
ヒゲや髪や身なりにかまわない。
「だらしなさ」と紙一重・・・。

             
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「無と空・20」

2009-03-15 22:41:21 | Weblog



愛は間(あいだ)。
何かと何かの間に存在するモノ。
人と人。
人と人以外のモノ。
自と他。

心は多種多様なモノを内蔵している。
宇宙にある星のようなものだ。
通常はその表面のある思いや考えを取り出している。
だが、相反する思いや考えも同居しているのだ。
更に、自分で意識できない思いや考えもあるのだ。

そういう多種多様な思いや考えの間にあるもの。
それが「愛」ってヤツだ。
好きな相手だけにあるわけじゃないぜ。
愛は好きとか嫌いとか関係ないのだ。
何しろ、全ての間にある。

             
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「無と空・19」

2009-03-14 21:56:02 | Weblog



ワシは「愛」ってヤツは個の内のモノだと思っていた。
社会通念や愛の説明も同じだ。
心の中、あるいは魂の土台。
だが、愛ってヤツは、そんな小さなモノじゃない。
個人の心や魂にある、というのは一面だ。

愛も持つ。
愛を育む。
愛が生まれる。
こういう表現で固定概念化していた。

自と他の間にあるもの。
そういえば、嘗てワシは独善辞書を書いた。
その中で「愛はアイダ」という迷言をいっていた。
ワシの書くものはワシの中に無いことが多い。
手が勝手に書いてしまうからだ。
愛はアイダ(間)・・・
何年も前に、指摘していたのに・・・

             
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「無と空・18」

2009-03-13 13:07:12 | Weblog



ブッちゃんは正しい生き方を示したわけじゃない。
楽に生きられる方法を示したのだ。
それは個であり、自の範囲だった。
ところが、それだけじゃなかった。
ワシは個と自の範囲しか観ていなかった。

ブッちゃんは全体を観ている。
全体は個と自を含む。
そして、自と他を全体として話した。
自と他の関わり方。
ここに、もう一つの大きな意味があった。

「無」は個や自だけじゃない。
他との関係に大きな意味を持つ。
それが・・・いわば「愛」ってヤツだ。
「無」は「愛」の側面であり、方法でもある。

             
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「無と空・17」

2009-03-12 23:28:24 | Weblog



「こだわり」は幾つもある。
一つ一つを捨てていく。
時には、まとめて捨てることも出来る。
中々捨てられない「こだわり」も有る。

有っても当たり前。
捨てなけりゃいけないわけじゃない。
力を抜くと、こぼれ落ちる。
力や頭で捨てるわけじゃない。
楽に気楽に自然に、こぼれるのだ。

少しづつ「こだわらない」部分が増える。
その分、苦しみや悩みが少なく小さくなる。
苦しみや悩みは解決しなくてもいいのだ。
自然に小さくなり、自然に消えるのだ。

             
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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