ポポロ通信舎

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原子力の社会史

2011年04月22日 | 研究・書籍
1999年発行の『原子力の社会史』を読みました。

著者、吉岡斉(よしおかひとし)1953年富山生、九州大教授。理学部物理学(東大)の出身。

日本の原子力研究は、初期は物理学者茅誠司(東北大理学部出身)らが中心であったのが次第に工学者主導に移ったという。新潟の柏崎原発でも立地条件をめぐって、地(震)学者と工学者の対立があったと聞くが、学者間での専門領域からの立脚した流れ、見解の相違、というものが「原子力」をめぐってもあったのかと思う。

日本の原子力の研究では京都大、東京工大から始まる。学部レベルでは京大工学部の原子核工学科(1958年)が古い。大学院レベルでは大阪大、東京工大、京都大が先鞭。それに対して理、工、農、医の総力で横断的な研究構想をつくろうとしたのが東京大学。たしかに原子力は学際的なアプローチで、という発想はとても優れた考えと思えるがその後、東大では工学部が独走して原子力工学科を設置(1960年)、さらにこれまた工学系研究科に原子力工学専攻を置き総合力構想は消えてしまった(1964年)。

このところ原発問題の解説者としてマスコミ報道に登場する専門家と称する人士に東大出身者が目立つ。なんとも自信たっぷりに「この程度は安全です」と。前述のような「独走」の歴史とまったく無縁でもないように思う。原子力研究者のおごり、過信が今、問われている時なのに。

先進国では日本だけが敗戦後の統制経済の延長で、原子力開発を国策で進めてきた。ここにも不幸があった。原発設置予定地の地元民には上意下達、一方的に「理解」と「合意」を要請された。なんだか、一連のダム建設の構造とそっくりだ。
1999年の著書であるが、この本も今日的な意義を失っていなかった。


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原子力の社会史―その日本的展開 (朝日選書)
クリエーター情報なし
朝日新聞社
コメント (2)
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