今年も、あの潮風の吹き上げる岬の先端に、水仙の花が咲く季節になりました。
今年はまだ、日によって雪がチラチラする程度の日が続いており、窓を開ければ一面銀世界と言った日は訪れていません。
水仙の花は、この澄み切った空気の中で、神秘的ないい香りを辺り一面に振りまいています。
この花は、ギリシャ神話のナルシスの自己愛(ナルシスト)等からくる「自己愛・自己主義・偽りの愛」等の花言葉を持っていますが、この花の佇まいや
高貴な香りからは、「神秘的」という花言葉がぴったりする気がします。
『越前水仙 花物語』 福井市居倉町
平安朝末期、木曽義仲の兵が、京を攻めた時のこと。 越前岬の山本五郎左衛門は、一族郎党を連れてこの戦に参戦した。
留守居の為に残った二男次郎太は、ある日越前海岸に、倒れていた美しい姫を発見した。
海を漂っていたのだろうか、凍えて死にそうな姫を担いで家に運び、手厚く介抱して助けた。
元気を取り戻した姫は、次郎太に恩を返すため、断崖絶壁の中腹にある小さな段々畑の仕事を手伝っていたが、優しい姫と逞しい意次郎太は、やがて恋に落ちて行く。
そろそろ忘れた頃、戦いが終わってね散々な目にあった見方の兵たちが、戦が終わって家に戻りついた。家に戻りに着いた。
しかし父は敵に殺され、兄一郎太も負傷して片足となって、ようよう戻り着いたものの、兄にとってのその後の日々は、とても辛いものであった。
越前の我が家に帰って見ると、美しい意姫と弟次郎太が楽しく暮らしているではないか。
日が経つに従って一郎太の傷も癒え、三人で暮らし始めた。
似合いの夫婦に見える弟と姫・・・あの悲惨な戦いは一体誰のためだったのか、我が家を守るためのものではなかったのか、やがて兄(嫉妬)と弟は口論になる日が多く
なっていく。 遂にある日、腕の立つ兄と次郎太は姫を巡って口論となり、命を賭けたけっとうをす
ることになった。(元々仲の良かった兄弟だったが、女一人を巡って険悪な空気になっていたのだ)
断崖絶壁を背に、激しく刀を交える兄弟、姫はその二人を見て、咄嗟に「自分がいるために、こんなことになってしまったのだ。」と心を痛め心乱して、絶壁の上から荒れ
狂う海に身を投じてしまった。
あっという間に命を絶った姫に、兄弟はびっくりして海の中を必死に探すのだが、どこにも姫の姿を見つけることは出来なかった。
この一件をきっかけに、兄弟は争いを止め、断崖にある畑を耕し、貧乏だが仲良く暮らすことになった。
春が来て、刀上の海岸に行くと、かつて姫が流れ着いた場所に、美しい水仙の花が流れ着いているのを発見した。
兄弟は、きっとこの花は美しい姫の化身に違いないと確信し、大切に育てることにした。
数年が経って、寒風吹きすさぶ越前の断崖には、清らかで、香り高い水仙の花が咲き乱れ、水仙の花の名所になったのである。
「越前水仙」の花は、寒さが厳しければ厳しいほど、美しい花が咲くという。 (出典:越前水仙 花物語より)
私が子供の頃、実際に、こんな悲しい出来事があった。 夏休みも終わりに近づいたある日、近所の子供達がそれぞれに誘い合って、近くの川
(淵)で、いつもの様に、行く夏を惜しみながら水遊びに興じていた。ひと時遊ぶと遊び疲れて、三々五々それぞれに家路についた。
しばらくして、女の子が一人帰宅していないことが分かり、大騒ぎになった。捜索の結果、不幸な事にその子は溺死していた。
その数日後、溺れた淵に行って見ると赤白模様の大きな鯉が一匹ゆらゆらと泳いでいた。
子供心にその鯉は「生まれ変わりのY子ちゃんだ」と信じ、一人では寂しかろうと、また友達とその淵に泳ぎに行ったものだ。
「越前水仙花物語」に似た話は、伝説の世界ではよくある話であるが、そんな悲しい体験を持つ私は、「生まれ変わり」を信じて疑わないのである。 (合 掌)
クリフ・エドワーズ「星に願いを」