部屋の整理をしていましたら岳父の遺品の中から、おもしろい一冊の本を見つけました。
『こんな部隊もあったか』と題した昭和52年の自主出版物。
著者は湯浅市之助氏。発行・印刷所は湯浅印刷有限会社で著者の住所(桐生市)と同じです。
1銭5厘の召集令状(赤紙)で誰もが、兵隊にならざる得ない時代、著者も支那事変の始まった昭和12年突然、高崎の部隊に入隊される。
この本が傑作だと思いましたのは、これまでも数々の戦記を読みましたが、郷土の兵卒の人が飾ることなくここまで赤裸々に、戦争体験を素直に語っているのは初めてです。本書は、おそらく知人の戦友たちに限定して配ったものなのでしょう。ネット検索しても書名も著者名も手がかりがありません。
高崎に今も「君が代橋」という橋がありますが、あの橋の上で小学生たちが小旗を振って「兵隊さん、萬歳!萬歳!」の声援に送られて部隊に向かった、という。橋の名の由来もこれで見当がつきました。
著者の部隊は、軍人としての訓練も不十分で、素人集団の第二建設輪卒部隊、いわば大工職人さんが中心の特務隊チーム。群馬県内の出身者が多く、知っている県内の地名ばかりが出てきて読んでいて親近感がもてます。
現地で作業に夢中になり、つい戦闘帽の上に粋な?ねじり鉢巻姿、それを見て驚いた将校から叱られた者がいた。また歩哨の兵士が三度呼んでも応えない影を、すっかり敵と間違え騒いだら、ただの大きな犬だった、などとんまな失敗談がつづく。
上海に到着後、「あの飛行機はおれの部で造った翼らしいな」と中島飛行機で働いていたものが自慢して眺めていたら飛行機が急降下、襲われた。なんと敵機を友軍機と早合点。
ある日、部隊が民間の銭湯に入る。入浴時間は10分間。要領のいいものは行進中に服のボタンを外して一目散に駆け込む。たちまち男湯は満杯。図々しいのがいて空いている女湯に入るものも。著者もその一人。そこに白魚の肌をした見事な肢体の女性と遭遇。しばらくして「集合!集合!」の声が。しかし威勢の良くなった男根をしずめるのに、女湯潜入組の著者たち何人かは、「手ぬぐいで前をかくして、すたこら逃げる姿は、あわれな敗残兵のようでなさけなかった」
敵襲があって、一時解散命が出る。どこまでも遠くに、と逃げ込み「助かった」と思ったら、そこはなんと最前線、あわてて舞い戻る。広い中国大陸、北も南も分からない。
上海に「まんじゅう屋」があった。そこに日本人好みの美しい17~8才の支那娘、クーニャンがいた。向こう横丁の「タバコ屋の看板娘」のように誰もが顔をみたくて、毎日まんじゅうを買いに行く。彼女は幼稚園の先生のように兵士たちに支那語を教えてくれた。そこには敵味方のない国際人の関係があった。その彼女が、ある晩三人組の兵隊に襲われて強姦された。彼女を慰めて欲しいと母親に頼まれ、娘から好意を持たれていた著者は、キャラメルを娘に与えたが、彼女はただただ泣くばかり。同じ兵隊のマナーにも天地の差があった。著者の部隊の兵士たちはみな、平和に努力していた純真な娘への蛮行事件にやりきれない感情であった。
著者は、慰安所、遊郭のことなど、性描写もはっきり包み隠すことなく記述しています。今の感覚からすると品も問われ、驚き呆れもされるところですが、当時の一般庶民の感覚はそのようなものであったのだと思われます。むしろ自叙伝は、美化しがちなものですが著者のあけっぴろげの素直さには乾杯したくなりました。
帰還命令の出る直前に上官に呼ばれ
「あと三カ月待って第二回目で帰ってくれないか。そうすれば下士官適任証を間違いなく出すから」
それに対して著者、湯浅市之助一等兵は
「厚意は本当にありがたいことです。しかし、一刻も早く故郷に帰りたいのは人情です。偽りのない本音の言葉です。社会人として一日も早くできることなら帰って日本の為につくすようにしたいと思っています」そして、
「軍隊の階級は、たとえ一等兵であろうとも生きて帰れば、星の一つや二つの違いでは問題にならない幸せ者であると俺は思っていた」と迷わず昇進より早期帰還を選びました。
著者は、戦後は桐生市で印刷業を営み
「平和は実に良いことである。今の日本こそ真の平和はないのではなかろうか。言論の自由も基本的人権の尊重も、憲法によって保障されている。今こそ日本の平和の尊さを誰もが味わい、これから進むべき道を民主的に選ばなければならない時である」とそして一方、現代を「自由なるが故に自由をはき違えている世相に映る」とも案じています。(1978年現在)
私たちの親の世代(戦争体験)は、戦時戦地の話を余り多く語りませんでした。最も多数の兵士群だったはずの兵卒の人達による手記はその割りに少ない。まして裏表隠さず、飾ることなく当時の様子を書かれた本は貴重。それだけに今回偶然、身近な一兵士の手記に触れることができたことは幸いでした。この本は限定本だけに、多くの人に読んでいただけないのが残念です。
東部38部隊(高崎市)入隊当時 後列中央が著者
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