元高校教諭の細谷清吉先生が、出身地である邑楽町、広くは邑楽郡の歴史研究書『古代の邑楽町付観音霊場』を、たつみ印刷(埼玉県深谷市)から発行されました。
著作は4冊目になる本書では、狸塚、篠塚、長柄、東山道武蔵支道、神社そして町の観音霊場についての調査結果をまとめられています。
少し内容を紹介させていただきますと「群馬県は文字が伝来しない古代から、『かみつけののくに』と呼ばれていました。それに漢字を当てるようになって『上毛野国』と表記するようになり、国号は二字と限定されると『上野』と書き『毛』の字を省いて、やはり『かみつけののくに』と読み、東国なまりで『かみつけぬくに』と呼びました・・」
邑楽町の地名「狸塚(むじなづか)」にはかなりページを割いて論述されています。狸塚の呼称の由来については諸説あり。タヌキが土を高く盛った塚に穴をあけて住んでいたものが有力のようです。この狸塚は全国でもただ一つしかない地名で、土地の人でなければ間違えなく「たぬきづか」と呼ぶ、とあります。
なんだか学校の授業を思い出しそうな、ちょっとカタイ講義です(笑)
私は、細谷先生に正課目で受け持たれたことはなく、補習等の授業でお世話になったとこがあったような記憶がおぼろげにあります。
退職後は、郷土の歴史家として研究をつづけられている細谷先生。
大いに見習いたい生き方です。
【細谷清吉】1923年(大正11年)邑楽町篠塚生まれ。昭和18年学徒出陣で東部75部隊(横須賀重砲隊)入隊。昭和21年~46年群馬県立太田中学校・高等学校教諭。現在、泉史会副会長、児島高徳公史跡保存会長、新田史研究会長など。
(写真)上毛新聞
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著作は4冊目になる本書では、狸塚、篠塚、長柄、東山道武蔵支道、神社そして町の観音霊場についての調査結果をまとめられています。
少し内容を紹介させていただきますと「群馬県は文字が伝来しない古代から、『かみつけののくに』と呼ばれていました。それに漢字を当てるようになって『上毛野国』と表記するようになり、国号は二字と限定されると『上野』と書き『毛』の字を省いて、やはり『かみつけののくに』と読み、東国なまりで『かみつけぬくに』と呼びました・・」
邑楽町の地名「狸塚(むじなづか)」にはかなりページを割いて論述されています。狸塚の呼称の由来については諸説あり。タヌキが土を高く盛った塚に穴をあけて住んでいたものが有力のようです。この狸塚は全国でもただ一つしかない地名で、土地の人でなければ間違えなく「たぬきづか」と呼ぶ、とあります。
なんだか学校の授業を思い出しそうな、ちょっとカタイ講義です(笑)
私は、細谷先生に正課目で受け持たれたことはなく、補習等の授業でお世話になったとこがあったような記憶がおぼろげにあります。
退職後は、郷土の歴史家として研究をつづけられている細谷先生。
大いに見習いたい生き方です。
【細谷清吉】1923年(大正11年)邑楽町篠塚生まれ。昭和18年学徒出陣で東部75部隊(横須賀重砲隊)入隊。昭和21年~46年群馬県立太田中学校・高等学校教諭。現在、泉史会副会長、児島高徳公史跡保存会長、新田史研究会長など。
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