引き続きお絵描き練習、「姫ちゃん」に再び挑戦です。 どうでしょう、パステルによる表現も少しは進歩したでしょうか。 自我自賛でした~。 でも、孫は可愛いいですね~。
ここで、じじバカ経験者として、はたと考えました。 「孫は、なぜこんなにも可愛いのだろうか?」と。。。そしてネットで検索していたところ、「なるほどな~」と思う記事に出会いました。(お借りして来ました。)
『子供と孫、いったいどっちがかわゆいの?』
『孫!!』(即答する大門)
正確に言うと、比べられるものではないと思うのだが、体感的に可愛いと思える時間が長いのは、圧倒的に孫なのである。 もちろん、子供も可愛い。 だが、残念ながらすでに二人とも成人しているので、『かわいい♪』と、抱きしめたくなる時期は、とうに過ぎた・・・ では、現在の孫の年齢と、同じ頃に、子供のことを、現在の孫と同じように可愛かったかというと、そうではない気がする。
なぜなら、私自身が子育てをしていて、いっぱいいっぱいで、てんぱっていて、ヒーヒー言っていたからである。 孫はというと、申し訳ないが、適当に相手できる時間のみ、相手をしているので、『こいつーーーーっ!!』と、思う時間が、ほとんどないのである。 まして私の場合は、特別な場合を除いて、2時間のみ必死で相手をすると決めている。 全力で、子供の相手をできるのは、2時間が限界なのである。 1時間45分を経過したあたりから、胸のランプがピコンピコンと点滅し始める。 ギックリ腰を何度もしている老体であるからして、4歳児と1歳児のお相手は、体力的に苦しいものがあるのだ。 なにせ、奴らときたら、テレビの液晶画面をペシペシ叩き、クレヨンでお絵かきするのである。 扉という扉は、全て開けようとチャレンジする。 1歳児に至っては、手に触れるもの全て、味見しようとするのだ。 一人で子守りするのは、2時間が限界である。
さて、話しは戻るが、私が子育てをしている時は、そんな『2時間がギリです!』という状態を、24時間体験する訳である。 『やーーーめーーーてーーー』と叫びたくなること、しょっちゅうなのだ。 よって、可愛いと思っている暇がほとんどない。 寝てくれた時に、『可愛いな』と思えるのが、やっとという感じだった。 なので、『子供と孫、どちらがかわゆい?』という質問には、『孫』という返答になるのである。 ちなみに、『男の子と女の子、どちらがかわゆい?』という質問にも、『男の子!!』と即答した。 こちらも、正確に言うと、どちらも可愛いのである。 同じように可愛いと、言いたい所だし、昔は、同じように可愛いと思っていた。 だが、心理学なんぞ学び、カウンセラーなんぞを職業にするようになって、認めたのである。 娘と私の間には、競争や嫉妬があるのである。 それは、同性だからであろう。
娘の私に対する、競争心や嫉妬心は、すぐに認めることができた。
だが、自分が娘に競争心や嫉妬心を持っていることを、認めるのには、少々時間がかかった。
『私が?娘に?嫉妬?』 だが、確かにあるのだ。
それは、娘が思春期に差し掛かるあたりから、明確な形を示し始める。 だが、つい・・・見て見ぬふりをする。 思春期というのは、男の子も女の子も、それぞれの性別がハッキリしてくる。 今まで、男女一緒に遊んでいたのが、男女別々に遊ぶようになり、『男』『女』というのを、意識し始める。 親から見ても、子供が『女の子』から『女性』に変わりつつかることがわかる。
そうすると、同じ女性である自分の中に、競争心や嫉妬心が芽生えるのだ。
よって、競争心や嫉妬心がない、異性である男の子の方が、可愛いと感じやすいのだと思われる。 そんな嫉妬心や競争心を乗り越えて、お互いが対等な大人の女同士となると、そこは同性なので、息子よりも、わかりあえるのである。 競争心や嫉妬心を乗り越えるのは、簡単ではないが、できるのだ。 何も親子でなくとも、競争心や嫉妬心というのは、芽生える。 簡単にちょちょいのちょい!では、いかないが、のり越えていくことはできますから、ご安心を。 ~出典・心理カウンセラー・大門昌代オフィシャルブログ(大阪地区所属)~より。<原文のまま>
しかし、である。 私自身は経験(既に祖父母がなく)は無いのだが、孫が成人した後、本人から「大変可愛がってもらい育った。 今でもおじいちゃんおばあちゃんのことは、大好きだ。」と言うのをよく聞く、祖父母が孫にかかわる時間は、父母に比べて雲泥の差はあるのは事実であるが、それでも人格形成に、少なからず影響を与えているのは間違いないと思うのである。 ゆめゆめ溺愛(私の様に)すれば良いと、言うものではない事を心せよである。
発達障害等のハンデを抱えながら、幾多の試練を乗り越えピアノの音(ね)を自分の心の言葉として奏でる、野田あすかさんの演奏に、昨夜は感動しましたので取り上げてみました。
野田あすか:「かなしみの向こう」