タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

北風に、松の屏風で、暖かく。

2012-01-31 | 風景

出雲平野の民家は、西側と北側を高い松の並木で囲まれてます。

「築地松」と呼ばれ、出雲地方独特の農村風景を作り出しており、

機上から遠望すると、まるで松の屏風で囲われている様に見えて、

「あぁ~出雲に帰って来たな~」と実感させてくれます。

出雲平野は古くから、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の様にくねり流れ

る、暴れ斐伊川(ひいかわ)の氾濫による洪水に見舞われてきたこ

とから、身を守るため、家の周りに土を盛り上げ、防水用の「築地」

を築き、その築地固めの松などを植えるようになりました。

これが「築地松」の始まりだと言われています。

この築地松は、冬期に日本海から吹きつける強い季節風や雪害

から家屋を守る役目も果たしています。

これこそ、島根の誇る、人々の生活に根差した歴史のある自然景

観だと思うのですが。

 


雪解けて、峡谷の宿、母かえる。

2012-01-30 | 風景

詩人・大町桂月をして、「山陰の耶馬渓」と言わしめた、出雲立久恵峡の冬

の風情です。

若葉や紅葉の彩を脱ぎ捨て、寒々とした冬木立の上、天空に切り立つ断崖

絶壁の峡谷は、鋭ささえ感じる絶景を成しています。

雪解けの青く澄み切った淵に、その姿を映し、名勝天然記念物に指定されて

います。

ここから神戸川沿いの道を、車で遡ること約15分、「出雲風土記」に記される

須佐之男命を御祭神とする、須佐の郷「須佐神社」があり、命の終焉の地と

されています。(私の、御生誕の地でもあります??)

それにしても、景色は見る角度、季節、時間によって、どれ一つ同じものは無い

と言われますが、見る者の心模様によっても、随分と違って映るものですネ。

この日は、母の法要で訪れましたが、雪も溶けこの冬一番の好天に恵まれま

した。

 

 


蝋梅の、黄色い花に、春予感。

2012-01-28 | 風景

街中を歩いていると、あちこちの庭に、蝋梅(ろうばい)の花

が真っ盛り、隣で梅の蕾が少しずつ膨らみ始めており、遠か

らじ、春の到来を予感させる。

よく見ると「ろうばい」の花の色は、透き通るような黄色、中国

原産の花であり、「蝋細工のような梅に似た花」であることから

「蝋梅」の名が付いたというから納得。

それにしても、この花は、花の後、逆さにしたタコ(魚)そっくり

な、この花からは想像し難い、たいへん奇妙な実を着けること

をご存知か。

これも外来種のご愛嬌か?

 

 

 


お手玉や、おはじき今は、インテリヤ。

2012-01-27 | 風景

「あんたがたどこさ ひごさ ひごどこさ

くまもとさ くまもとどこさ せんばさ

せんばやまには たぬきがおってさ

それをりょうしが てっぽうでうってさ

にてさ やいてさ くってさ

それおこのはで ちょっと かくす」~ お手玉遊び歌~

 妻が以前、寄せ集めの端切れで作った「お手玉」や、孫の為に

と買っておいた「おはじき」を、どこからか見つけ出してきました。

コタツにあたって、遊び方を思い出しながらやってみました。

おはじきは、「とおしてうって」「うってとおしてうって」等、また妻は

お手玉で「よせ玉」「おひとつおひとつ」「おさらい」等を、唄い、奇声

を発しながらしばし興じてみました。

昔は、、「お手玉」や「おはじき」は女の子の遊びとして、男の子は

「ぺったん」や「ビー玉」等の遊びが盛んだったもので、地域によって

遊び方に、微妙な工夫が加えられ、たくさんのヒーローや名人が生ま

れたものです。

こうした日本古来の子供の遊びには、子供同士の意思の疎通や、触

れ合い、絆を深める工夫があります。

時代の流れで、形は変わっても、是非とも継承したいものです。


理髪店、プリムラ咲いて、ここも春。

2012-01-26 | 風景

今日は、40年近く通う、理髪店で散髪をして来ました。

外は雪がチラチラ寒いのに、お店の中はポカポカと別世界、髪を切って

もらっている内に、眠ってしまいました。

目覚めると、ピンクと白のプリムラの花が、テーブルの上に咲いているの

に気付きました。

この花は、今の時期、お花屋さんに行くと、必ず店頭を飾っている花です。

色も多彩で、立ち姿、花模様が可憐で、華やかさもあることから、待合な

どに置くと、周囲をパッと明るくしてくれる花です。

プリムラの花言葉は、「最初」~他の花に先駆けて、「最初に咲く花」と云

った意味があるそうです

さすがにプロ、お客さんへの細やかな心配りですね。

この店の奥さんは花作りの名人で、プリムラの横には、大きなブーゲンビ

リヤの木が、ピンクの花をたくさんつけています。


朝日浴び、今朝の北山、薄化粧。

2012-01-25 | 風景

 

昨日の雪はきのうの内に溶け、今朝は、新たに遠くの山だけ薄化粧

している。

雪後雨、時々晴れたり曇ったり、激しく変わる冬の天候、当地も此処の

ところ、そんな毎日が続いています。

テレビを点ければ、レンジャーズに移籍した、ダルビッシュ有の記者会見

大リーグへの関心を否定していた彼だが、移籍を決意した理由として、

「最近は、野球をやるモチベーションを、保つのが難しかった。」「 勝負が

してみたかった。」こと等を挙げた。

要するに、日本では、対決相手に不足があると云うこと、スポーツ選手で

此処まで公言、豪語する選手は稀だと思う。

そこが、並みの人間ではないところ、「世界一」の夢に向かう、男たる所以

であろうか。

何れにしても、彼の言葉が野球を観る楽しみを大きくしてくれた。

雪も止んで、きっと暖かい春が来ると期待したい。


「いざ行かん、雪見にころぶ、所まで」~ 松尾芭蕉~ 

2012-01-24 | 風景

寒波の到来で、昨日とは一変して、窓の外は、深々と雪が降り積もって

います。

短時間に降り積もる雪で、一瞬にして野も山もそして街も、白銀の世界

に変わりました。

春には花々が咲き競い、秋には実を結び、最後の一葉を落とした原野、

鳥獣、草木全てのものが、躍動の春に備えて、深く長い眠りに入ろうと

しています。

 一瞬にして季節の移ろいを見せる晩秋から冬、この静かで清らかな美し

さは、格別のものです。

冬は自然界の大きな区切りであり、「終りの始まり」だから、荘厳な美しさを

感じるのだろうと思うのです。

 

 

 


いがぐりの、親を訪ねりゃ、楓なり。

2012-01-23 | 風景

 雨の中、傘を差して、近くの公園へワンちゃんの散歩に出掛けました。

公園入り口付近の、大きな木の下に、毬栗のような面白い形の実が、た

くさん落ちており、見たこともない実だったので、試しに数個持ち帰って見

ました。

早速調べて見ると、「アメリカフウ・亜米利加楓」だと分かり、二度ビックリ

です。

亜米利加楓なら、私の誕生日(11月)頃、市の運動公園に植えられ

ている並木(楓)の大木が、真っ赤に色付きとても綺麗なので、よく見

に行っていた馴染みの木でした。

なんせ、モミジの大木が一斉に色付くのですから、スケールの大きい

紅葉です。

最近では公園や新道等に、おしゃれな街路樹として、植えられる事

が多い様で、全国的な分布を見せているそうです。

それにしても、「鎖鎌の分銅」そっくりな実ですね。(ちょっと喩えが

古いかも?)


「そのあたり、ほのとぬくしや、寒ぼたん。」  高浜虚子

2012-01-22 | 風景

 大根島に牡丹を見に行って来ました。

島中の牡丹が咲き揃う、ゴールデンウィーク頃にはよく足を運びますが、

この時期、園内の茶店でみそ汁を戴きながら、牡丹を愛でるのもまたい

いものです。

 大根島では、秋の蕾をそのまま残して正月に開花させる「寒牡丹」と

、春牡丹を促成で、冬に咲かせる「冬牡丹」の、両方が植えられていま

すが、私は、どちらかと云えば、雪の中に春をそのまま持って来た様な

多少違和感のある「冬牡丹」よりは、雪囲いの中で、寒さにめげずに必

死で、淡い花を着ける、「寒牡丹」の方により魅力を感じます。

島根の県花「ぼたん」もグローバル化し、最近では、積極的に世界市場
に進出しています。
~ゴールデンウィークころが、見頃ですよ。~

雨上がり、茜の空を、急ぐ鳥。

2012-01-21 | 風景

 10年位前、彦名(米子市)の水鳥公園に、白鳥の写真を撮りに出掛けた際の情景を、

帰宅後にイメージスケッチしたものです。

 行く途中、雨に降られて、半ば諦めの心境で向かいましたが、現場に到着後、しばら

くすると、運良く雨も上がり、空が真っ赤に染まり始めました。

 ねぐらに帰って来る白鳥を狙うには、絶好の撮影コンデションとなり、夢中でシャッタ

ーを切り、何枚かものにしたのを覚えています。

 写真を撮る方は、ご存じですが、夕焼けがこんなに赤く染まることは、年に2~3回有

るか無いか、出会えれば幸運と云うもの、この時は本当にラッキーでした。

 陽が落ちるまでの、ほんの一瞬、「真紅に染まる空を飛翔する白鳥」、ただただ「綺麗

・美しい」と、形容する以外に言葉がありません。

 

 


メジロ鳥、椿の蜜に、誘われて。

2012-01-20 | 風景

 

 小川の上に、「ヤブ椿」が垂れ下る様にきれいに咲いていたので、

久し振りに絵筆を手にしてみました。

 椿の花は、これまでにも幾度となく、日本画のモチーフとして取り

上げています。

 椿の花も昔と違い、見た眼に綺麗な品種がたくさん出てきてい

ますが、私は、日本古来の真紅の藪椿(やまつばき)に、一番趣を

感じます。

 この椿も、咲き切るとポタリと水に落ち、次から次へと開花して

、永い間楽しませてくれる花です。

(ミカちゃん日記)

(冬なのに、暑い~)

「ワタシ、ネコデハ ナイケド コタツガ ダイスキデス イママデ

モグリコンデ イマシタガ アツクナッテ デテキマシタ シバラク 

ユカニ コロガッテ カラダヲ ヒヤサナイト ノボセテシマイソウ

デス」 


ステンドの、淡い灯りに、なごむ宵。

2012-01-19 | 静物

 三十代半ばに、製作本と首っ首っ引きの、独学で始めたステンドグ

ラス製作、最近は遠ざかっていましたが、その時の気分で、少し製作

を始めてみました。

 この作品は、私が初めて作った、本格的なスタンドです。

 部屋の灯りを落として点灯すると、柔らかな灯が漏れて、心地よい

時間と空間が演出されます。

 右側のスタンドは、数年前まで枕元において、就寝前の読書に常用し

ていましたが、今はインテリアとして使っています。

(ミカちゃん日記)

(今日は、珍しくお陽さまが顔を出して、縁側に陽が当たっています)

「イイテンキ コンナヒニハ ヒナタボッコヲシマス ポカポカト アタ

タカクテ スグネムクナッテ シマイマス ナンダカ ヘイワダネ」

 

 

 


大手門、往時をしのぶ、石垣に。

2012-01-18 | 風景

 松江城・大手門口を入ると、正面「馬溜跡」後方にそびえる、圧倒的な存在感の

ある石垣、自然石をそのまま積み上げた、「野面積」という工法によるものの様です

が、とにかく、この一帯の石垣は文句なく美しい。

 最近は、城の石垣を巡る石垣愛好家(石垣マニア)が多く、「石垣」が今、ブームに

なっている様です。

 私は別にマニアと云う訳ではありませんが、昔から旅先で城を訪ねた折には、城郭

よりも、どちらかと言えば「石垣」に強く魅かれ、石垣を見ながら、ゆっくりと歩いて、天守

に至る道を登るのが好きです。

 築城から、4~500年もの時を越えて、なお寸分の狂いも見せず、ただそこに存在し

続ける重厚な「石垣」には、圧倒されます。

 石垣・石畳の道・石造りの家・石積みの灯台などが好き、と云うことはひょっとして

私は、「石マニア」?

(ミカちゃん日記)

(私、言葉を沢山覚えたから、お父さんとお話が出来るよ)

「オトウサンヤ オカアサンガ イロイロ オハナシ シテクレルカラ 

ワタシ タクサン コトバヲ オボエタヨ チノウシスウ サンサイジ 

クライダト オトウサンハ  イウケド 「キョウハ サムイカラ サン

ポハ ヤメヨウ」 トカ 「オルスバン ショウネ」 トカ イワレルト

ワカラナイ フリヲ スルンダヨ」  

 

 

 

 

 

 

 


白い船、白亜の灯台、赤い屋根。

2012-01-17 | 風景

作家 司馬遼太郎は「街道をゆく」の中で、日御碕灯台について、

~道の涯は小山のように隆起し、上り坂になった。

やがてこの地塊は、激しい角度で海に落ちている。

その先頭に白い灯台がたっていた。~

氏は、「19世紀の西洋が小天地として存在している。」とも書いています。

 海に向かって80米の落差で落ち込む岬、その先端に建つ白亜の灯台は、

明治31年、フランス人技師の設計によって建てられたモダンな建物で、碧い

海に赤い屋根がよく映え、異国情緒を醸しています。

白い石積みの灯台ビュッフェでコーヒーを飲みながら、眼前に広がる眺めは

、沖合を白い航跡を残しながら船が行き交い、晴れた日には、遠く隠岐緒島

や国立公園・大山も望める雄大なロケーションが広がっています。

ここは、煩雑な日常から、心を一気に解放してくれる、安らぎの場所でもあります。

当地に旅される方には、足を伸ばして見られる価値があると思います。

 

 

 


親鳥の、ぬくもり感じ、孵る雛。

2012-01-16 | 風景

 今日、抱卵によって孵った可愛い「ひよこ」に出会った。

 「ひよこ」に触れたのは、私がまだ高校生の頃、何日間も夜を徹して取り組んだ学校の「実習」の時、以来のことだ。

 ひよこは、「可愛い」の代名詞のようなもの、思わず掌で包み込んでしまいたくなる。

 しかし実際に育てて見ると、雛が孵ってからの数十日間(可愛い盛りの)は、温度管理、食事の世話、病気の心配など、いわゆる「子育て」には、大変な神経を使わなくてはならない。

 あの実習の時、「育雛」に四苦八苦した大変な思いを、何十年振りに思い出してしまった。
 

~子育てについて、私の思うこと~

  人間の子育ては、「マニュアルの無い、遠大な仕事」、世のママさん達の御苦労には、頭の下がる思いがする。

 私の母は、45の歳に、8人の子供を抱えて父に先立たれ、以来、女手によってよくも育ててくれたものだと、いつも思う。

 思い起こすに、母の子育てには、気負いと言うものがなかった様な気がする。

 母の苦労話を聞く機会も無かったため、実際にはどうであったのか知る由もないが、今になって思うに、

 「子供の話をよく聞いてやる」  「怒らず言って聞かせる」 「自分で考えさせる」

 「親の物指しで過大な要求をしない」 「子供のあるがままに、伸び伸びと育てる」

そんな、子育ての要諦があった様に思える。

 人間は病に罹った時、自然治癒力を発揮して、自ら治す力を持つように、子供も成長の過程で直面する様々な難題に対して、自分で考え、切り開いて生きて行く力を備えているもので、一つ一つ乗り越えながら、人として一歩一歩成長して行くもの。

 親は、子供が人生における大局を見誤らない様に、愛情をもって暖かく見守り、必要な時に必要な導きをしてやる。

 その位のスタンスで、あまり神経質に考えないで、「子育て」を楽しむことが、親も子も伸び伸びとして、いいのではないか、、、、

 先年、103歳の天寿を全うして逝った母の姿を振り返して、「この歳になって、男の私が思うことである」