タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

 ♪雪雲の隙間から・・・眩いばかりの「天使の階段」♪

2016-01-30 | 風景

宍道湖岸に広がる田園地帯、私の散歩道コースの一つです。

よりもよってこの厳寒期に、この田んぼ道を歩くのは、七年前に大病を患って以来のこと、より厳しい条件の下

予定のコースを歩き切ることで得られる達成感と、生き抜くと言うことの実感を得られるから、と言う当時は

悲壮な思いで始めたことでした。

ウォーキング中に言葉を交わす中で、私と同じ様な状況と思いで、歩いている人が意外に多くてビックリしたも

のでした。(今思えば、歩き続ける内に私の中で「死生観」に大きな変化が生まれてきた様に思います。)

それはさて置き、このコースには、雪の残る田園にたくさんの白鳥が飛来して来て、落ち穂を啄んだり、農家の

方が水を張ってくれた田んぼで、伸び伸びと泳ぎ、羽を伸ばし、急降下滑水したりするところが見られ、ひとり

歩いていても退屈することがありません。

今日も、山陰地方独特のどんよりとした冬空に、厚い雪雲が垂れ込め、その僅かな切れ間から、陽の光が射

し、天使の階段が眩いほどに地上を照らしています。

その光景があまりにも美しかったので、車に戻ると常備しているスケッチブックを急ぎ取り出し、スケッチして帰

りました。(2016・1・27)

貴方にとって、今日も良い一日であります様に

「星空のブルース」:ベルト・ケンプフェルト楽団

 


 ♪昭和のムード歌謡:石原裕次郎♪

2016-01-27 | その他

昭和50~60年代に石原裕次郎が衝撃的な銀幕デビュー(映画界)を果たし、哀愁を帯びた独特の歌声が映

のバックミュージックとして流され、その後多くのアクションスターを世に送り出してきました。

裕次郎の後に続くスター達も、これに倣って主演映画の中で、ムードいっぱいの歌謡曲を挙って歌ったもので

した。

日本の歌謡界に『ムード歌謡』と言ったジャンルを打ち立てたのは、おそらく石原裕次郎その人ではなかったで

しょうか。

団塊前後のおじさん達は、こぞってこの日活スター達の、「ムード歌謡曲」をカラオケで、一度や二度は歌った

覚えがあるはずです。

今日は私の好きな、その石原裕次郎の歌を数曲UPみました。

 

北の旅人

粋な別れ

夜霧のブルース

霧にむせぶ夜

 

 


 ♪寒い朝は、「赤貝」のみそ汁で温まろう♪

2016-01-21 | その他

今日は、暦の上では「大寒」、道理でここのところ大寒波が日本列島を襲い、寒い日が続いている。

当地も、今日は寒の中休みと言うところか、少し気温が上がって比較的過ごし易い一日となっている。

今朝は、「寒い時には温かい物を・・・」と、「赤貝:サルボウガイ」の味噌汁を作ってみた。

アサリやシジミのみそ汁は定番で、当地では味噌汁と言えば、宍道湖の恵み、「シジミ汁」が一番とされている。

実は「赤貝の味噌汁」は、聞いたこともなかったのだが、数年前、大根島の「寒牡丹」観賞に行った際、ボタン園内の庵でサービスとして

振る舞われた「赤貝の味噌汁」なるものをご馳走になり、これがあまりにも美味しかったので、以来、我が家では時々作って頂くのだが、

やはり、今朝も身体の芯から温まりとても美味しかった。

私の子供の頃は、「中海」(宍道湖から中海をへて外海へ)の特産品で、御節料理には赤貝の煮付が必ず膳に乗ったものである。

ところが何時の頃からか、この赤貝が中海から姿を消してしまったのだ。

やはり自然に生息していたものが、なくなるのは寂しいものだ。

そんな中にあってここ数年、水産関係者の方々の努力が実って、「赤貝」が蘇りつつあるのだ。

とても嬉しいことだ。

寒い、寒いと言いつつも、立春(2・4)はもう直ぐそこまで来ている様だ。

~貴方にとって、今日も良い一日であります様に~

何回かUPしているのですが、「シル・オ-スチン」ティナーサックス演奏、何回聴いても良いですね~

 

 

 


 ♪ブルース・リー:燃えよドラゴン♪

2016-01-19 | その他

当地も今日は予報の通り、朝から雪が舞い散り、最高気温1℃のとても寒い一日となりました。

多分、この冬一番の寒さではないでしょうか。

しかし、一日中舞い散ると言った降り様では積もる間もなく、野も山も粉雪を降りかけた様に、うっすらと白くな

っています。

こんな日には、ウォーキングも散歩も取り止め、終日ストーブをガンガン焚いて、室内で読書やテレビ観賞そし

て好きな絵を描いて過ごしています。

PCを検索していると、おぉ~、懐かしやあのブルース・リーの「燃えよドラゴン」の画像に辿り着きました。

早速、鉛筆で描いて見ました。

今の若い人は、ブルース・リーを知らない人もいるのではないかと思うのですが、彼はアクション映画の世界に

彗星の如く現れ、これまでに類を見ないほどの新風を吹き込んだ大スターでした。

彼が最も活躍したのは、1966~1973と言う短い期間であったが、中国武術(カンフー)を駆使した映画、ドラ

ゴンシリーズで世界中の男性達(今40~50代以降の)をとりこにしたものです。

この年代で、ブルース・リーの名を知らない人はまず居ないのでは無いでしょうか。

サンフランシスコ生まれの(香港出身)武術家で、「ドラゴン危機一髪」「ドラゴンへの道」「燃えよドラゴン」等が

憶に新しい映画です。

「燃えよドラゴン」の当時は、世界的な大スターとなっていましたが、この映画の撮影直後に32歳と言う若さで

世しています。

ブルース・リーがいかに有名であったか・・・面白いことに当時日本の芸能界でも、彼のアクション芸で売り出

し、今は、それぞれに名を成している武田鉄矢や竹中直人、岡村隆史などがいることです。

まさに彗星の如く現れ、そして消えて行った巨星でありました。

~今日も良い一日を~

燃えよドラゴン・テーマ曲


    ♪女優・篠原涼子♪

2016-01-16 | その他

            鉛筆画  ~女優・篠原涼子~

この女優さん、目を描きながらフッと、確かに美形ではあるが、性格的には♂の様な

スカッとした一面のある女性ではないかな~等と思ったりした。

多分、そんなところが、同性からも支持(人気のある)されているところなのでは・・・

「ダンケ・シェーン」~ブレンダ・リー


 映画『母と暮らせば』・・・♪長崎の鐘♪

2016-01-13 | その他

                                                         (吉永小百合)

当地で公開中の山田洋二監督のファンタジー映画「母と暮らせば」、長男夫婦が年末「二人で映画でも見に行

って来たら。」とプレゼントしてくれた、チケットの有効期限最終日の11日に観に行って来ました。

この映画の舞台となったのは、1945年8月9日の長崎市、多くの公開作品の中でこの映画を観ようと思った

のは、実は主人公の長崎医科大生・浩二(二宮和也)が水爆が投下された時、講義を受けていて犠牲になっ

たのがこの大学で、投下時、実際に放射線専門医として大学病院で教鞭もとっていたのが、当松江市出身の

偉人「永博士」であり、自らも被爆によって白血病を発症しながら、命を捧げて被爆者の治療に当たった

永井博士。

博士の著書「長崎の鐘」、これを元に作られた名曲「長崎の鐘」が頭を過ったからである。

『長崎の鐘』

こよなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ 

うねりの波の 人の世に はかなく生きる 野の花よ

なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る

召されて妻は 天国へ 別れてひとり 旅立ちぬ 

かたみに残る ロザリオの 鎖に白き わが涙

なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る

こころの罪を うちあけて 更け行く夜の 月すみぬ

貧しき家の 柱にも 気高く白き マリア様

なぐさめ はげまし 長崎のああ 長崎の鐘が鳴る

~母と暮らせば~

昭和20年8月9日、長崎市に水素爆弾が投下され、一瞬のうちに多くの人命が失われた。

ある日、3年前の水爆で亡くなったはずの浩二(二宮和也)が、突然、助産婦として日々働きながら暮らしてい

る母伸子(吉永小百合)の前に姿を現す。

浩二の姿を見て唖然とする伸子。

その日、伸子は浩二の墓前で「あの子は、一瞬にして消えてしまったの。 もうあきあめるわ。」と言い、心に誓

ったばかりだったのだ。

伸子は、浩二の姿を見て思わず「あんたは元気?」と尋ねると、 「元気なわけなかろうや。僕はもう死んでる

んだよ。」浩二は、笑いながら答えた。

その日から、浩二は時々伸子の前に、たびたび現れるようになった。

母子は思い出話に花を咲かせていたが、中でも気がかりなのが、浩二の恋人・町子(黒木華)のことだった。

結婚の約束をしていたにも関わらず、浩二が亡くなってしまい、心のより処を失いながらも、母の事を気にか

てくれていたのだ。

それから月日が経って・・・「浩二、もし町子に好きな人ができたら、あなたは諦めるしかないのよ。」 伸子が

そう諭すと、浩二は「そんなの嫌だ、町子には僕しかおらん!」

頭ではわかっていても、浩二は、自分の死を受け入れられずにいるのだった・・・(公開中なので・・・ネタばれ

はここまで。)

キャストは、反戦読み聞かせ活動にも長年取り組んでいる大女優の吉永小百合、そして国民的アイドル「嵐」

の二宮和也、さらに国際的にも評価を受けている若手演技派女優の黒木華、三人三様それぞれに見事な

技で観客を感激させる。(中でも二宮和也の演技は秀逸であった。)

映画を観ながら涙腺の弱くなった吾輩・・・不覚にも思わず落涙、々々の連続であった。

原爆投下の瞬間、劇場中にとどろく大音響と、迫力の映像がこの瞬間に失われ去った多くの人の叫びを・・・そ

して、映画の導入部分で、小高い丘の上に眠る浩二の墓地から、一人の老人が、見渡す長崎市街を臨みなが

らひと言、「キノコ雲が一瞬立ちのぼってなぁ~、あれは人間のすっことじゃ~ないど・・・」とつぶやく言葉が、

今も耳に深く残っている。

朝食後お母さんに抱かれるミカ嬢と、夜中にお父さんの枕を占領して寝るミカ嬢

長崎の鐘」~秋川雅史


~映画「レジェンド・オブ・フォール:果てしなき想い」を観て~

2016-01-10 | その他

映画「レジェンド・オブ・フォール:果てしなき想い」を観ました。

1994年公開の作品で、主演のブラッド・ピットが、まだ若い時の映画ですが、後にスーパースターになったのが、情

感を込めた一つ一つの演技に現れており、久々に感動する映画でした。

遙かなるオールド・ウエストの牧場を舞台に、愛に素直に生きられない青年(ブラッド・ピット)と、その彼を永遠に想

い続けた一人の女性(ジュリア・オーモンド)の悲しい愛の軌跡を辿った壮大なドラマです。

~あらすじ~

20世紀初めのモンタナの牧場、元騎兵大佐のウィリアム・ラドロー(アンソニー・ホプキンス)は、戦いの記憶から逃

れるため、この地に定住して3人の息子たちの成長を見守る。

中でも狩りを好む野性児の次男トリスタン(ブラッド・ピット)に深い愛情を注いでいた。 

ウィリアムの妻イザベルは、過酷な自然環境に耐えられず彼と別居して街に住んでいた。 

時は流れて、ハーバード大で学んでいた末っ子のサミュエルが、婚約者スザンナを連れて帰郷して来る。

やがて第一次大戦が勃発し、兄弟三人はヨーロッパ戦線に出征して行くが、父はトリスタンに末息子サミュエルの事

を頼むと送り出す。

しかしサミュエルは戦闘中にトリスタンの目の前で命を落としてしまう。

帰国したトリスタンは、悲しみにくれるスザンナを慰める。

やがて2人は結ばれるのだが、同じく彼女を愛していた長男のアルフレッドは、もう兄弟ではないと告げて街へ去って

行く。

アルフレッドは街で事業に乗り出して成功するが、戦場で弟を救えなかった罪の意識に憔悴しきったトリスタンは、

「貴方を永遠に待つわ」とすがるスザンナを残して、世界各地へ放浪の旅に出て行く。

そして数年後、放浪の旅からモンタナに帰ってきたトリスタンを迎えたのは、半身付随になった父ウィリアムであっ

た。

トリスタンが旅に出ていた間に、議員となったアルフレッドとスザンナは結婚して、新生活を始めていたのだった。

トリスタンは、ネイティヴ・アメリカンとの混血で使用人の娘・イザベルと結婚し、二人の子供にも恵まれた。

その頃、トリスタンは禁酒法に逆らうように酒の販売の商売を行っていたが、ある日、警察の待ち伏せに遇い、威嚇

射撃の流れ弾でイザベルが命を落とす。

刑務所に入ったトリスタンをスザンナが訪ね、いまだに自分の心から消せぬ、果てしないトリスタンへの想いを告白

する。

だがトリスタンはこれを拒絶し、その夜、スザンナは自から命を断ったのだった。

トリスタンは、銃を撃った警官に復讐を遂げた。

スザンナの遺体はモンタナに運ばれ、再会した長男アルフレッドは、トリスタンに「私は神と人間のルールに従ってき

た。 お前は何事にも従わなかったが、皆はお前を愛した」と、静かに語った。

追われる身となったトリスタンは、兄に子供を預かってくれるようにと頼む、そこに現れた警察は彼に銃を向けるが、

父と兄が危機を救った。 

トリスタンは、また野の人となり、ラストシーンでは長年の宿敵だった熊と戦って命を落とすのだった。

父親役の名優アンソニー・ホプキンスの我が子、それぞれに対する巧みな心理描写、ジュリア・オーモンドの耐えて

待つ、トリスタンへの永遠の想い、トリスタンの拭い切れない深い悲しみ、それぞれの演技が、観る者の心を捉えて

さない、重厚な一大感動ロマンドラマであった。

 

虹の彼方へ:オーバー・ザ・レィンボー

 

 

 


 ♪ナタリー・コールを偲んで(ナット・キング・コールの娘さん)♪

2016-01-05 | その他

あの伝説のジャズシンガー『ナット・キング・コール』の娘として生まれた「ナタリー・コール」、幼ない頃から父親の

影響を受けて音楽活動に参加してきた、彼女も父親譲りの素晴らしいリズム感と歌声を持ち、音楽界で最も権威あ

るグラミー賞(新人賞・最優秀レコード賞)にニ度も輝くなど、ジャズ、リズム&ブルースの歌手として、大活躍してき

た。

私が歌手「ナタリーコール」を知ったのは、彼女が「東京音楽祭」でグランプリを獲得した際なので、今からおよそ40

近くも前の事になる。

今回UPした曲をはじめ、若い頃好きでよく聴いたものである。

久し振りに彼女の歌を聴いて見たくなって、検索していたところ、うかつにも実は、彼女はこの大晦日に65歳と言う

若さで亡くなっていた。

とても残念なことである。

そんな訳で、今日は改めて追悼の意を込め、彼女わ偲び、歌を聴きながらまだ若かった頃の彼女を鉛筆画で描いて

た。

「ジィス・ウィル・ビー」

「アン・ホー・ゲッタブル」

「mis you like crazy 」

貴方にとって、今日も良い一日であります様に


♪箱根の山は天下の嶮(けん)~♪

2016-01-03 | その他

辛く厳しい練習の日々を耐え抜き、「年の瀬」を超え、タッ、タッ、タッ、タッ、タ、箱根路に若人の足音が聞こえて 

来る。

駅伝は沿道にあって、選手の息づかいや足音を生で聞き、手に汗握るデッドヒートを直接体感し、沿道から声

を送るのが一番だろうが・・・それは箱根に行くしかない。(残念ながら少し遠すぎる・・・)

ただ、テレビではレースの全体がパノラマで、区間々々におけるデッドヒートなどが見られるから、これがいい。

我が家では『出雲駅伝』以外は、TVの前で観戦なのだが、毎年『箱根駅伝』で年が明けるのが恒例である。

何と言っても、新春早々に次代を担う若者達がチームの総力を結集し、死力を尽くして「天下の嶮(けん)」を走り抜

ける姿がいい、観るものを爽快な気持ちにしてくれる。

大学駅伝の魅力は、次走者にタスキを託して覇をを競うだけでなく、次代の走者(後輩)にバトンを託す姿に感動す

るのである。

雄たけびあり涙ありである、箱根・東京間:107・5キロの往路・復路には、これまでにも多くのドラマや伝説が生まれ

ている。

果たして今年はこの二日間、どこにどんなドラマが潜んでいるのだろうか。(ワクワクする)

いま復路、第7区間でヒートしているところだ。(昨日の往路では青学が優勝)

箱根駅伝は、正に力を一にして、『事を成し遂げる』と言う言葉がピッタリとくる競技ではあるまいか。

年の初めに、清々しさと何より元気のもらえる『箱根駅伝』である。

私も、何時の日にか、その険しい箱根路の沿道で、選手達の足音を聞き、人が辛い時、苦しいな時、これを耐えて

吐くと言われる、その息づかいを直接体感したいたいものだと思う

本年の総合優勝は果たして誰の手に・・・

「あけましておめでとうございますワン。」

「今日は沢山お客さんが来ると聞いて、待っているのに・・・来ないな~・・・お父さん一体いつになったら来るの。」

と、ミカ嬢は朝から玄関口へ行ったり来たりで、待ち焦がれています。

レイチャールズ~いとしのエリー