群馬県出身の歴史学者、峰岸純夫先生が大泉町で講演※なさるというので、予習に著書『新田岩松氏』を読み始めました。
※11月30日(日)歴史講座『小泉城と冨岡氏』
源義家の子、義国が都から足利に隠遁。その子、源義重により新田の庄が開拓される。以来上野国(群馬)を拠点とする武士団として成長し発展を遂げた新田氏。本書は南北朝の源義貞から戦国時代の岩松尚純までが歩んだ一族の通史ということです。
歴史書は、登場人物の氏名を事前にある程度、記憶しメモしてかからないと十分な理解ができない。そのあたりが、一般に難解と思われ、敬遠されてしまうところなのかもしれない。
しかし群馬、とりわけ新田氏発祥の東毛に住む地元の人間にとっては少なからず興味をそそられことと思う。
新田義貞の鎌倉攻めは、生品(いくしな)神社前で挙兵。一方、足利千寿王は世良田で兵を挙げる。地名が分かるだけにおもしろい。当初は新田氏、足利氏は連合軍を形成していた仲だったが、やがて両氏は対立・・。
家紋(旗印)は大中黒が新田氏。二つ引両は足利氏。これなどは今恒例になっている、太田高校(群馬)と足利高校(栃木)の定期対抗戦に受け継がれている。太田高の校歌には、「操はしるき中黒の~ 旗の嵐に飛びし場(には)~ 坂東武者の代々(よよ)継ぎて~♪」とあり、応援校旗は中黒だ=写真。
話は逸れますが、1108年には浅間山が大爆発したのですね。用水路が埋没し空閑地が出現し再開発ブームになり荘園造成ラッシュへとつながっていく。山の噴火は恐い。歴史書を良く読んで現代人は、過去の自然災害からもしっかり学ばなくてはと思います。
【写真】太田高校応援サイド(桐生城南球場) 新田氏の中黒の旗に「太高健児」の文字が見えます。
新田岩松氏 (中世武士選書 第 7巻) | |
峰岸純夫 (都立大名誉教授)著 | |
戎光祥出版 |
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