タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

「愛」「幸福」「恋」「清新」の花、それはバラの花

2014-12-29 | 風景

女性の方は「薔薇が好き」、と言う人がとても多い様ですね。

華やかイコール「バラ」、やはりこの花は女性の花なんでしょう。

絵のモチーフとしても、色々な表現ができる、好まれる花の一つです。

先ごろ、ブライダルフラワーを頂いてきた際、あまりにも綺麗だったので、ク

ロッキーしておいたものと、今日、買ってきた純白のバラを組み合わせ、描

いて見ました。

バラの花には、花言葉として「愛」「幸福」「恋」「清新」等が、一般的なので

すが、花の色ごとに花言葉がある様です。

ちなみに、この絵の深紅のバラには、「情熱・愛情・あなたを愛します・美・

美しさの象徴・すべてをつくす」と、女性に見立てた花言葉が・・・そして純白

のバラには「心からの尊敬・清純・相思相愛・素朴・約束を守る」となってい

ます。

深紅のバラは、女性に一番人気とか、また純白は、お年寄りに贈られる事

も多いようです。

いずれにしても、華やかなブライダルフラワー等に様々な色のバラが使わ

れ、豪華でおめでたい折に、活躍する花です。

貴方にとって、今日も良い一日であります様に

 

ジュディ・コリンズの「青春の光と影」をどうぞ


 ♪なにもない、冬の海♪ (街並みスケッチ)

2014-12-26 | 風景

 

     ~街並みスケッチ・中海越しに馬潟工業団地を望む~

今日は天然水を汲みに行く道すがら、冬の海をスケッチしてきました。

山陰独特のどんよりとした冬空を背景に、数え切れないほどの渡り鳥が

波静かな海を埋め尽くして漂っています。

対岸の工業団地では、煙突から四筋ばかりの白い煙立ち上っていて、

寒々とした景色に、わずかに暖か味を醸しいます。

海のところどころに、竹竿が立てられ網が仕掛けられていますが、これは

冬の宍道湖、中海名物、「あまさぎ」漁の網でしょうか。

まさに、他に何もない「冬の海」です。

ぼんやりと海面を見詰めていると、多くの鳥達の中に、たった一羽だけ白

鳥が・・・群れからはぐれたのでしょうか、悠々と泳いでいます。

貴方にとって、今日も良い一日であります様に

倍賞千恵子の「雪の降る街を」:高倉健を悼む歌

 


 クリスマス・イブ(主の生誕祭)

2014-12-24 | 静物

今日はささやかな、クリスマス飾りを作って見た。

山から取って来た「カラスウリ」を、スケッチした後、南天(難を転ずる)の葉

をツタ蔓で絡み、それに、カラスウリの赤い実をアクセント代わりに、リース

を作って見ました。

ブロ友の中に、リース作りのとても上手い人がいて、それをお手本に、見様

見真似で作りましたが、これがなかなか難しい。

それでも、二種類の素材だけで作ったにしては、まぁ、こんな物かなー・・・

これで孫達との、クリスマスも盛り上ってくれるかな。

今日も良い一日を

またまた、ルイ・アーム・ストロングで「聖者の行進」をどうぞ

 


さむぞらに 枯野に赤い からすうり

2014-12-22 | 静物

絵のモチーフよくインテリアにしても良し、大好きなカラスウリの赤(橙)色

が、鮮やかに枝にぶら下がっている。(毎年の様に描いている・・・)

しかしカラスウリの実は、毎年の様にこの時期になると、山に入って探すの

だがなかなか見つけることが出来ない。

そんな折、数年前、中海沿いの道を水汲みに行く途中、道脇の林にたくさ

ん生っているのを見付けた。

そんな訳で、我が家の庭にも是非欲しいと思い、芋を持ち帰って植えてみ

たが、蔓は芽生えるのだが、終ぞ赤い実を見る事もなく、結局消滅してし

った様である。

今年は、その農家の方に断って、たくさん持ち帰った。

絵に描いた後、これまでは玄関の飾棚にインテリアとして飾っていたが、

年は、クリスマスに孫達も来るし、「そうだ、これを使ってリースを作ったらど

うだろうか」と思いついた。

鮮やかな「赤橙色の実」だから、蔓などを使って絡めれば、きっといいリ

が出来て、クリスマス気分もグーッと盛り上がって来るだろう。

貴方にとって、今日も良い一日であります様に

暖房が良く効いて、気持ちいいなー・・・眠くなってきたよー

 

フランクシナトラの「Let.it.snou」をどうぞ


 ぎりぎりに なって火がつく 年賀状

2014-12-19 | その他

画的には少し気が早い感じなのだが、実際は作業が遅れている。

今年の年賀状作りは、何故かタイムリミットぎりぎりの状態で、やっと昨日、

年賀状表面の、干の手描き作業を終えたところだ。

来年の干支は、60年振りに巡って来ると云う、乙未(きのとひつじ)年、60

年前(S29年)と言えば・・・あの爆発的な「神武景気」の入口の年だったよ

である。

何かと暗いニュースの多いご時世、明くる年こそ、是非神武景気にあやか

て景気上向き、人々の「生活が潤い、幸せ年になって欲しいものだな

ー」と思いつつ、夜遅くまで筆を走らせ頑張って見た

 今日も、良い一日であります様に

ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」をどうぞ


♪今年初めての積雪、雪見珈琲を一杯♪

2014-12-18 | その他

今年初めての積雪、昨夜は夜が更けて行くとともに、気温が急激に下がっ

て、深夜には、窓の外は、深々と雪が降り積もっている気配がしていた。 

朝一番に寝間窓を開け放つと、梅の木(固い蕾)の下で、椿が雪を被って

寒さに震えて咲いるようだ。

北海道はじめ北の地方では、豪雪、猛吹雪のために、犠牲者の方も出てい

るとか、ほんとうにお気の毒な事である。

~犠牲者の方のご冥福をお祈りします。~

それに比べれば当地の雪は、今のところさしたる被害も出ていない様子

で、何よりなことである。

「雪椿」を愛でながら、今朝は「雪見酒」ならぬ、雪見コーヒーを味わいなが

らの、スタートである

貴方にとって、今日も良い一日であります様に

マリウカラスの「アベマリア」をどうぞ


「まだあげ初めし前髪の  林檎のもとに見えしとき・・・」 藤村

2014-12-17 | その他

我が家の朝食のデザートに必ず出るリンゴ(林檎)、住人は夫婦二人だけ

だから、四分の一個と、他に4~5種類の果物と共に、365日、食卓にに盛

り付ける。

いわば、最も身近な果物の一つと言うことになる。

昨日、食材と共に買い込んできたリンゴ3個、テーブルの上に無造作に並

べて描いて見た。(美味しそうな感じが出ているだろうか・・・)

このリンゴ(林檎)は、歌や詩、絵画などのモチーフとして、よく登場してく

る・・・・・

初恋(島崎藤村)

まだあげ初めし前髪の  林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の   花ある君と思いけり

やさしく白き手をのべて  林檎をわれにあたえしは

薄紅の秋の実に  人こひ初めしはじめなり

わがこころなきためいきの  その髪の毛にかかるとき

たのしき恋の盃を  君が情けに酌みしかな

林檎畠の樹の下に  おのづからなる細道は 

誰が踏みそめしかたみぞと  問いたまふこそこいしけれ

(解釈)

まだあげたばかりの前髪が、林檎の木の下に見えたとき、前髪にさしたる

花櫛の花のように美しいあなたと思いけり、やさしく白い手をのばして、林

檎をわれにくれたことは、薄紅の秋の実に対して、人を好きになった初めて

のことだ。

わがこころなきためいきが、君の髪にかかるとき、たのしい恋の盃を、君の

純愛のおかげで酌みかわしたことよ。

林檎畑の木の下に、自然にできた細道は誰が踏んだ跡なのでしょう、お聞

きになる様子が恋しい。・・・・・・・

島崎藤村の「初恋」の少女のモデルは、幼少時、隣家に住んでいたゆふ

(勇)であるとか、冒頭の、かの有名な「まだあげ初めし前髪の」部分は、樋

口一葉『たけくらべ』に登場する少女・美登利の「まだ結ひこめぬ前髪の」の

転用であるとか、様々に論じられてきているが、詩文、背景、モデルなどに

ついては、元々が、平的なものではなく奥深くどの解釈が正しいと

なかなか断言できないところがある。

作者の実体験か、あるいは体験や知識をもとに創作されたものなのか、な

かなか断言できないところがある様である。 

そこは読み解く者が、それぞれに像を膨らませて行くと、詩に対する世界

観に奥行きが生まれ、それが詩の良さでもあると思だから、勝手に物語の

情景を思い描きつつ、村の詩を愛読しているのである。

貴方にとって、今日も良い一日であります様に

美空ひばりの「リンゴ追分」をどうぞ


 ♪出雲茶処、「お・い・で・ま・せ」♪

2014-12-15 | その他

松江茶処「お・い・で・ま・せ」、その昔、出雲松江藩・七代藩主の松平治郷(:

)は、江戸時代を代表する茶人の一人で、松江(出雲)の地に「茶の湯」を広めまし

た。

その関係で、出雲地方は日常的にお茶事が行われるところです。

とにかくよくお茶を飲む、よその家を訪ねると「まあまあ、上がってお茶でも飲まんか

ね」と、お菓子が無くても、漬け物でお茶を出すというほど習慣化していおり、また少し

あらたまった際には、客間に通され、「抹茶でも点てましょうかねー」と、茶を点てても

てなします。(で、「茶腹」と言う言葉さえある)

何と言っても、お茶に「和菓子」は付き物、だから街には和菓子店がとても多く、ウィン

ドウには、伝統の和菓子職人の手によって作られた、季節感のある和菓子が色とりど

りに並べられている。

我が家でも、気が向いた時には抹茶を点てて頂いているが、その度に「今日お菓

子は・・・」と、これも楽しみの一つ。

自由の身?になってからは、お茶を点てる回数も増えきて、その時々に庭に咲く季節

の花を、一輪、茶花に活けて、静かに飲むお茶の美味しいこと、至福の時間がゆった

りと流れて行きます。

ミカは雪が降って散歩もなく、「することないなー」と、お母さんのボタンを咥えて一人遊びをしています

フランクシナトラの「ビギンザビギン」 をどうぞ

 


江戸時代中国商人から贈られた「砂糖漬け」の種から蘇ったキンカン

2014-12-12 | 風景

庭の南面に植えてある、たった1本のキンカンの木に、今年もまた沢山のキンカンの実が、色

付き始めてきました。

試しに、一個もいで食べて見てみると、まだ甘酸っぱく熟れ切ってはいないようです。

それでも酸っぱいものが好きな私には、あまり気になる酸っぱさではありません。 

早くも小鳥が嗅ぎつけたのか、何個かクチバシでつついた痕があります。

キンカンも今年は生り年と見えて、たわわに生った実の重みで、細い枝は今にも折れそうにた

わんでいます。

これから寒さに向かって、だんだん完熟してくるので、お正月用の甘露煮、ジャム、果実酒など

用向きの多く、我が家では重宝しています。

いつも思うのですがよそ様の庭先のキンカンは、毎年、あまり取り込んだ様子もなく、木で朽ち

させる家が多い様です。(今時こんなもの食べるの・・・と言った感じで)

我が家では、甘露煮等にした後、残った実はそのままにしておいて、時折、もいでは食べてい

すがこれが他の果物と違って、夏の始め頃までの長い間に渡って、その時々の味を楽しんで

います。

今日も良い一日であります様に

今日は雨が降ったり止んだり日が差したり、でも私はエアコンの最適生活でーす

夢の中に君がいる」アダモの歌でどうぞ。


 百年の風雪に耐えて建つ、日本最古の警察署

2014-12-11 | 風景

今年一月、「日本最古の警察署」の建造物である事が明らかになった、初

松江警察署の庁舎を、街並みスケッチとして描いて見ました。

この建物が建てられたのが、明治13年と言いますから、今から135年ほど

前の事になります。

時代年表で見ますと、国歌「君が代」が作曲され、初めて演奏された年であ

り、我が国に自由民権思想がもたらされ、動に高まりを見せ始めた頃、

そして板垣退助(自由党)や大隈重信(立憲改新党)が、前後して政党を設

立する等、我が国に議会制民主義が芽生え始めた頃のことになりそう

す。

その一方で東京・京橋では、封建時代の名残とも言うべき、゛最後の仇討゛

(父母の仇)が行われ、その実行者は自首するという事件があった様です。

そんな時代であり、近代警察制度の草創期の建築物と言えそうです。

木造二階建の古びたこの警察署、時代がちょうど封建の世から、新しい日

本に生まれ変わる過渡期、混乱の中で善くも悪しきも、さきざまな人生を背

負った人々の交差点となったことでしょう。

 

この初代松江警察署は、警察署として使用された後、幼稚園舎や工場とし

て活躍し、現在に至ている様ですが移築されてはいるものの、ほぼ建築

当時の原形を留めているというから、木造百年の風雪に耐えた、価値のあ

る建築物であり、是非とも保存して欲しいものです。

今日も良い一日であります様に

先日からミカ嬢(愛犬)の散歩中、ピタリと足を止める場所があり、よくよく見てみると、小川の向こう岸に、最近では滅多に見掛けない、白いお髭のヌートリアが一匹、薄日に毛づくろいをしておりました。・・・のでパチリ

 

若い頃良く聴いたエルビス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」をどうぞ


  ♪まぼろしの 影を慕いて雨に日に・・・♪

2014-12-09 | その他

                  (イメージ画)

今日は、日本の歌の中から私の好きな歌、「影を慕いて」を取り上げて見ま

した。

(作詞・作曲:古賀政男)

まぼろしの 影を慕いて雨に日に 月にやるせぬ 我が思い

 つつめば燃ゆる 胸の火に 身は焦がれつつ 忍び泣く

わびしさよ せめて傷心のなぐさめに  ギターを取りて つま弾けば

 どこまで時雨 ゆく秋ぞ 振音(とれもろ)寂し 身は悲し

君故に 永き人生(ひとよ)を霜枯れて 永遠に春見ぬ 我が運命(さだめ)

 ながろうべきか うつ蝉空蝉(うつせみ)の 儚き影よ 我が恋よ

昭和初期のどん底不況の中、将来への不安や学業の疲れ等から、困難な

状況下にあった、学生(明治大学)・古賀政男は、失恋の痛手に打ちひしが

れていた。

そんな時、友と青根温泉(宮城県)を訪れた政男は、失意のうちに自ら命を

断とうと、山中を彷徨っていました。 

彼を捜し求める友の呼び声に、ハッと我に返り自殺を思いとどまります。 

その夜は、友と共にしたたかに酔いしれ、これを機に政男は「おれは音楽

一筋に生きよう・・・」と決心して帰京する。

このときの煩悶を詠ったのが『影を慕いて』で、これが作曲家古賀政男のデ

ビュー作にして、後世に歌い継がれる名曲となったのです。

この歌は、1932年東京音大生・藤山一郎のカバー曲が大ヒットとなりまし

た。

藤山一郎は、この時まだ東京音楽学校(現東京芸大音楽学部)の学生でし

た。(出典:「名曲誕生秘話」より)

今日も良い一日を

森昌子の「影を慕いて」をどうぞ。

 

 


♪色付くサルトリイバラ(猿獲茨)の実♪

2014-12-08 | 植物

山裾の林道を歩いていると、雑木林に絡みついた「サルトリイバラ」の赤い実を、小鳥が啄んでいます。

名前の通りもう少し季節が進んで、すっかり赤い実が無くなった頃、不用意に林に入って行くと、棘を持ったイバラ

の蔓が張り巡らされていて、いつの間にか、身体を獲られて身動きできなくなってしまう事があります。

(由来・・・猿がイバラの中に、追い込まれ身動きできなくなる。)

しかし当地方では、これを「カタラ」と呼んで、昔から春先には、若葉を摘んで茹で「おひたし、あえもの、天ぷら」

して食べたり、西の地方(関西以西)では、田植の始まる5・6月頃、立派な葉を選んで摘み、カシワの葉と同じよう

にあんこ入り餅を包んで、「泥落とし(田植えが終わり)」と称して、食べる習慣があります。

小さい頃には、この葉に包んだ「カタラ団子(餅)」を食べるのが、田植時の子供達の楽しみの一つでもありました

 吉沢独陽

識らず知らずに 来は来てみたが

さるとりいばらの 赤い実が

ぽつりぽつりと あるばかり

遠い昔の おもいでに 

雑木林の細道の 空の深さよせつなさよ

 今日も良い一日であります様に

「長崎の鐘」を秋川雅史の歌でどうぞ


 ♪わびすけが 雪降るなかに ひとり咲く♪

2014-12-07 | その他

このところ冬将軍の襲来で、里の紅葉もすっかり葉を落とし、冬支度に大忙しの様です。

街では、公園や庭先の花々も少なくなってしまって寂しげな風情、そんな中で庭の「侘助」椿の花が、ひっそりと咲き

出してきました。

純白の「白侘助」も、ピンク色の「姫侘助」も、「太郎冠者」も、小振りで一重の素朴な花、茶道では「茶花」とし、我

が家でも抹茶を点てる際には、一枝摘んで床の間に活け、゛侘び寂゛を演出して楽しんでいます。

これから、季節が本格的な冬に向かうに従って、寒に耐えて咲く水仙の花や、椿の花が孤軍奮闘し、春が来るまで

のしばしの間、殺風景な野山や街に、彩りを添えてくれます。

今日も良い一日であります様に

 

南こうせつ「神田川」


 水仙の花に想いを寄せて

2014-12-05 | その他

今年も、あの潮風の吹き上げる岬の先端に、水仙の花が咲く季節になりました。

今年はまだ、日によって雪がチラチラする程度の日が続いており、窓を開ければ一面銀世界と言った日は訪れていません

水仙の花は、この澄み切った空気の中で、神秘的ないい香りを辺り一面に振りまいています。

この花は、ギリシャ神話のナルシスの自己愛(ナルシスト)等からくる「自己愛・自己主義・偽りの愛」等の花言葉を持っていますが、この花の佇まいや

高貴な香りからは、「神秘的」という花言葉がぴったりする気がします。

『越前水仙 花物語』   福井市居倉町

 平安朝末期、木曽義仲の兵が、京を攻めた時のこと。                             越前岬の山本五郎左衛門は、一族郎党を連れてこの戦に参戦した。

留守居の為に残った二男次郎太は、ある日越前海岸に、倒れていた美しい姫を発見した。                                                 

海を漂っていたのだろうか、凍えて死にそうな姫を担いで家に運び、手厚く介抱して助けた。

元気を取り戻した姫は、次郎太に恩を返すため、断崖絶壁の中腹にある小さな段々畑の仕事を手伝っていたが、優しい姫と逞しい意次郎太は、やがて恋に落ちて行く。                                                         

そろそろ忘れた頃、戦いが終わってね散々な目にあった見方の兵たちが、戦が終わって家に戻りついた。家に戻りに着いた。

しかし父は敵に殺され、兄一郎太も負傷して片足となって、ようよう戻り着いたものの、兄にとってのその後の日々は、とても辛いものであった。             

越前の我が家に帰って見ると、美しい意姫と弟次郎太が楽しく暮らしているではないか。                                                                

日が経つに従って一郎太の傷も癒え、三人で暮らし始めた。                   

似合いの夫婦に見える弟と姫・・・あの悲惨な戦いは一体誰のためだったのか、我が家を守るためのものではなかったのか、やがて兄(嫉妬)と弟は口論になる日が多く

っていく。                                                     遂にある日、腕の立つ兄と次郎太は姫を巡って口論となり、命を賭けたけっとうをす

ることになった。(元々仲の良かった兄弟だったが、女一人を巡って険悪な空気になっていたのだ)                                                   

断崖絶壁を背に、激しく刀を交える兄弟、姫はその二人を見て、咄嗟に「自分がいるために、こんなことになってしまったのだ。」と心を痛め心乱して、絶壁の上から荒れ

狂う海に身を投じてしまった。                                                      

あっという間に命を絶った姫に、兄弟はびっくりして海の中を必死に探すのだが、どこにも姫の姿を見つけることは出来なかった。                                              

この一件をきっかけに、兄弟は争いを止め、断崖にある畑を耕し、貧乏だが仲良く暮らすことになった。                                                              

春が来て、刀上の海岸に行くと、かつて姫が流れ着いた場所に、美しい水仙の花が流れ着いているのを発見した。                                                      

兄弟は、きっとこの花は美しい姫の化身に違いないと確信し、大切に育てることにした。

数年が経って、寒風吹きすさぶ越前の断崖には、清らかで、香り高い水仙の花が咲き乱れ、水仙の花の名所になったのである。                                       

越前水仙」の花は、寒さが厳しければ厳しいほど、美しい花が咲くという。                            (出典:越前水仙 花物語より)

私が子供の頃、実際に、こんな悲しい出来事があった。                                   夏休みも終わりに近づいたある日、近所の子供達がそれぞれに誘い合って、近くの川

(淵)で、いつもの様に、行く夏を惜しみながら水遊びに興じていた。ひと時遊ぶと遊び疲れて、三々五々それぞれに家路についた。

しばらくして、女の子が一人帰宅していないことが分かり、大騒ぎになった。捜索の結果、不幸な事にその子は溺死していた。

その数日後、溺れた淵に行って見ると赤白模様の大きな鯉が一匹ゆらゆらと泳いでいた。

子供心にその鯉は「生まれ変わりのY子ちゃんだ」と信じ、一人では寂しかろうと、また友達とその淵に泳ぎに行ったものだ。

「越前水仙花物語」に似た話は、伝説の世界ではよくある話であるが、そんな悲しい体験を持つ私は、「生まれ変わり」を信じて疑わないのである。 (合 掌)

 

クリフ・エドワーズ「星に願いを」

 

 


 チェ・ゲバラ(革命家)

2014-12-03 | その他

昨夜、何気なく何時もの通りTVを付けると、『チェ・ゲバラ』の生涯を放送しており、見

入ってしまった。

フィデル・カストロと共に、キューバ革命を成し遂げた、あの革命家(戦士)ゲバラであ

る。

TV観賞後、以前(2000年頃)買い求めた、「ロシナンテの肋(馬のあばら)」戸井十    

月著を引っ張り出して読み返して見た。

ゲバラは、長髪・髭面にベレー帽の革命家の、この写真が格好良くて、今もファン

多い様であるが、彼の苦難に満ちた革命家としての、生涯を知る人は以外に少ない

うである

ゲバラは、アルゼンチンに生まれ、医師の国家試験に合格し、将来が約束されていた

身でありながら、ラテン・アメリカをよく見、よく知りたいと放浪の旅に出て行く。

フィデル・カストロとの出会いがあり、独裁、圧政に苦しむ、キューバの人々を解放す

るために、葛藤しながらも「右手にメス、左手に武器」を持ち、ただただ、「人々を愛す

気持ちと情熱・信念」に従い革命・解放の戦いを成し遂げて行く。

革命後の新政権下で、実質的に権力を掌握したカストロとゲバラは、既存の資本

でも社会主義でもない国家の在り様を模索していく。

しかし、真の解放改革を進める過程で、カストロとの考え方に次第に溝が生まれ、遂

にカストロに別れを告げ、ゲバラはラテンアメリカ全体の革命、解放のために、

「私、再びロシナンテの肋を自分の踵に感じています。 楯を携えた私は、再び旅に

ます。」と、親に手紙を残して旅に出る。

そして、その戦いの最中(さなか)、ボリビアの地で、39歳の若さで処刑される。

死後30年(1997年)経って、遺族の住むキューバに英雄として「帰国」している。

革命家・政治家・哲学者・医師でもあった、チェ・ゲバラが生涯一貫して持ち続けたも

の、それは「人々を愛し続けた」と言う事ではなかったでょうか。

実際に国連総会においてゲバラは「バカらしいと思うかもしれないが、真の革命家

は偉大なる「愛」によって導かれる。人間への愛、正義への愛、真実への愛。愛の無

い真の革命家を想像することは不可能だ。」とインタビューに答えている。

今も、バングラデッシュの地には、「チェは永遠なり・・・ゲバラは死なず・・・」と、落書

きが残されるなど、彼の思想と行動を指針に生きる人間が今もいる。・・・と、この本は

んでいます。

ゲバラの思想・信条・直接行動主義などについては、異論も多いところですが、

「人への愛、正義への愛、真実への愛」

を信条とした、「人間ゲバラ」の生き方には、ある種の共感を覚えるのです。

(ちなみに、1959年31歳のゲバラは、政治家として日本を訪れている。)

お父さん、私にもお菓子をちょうだい、ちょーだい

ゲバラが愛しそしてゲバラを愛した人々の音楽「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」