「千の風になって」:秋川雅史
バラとハマナスの花
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「花を持って、会いにゆく」 長田 弘
春の日、あなたに会いにゆく。
あなたは、なくなった人である。
どこにもいない人である。
どこにもいない人に会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。
どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。
どこにもいないのではない。
どこにもゆかないのだ。
いつも、ここにいる。
歩くことは、しなくなった。
歩くことをやめて、
はじめて知ったことがある。
歩くことは、ここではないどこかへ、
遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、
どんどんゆくことだと、そう思っていた。
そうでないということに気づいたのは、
死んでからだった。 もう、
どこにもゆかないし、
どんな遠くへもゆくことはない。
そうと知ったときに、
じぶんの、いま、いる、
ここが、じぶんのゆきついた、
いちばん遠い場所であることに気づいた。
この世からいちばん遠い場所が、
ほんとうは、この世に
いちばん近い場所だということに。
生きるとは、年をとるということだ。
死んだら、年をとらないのだ。
十歳で死んだ
人生の最初の友人は、
いまでも十歳のままだ。
病いに苦しんで
なくなった母は、
死んで、また元気になった。
死ではなく、その人が
じぶんのなかにのこしていった
たしかな記憶を、わたしは信じる。
ことばって、何だと思う?
けっしてことばにできない思いが、
ここにあると指さすのが、ことばだ。
話すこともなかった人とだって、
語らうことができると知ったのも、
死んでからだった。
春の木々の
枝々が競いあって、
霞む空をつかもうとしている。
春の日、あなたに会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手にもって
長田 弘詩集「詩ふたつ」より
朝晩は涼しくなりましたが、日中は、まだ暑い日が続いています。
〈きれいな水と、きれいな花を、手にもって〉、
お盆 お彼岸 故人の命日などに墓参する時、いつもこの詩を思い出します。
〈じぶんのなかにのこしていった たしかな記憶〉が甦る、というより共時性を覚えて豊かな気持ちになれるのです。
日差しが明るくなりました。
お元気で お過ごしくださいませ。
この歌は夫が突然逝ってしまった時に毎日聴いて涙したものです
特に2番は心に浸みます
今でも聴くと涙が止まりません
お盆が過ぎお彼岸がやってきます
その度にお寺さんへ行ってご供養します
せめて 元気で居ることを伝え ありがとうを言ってきます
湿っぽくなりました ごめんなさい
この、 「花を持って、会いにゆく」を読む時、病と闘いに行く時の「覚悟」の様なものをしつかりと持つことが出来るんです。
茨木のり子さんの詩集と共に時々読んでいます。
ご主人の突然死は辛かったことでしょうね。 私の友達(60代の女性)も、ご主人が朝自宅を出て、無言の帰宅となり、悲しみから立ち直るまで八年の月日を要したと、おっしゃっていました。死は誰にも平等に訪れます。 今、ご主人様も、グラマンさんの最も近くで、きっと見守って下さっていると思います。
でも別れてもなおそばにいられることがあるのかな?と思いました、この詩を読んで。
たしかにそうかもしれませんね。
心と心がつながった関係だったら、いつまでも心の中で永遠に温めあえるものかもしれません。
温めてもらえるよりも、できれば温められる人間になりたいです。^^
私は死してなお「魂は残る」と思う派なんです!
10歳の時に別れた(天に召された)父との思いで、数々をはっきりと記憶しています。 ことある毎に、思い出し心の中で、呟くんです。 父は姿こそ見えませんが、直ぐ近くに居ると思います!
sakeさんの好きだったお父さんも、きっと「千の風になって吹き渡っている~」でしょうね!
そう考えた方が、夢があっていいのではないでしょうか!
ところで、メッセージ送りましたので、「教えて下さい!」