労働することの意味
カミュは『異邦人』と『シーシュポスの神話』の二冊で「不条理の哲学」をうち立てたといわれています。(中条昌平氏『果てしなき不条理との闘い』)
『異邦人』では主人公は極刑の運命になりますが、『シーシュポスの神話』では自殺は否定している。人はあくまでも不条理に抗しながら生きる。
ギリシャ神話の『シーシュポスの神話』では人間の存在と世界との関係を不条理ととらえ、これを不断に意識して行動することで初めて人間の存在の意味が生まれてくる。
『コロナ論』(小林よしのり著)の最終章でも、カミュの『シーシュポスの神話』が登場する。よしりんは「経済=人命」の観点からこの神話の労働観に着目していた。
シーシュポスは神々から山の頂まで岩をころがして運び上げる刑罰を科せられた。やっとてっぺんに到着するものの、すぐに岩のそれ自体の重量で、岩は再び転がり落ちてしまう。それでも彼はめげずに何百回も岩を山頂に運び続け、そして転がり落してしまう。まったくの不条理な刑ではあるが、彼は自分こそがおのれの日々を支配するものだと信じ、この不条理をすべて良しと判断し受け入れているかのようだ。諦めでも絶望でもなく。
カミュはシーシュポスの果てし無き奮闘を労働者たちの日常にたとえている、ともいわれている。
これは労働を苦役ととらえる欧米の宗教的感覚への別回答なのだろうか。シーシュポスは転げ落ちる岩をシーっと見つめる。そしてまた立ち上がる・・。カミュは単純かつ過酷な労働の中にもある種の幸せ感が生まれるとしているかのようです。
「頂上を目がける闘争、ただそれだけで人間の心をみたすのに充分たりうるのだ。いまや、シーシュポスは幸福なのだと思わねばならぬ、とカミュは結ぶ」(『コロナ論』)
決して終わることのないシーシュポスの険しい岩運びの連続労働。しかしこの不条理との闘いにおいて人間の生きる意味を感じ取ることができる。そのことは『ペスト』では、保健隊で頑張る公務員グラン、医師リウー、旅人タルー、そして組織的な行動に当初は懐疑的だった新聞記者ランベールもやがて、それぞれの役割を意識し連帯の輪に加わっていく。得体の知れないいつまで危険な細菌を撒き散らしき続けるか分からないペストを相手に。
カミュは『異邦人』と『シーシュポスの神話』の二冊で「不条理の哲学」をうち立てたといわれています。(中条昌平氏『果てしなき不条理との闘い』)
『異邦人』では主人公は極刑の運命になりますが、『シーシュポスの神話』では自殺は否定している。人はあくまでも不条理に抗しながら生きる。
ギリシャ神話の『シーシュポスの神話』では人間の存在と世界との関係を不条理ととらえ、これを不断に意識して行動することで初めて人間の存在の意味が生まれてくる。
『コロナ論』(小林よしのり著)の最終章でも、カミュの『シーシュポスの神話』が登場する。よしりんは「経済=人命」の観点からこの神話の労働観に着目していた。
シーシュポスは神々から山の頂まで岩をころがして運び上げる刑罰を科せられた。やっとてっぺんに到着するものの、すぐに岩のそれ自体の重量で、岩は再び転がり落ちてしまう。それでも彼はめげずに何百回も岩を山頂に運び続け、そして転がり落してしまう。まったくの不条理な刑ではあるが、彼は自分こそがおのれの日々を支配するものだと信じ、この不条理をすべて良しと判断し受け入れているかのようだ。諦めでも絶望でもなく。
カミュはシーシュポスの果てし無き奮闘を労働者たちの日常にたとえている、ともいわれている。
これは労働を苦役ととらえる欧米の宗教的感覚への別回答なのだろうか。シーシュポスは転げ落ちる岩をシーっと見つめる。そしてまた立ち上がる・・。カミュは単純かつ過酷な労働の中にもある種の幸せ感が生まれるとしているかのようです。
「頂上を目がける闘争、ただそれだけで人間の心をみたすのに充分たりうるのだ。いまや、シーシュポスは幸福なのだと思わねばならぬ、とカミュは結ぶ」(『コロナ論』)
決して終わることのないシーシュポスの険しい岩運びの連続労働。しかしこの不条理との闘いにおいて人間の生きる意味を感じ取ることができる。そのことは『ペスト』では、保健隊で頑張る公務員グラン、医師リウー、旅人タルー、そして組織的な行動に当初は懐疑的だった新聞記者ランベールもやがて、それぞれの役割を意識し連帯の輪に加わっていく。得体の知れないいつまで危険な細菌を撒き散らしき続けるか分からないペストを相手に。
コロナ禍の私たち、シーシュポスのような闘いに果たして幸せを見出せることができるのでしょうか・・。
「悲しき天使 Le Temps des fleurs」ヴィッキー Vicky Leandros