タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

 ♪生きる力・・・「アメリカン・メープル」♪

2015-05-30 | その他

芽生えるパワー凄まじく

公園や街路樹などでよく見掛ける、「アメリカン・メープル」の大木の幹から

ポツン、ポツンと胴体からいきなり?の形で、若葉が芽吹いています。

大木からこんな芽生え方をするのは珍しく、これまで銀杏の大木に例を見

た位ではないでしょうか。

これこそ植物の「生きる力」です。

メープルの木陰に入って、足下をよく見ると、落下した種から無数の芽吹い

たメープルの子が・・・・・・生えてきています。

エネルギー源であるメープル・シロップ(甘味料)が採れる樹であるだけに、

さすがに生命力と言うか、生きる活力というか、パワーに溢れている。

ちょっと面白い構図なので描いて見た。

貴方にとって、今日も良い一日であります様に

 朝ご飯食べたばかりだけど眠いな~(お母さんの腕がこの時間の定位置)

小野リサ:「ムーンライト・セレナーデ」

 


 ♪花影の小さな仏様に、お参りをして来ました♪

2015-05-29 | 風景

安来の臨済宗・雲樹寺にお参りして来ました。

このお寺は、1332年・三光国師によって開かれたお寺で、室町前期の禅

宗様式を留める「四脚門」等は、重要文化財に指定されていて、その昔

「四脚門」のに至る長い参道の両側は、ゆったりと水を湛え、別名「浮道」と

呼ばれ、あたかも水に浮いたような参道であったとか。

かつては500の寺僧を抱えた、山陰の名刹である。

ひと通り寺院のお参りを終えて、広い境内を散策していると、白い花が乱れ

咲き散る樹の下に、身の丈三尺(約1米)ほどの、仏様に行き当たりまし

た。

緑に苔むした地面に、白い花が無数に散り敷き、まるで浄土を連想させる

様で、思わず手を合わせておりました。(小さな小さな、お参り)

薄ピンク色の珍しい花、この花は初めて見ました。・・・

この花は『カルミア』と呼ばれる、北マメリカ原産の「アメリカシャクナゲ」の

一種で、花言葉「優美な女性」そのままに、まるでレースの日傘を差しかけ

(蕾)、また、広げた様な美しい花姿をしていて、ハナガサシャクナゲとも言

われているとか。

お陰で、今日は気持ちのいいお寺参りが出来ました。

貴方にとって、今日も良い一日であります様に

 ~重文・雲樹寺「四脚門」~

ハナガサシャクナゲ:カルミラ

ネット画像をお借りして来ました

星空のブルース


 ~名優 『クリント・イーストウッド』~

2015-05-27 | その他

                        『クリント・イーストウッド

昭和34年からテレビ放映(モノクロ)された、西部劇全盛の連続ドラマ『ロー

ハイド』で、イーストウッドを初めて知った。

このドラマは大変な人気シリーズとなり、イーストウッドの知名度と人気は、

界的に高まったと言えよう。

その後、生涯の師と仰いだ「セルジオ・レオーネ監督」に、イタリアに招か

れスペイン等を舞台に撮られた、いわゆるマカロニ・ウエスタン(イタリア制

ウエスタン)でアウトローを演じ、一気にその名声を高めていった。

その後、代表作『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続夕陽のガンマン』

と、三作のレオーネ作品に出演した。

これによってクリント・イーストウッドは、大スタートして不動の名声を得た。

映画俳優としては、ヨーロッパで花開き、アメリカに逆輸入される形となっ

た。

映画俳優・監督・政治家として類まれない才能を発揮して、84歳の今も渋

役柄や映画製作に取り組んでいる。

団塊前後の映画ファン・・・でなくても、このガンマンスタイルには、少なから

ず見覚えがあるはずである。

私は、最近テレビで、このクリント・イーストウッドの作品(特集?)を2本続

けて観る機会に恵まれた。

図らずも2本とも彼の監督・主演による作品で、『荒野のストレンジャー』~

獄してきた無法者から、街を守ると言った筋書き。

そしてもう1本は、イーストウッドがこの年齢に達したからこそ、演じられた

であろう思われる。

『マジソン郡の橋』である。

(ストーリー)

1989年の冬、フランチェスカ・ジョンソンの葬儀を出すために集まった、長

のマイケルと妹のキャロリンが、遺品の中から母の手紙と日記を読み始

める場面から、物語はスタートする。

母の手紙には「火葬にしてローズマンブリッジ(屋根付きの橋)の上から遺

灰を撒いてほしい」と記されていた。

平凡だと思われていた母親の生涯に、一度の激しい「恋の四日間」があっ

たことを初めて知ることになる。

兄妹が手紙の読み進めて行く形で、映画は回想風に始まる。

1965年の秋、子牛の品評会に隣町まで家族が出掛けた4日間、一人きり

なった小さな農場の主婦、フランチェスカ・ジョンソン(メリル・ストリー

)。

ウィンターセットに点在する屋根付橋のひとつ、ローズマン橋を撮りにやっ

てきたカメラマンのロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)は、フラン

シェスカとごく自然な流れで出会い恋に落ちて行く。

ローズマン橋まで案内し、帰りに家に立ち寄り、アイスティーをご馳走

る。・・・・・・そして、野の花を摘んでくれた彼を夕食に招待する。

ロバートは、物静かな佇まいが夫達とはひと味違っていた。

翌日、フランチェスカが、新しいドレスを着たのを「息が止まるほどきれい

だ」といい、そして二人は自然に結ばれる。

4日目の夜ロバートは、「一緒に町を出よう」と言うので、フランチェスカはト

ランクに荷物を詰める。

しかし、悩みに悩んだ上に、家族を捨てる(傷付ける)訳にはいかないと言

う彼女に、「これは生涯に一度きりの確かな愛だ」と断言する。

フランチェスカは迷いながらも、結局、元の生活に戻る道を選択する。

・・・・・・・・フランチェスカは、長年連れ添った夫を看取った後に、ロバート

今はどうしているのかと探す。

そんなある日、ロバートの遺品が自宅に届き、中には『永遠の4日間』とい

う写真集が入っていた。・・・・・結局、

フランシェスカの遺言は「私の遺骨はローズマン橋に撒いて欲しい・・・」「せ

めてりの身は彼に捧げたい・・・」と言うことだあったのだ。

フランチェスカの手紙(遺言)は、最初は「不倫ではないか」と怒っていた兄

イケルも、「母が純粋に一人の男性を愛し、その愛は本物の愛であった」

と気付かされる。

そして母フランチェスカの遺骨は、遺言通り兄妹のによって、ローズマン

橋から撒かれ、風に乗って舞い落ちていった。

人は誰も、この世に生まれ落ちると共に、人生劇場という大舞台(スクリー

ン)で、悲喜こもごも、壮大な生のドラマを演じ切って、去っていくのだが・・・

画スター達は、一体、何を思いながらその人を・・・『演じ』・・・ているのだ

うか・・・とフッと思った。 ~他人の人生を演ずること、それ自体が人生

なのだから~

貴方にとって、今日も良い一日であります様に


 ♪きれいな雑草♪

2015-05-25 | その他

プランターに植えている「ムラサキカタバミ」、雑草にしては、あまりにも

可憐で美しい花なので、またまた描いてみました。

先程起きたばかりなのに、昨夜は、お父さんのテニス観戦の、お付き合いで夜更かししたので・・・眠い・・・眠い・・・

スティーヴ・ガット:Gang Bottom Line N・Y


 ♪昭和の味、金平糖:コンペイトウ♪

2015-05-23 | その他

赤・白・黄色、色鮮やかな金平糖(コンペイトウ)、今日は遣い物のお菓子を

買いに、家内と一緒にお菓子屋さんに出掛けてみました。

家内が遣い物の品定めをしている間に、私は我が家の今日のお茶受けに

と、大福餅を二個だけ別に買い求めました。

早速、家に帰って大福餅をお茶受けに一服、すると家内がいつの間にか

「金平糖」を買って来ていました。

昔は、駄菓子屋に行くと必ずアルミ蓋の瓶に、むき出しのコンペイトウがグ

ラム(?匁・モンメ)売りされていたものです(今日のコンペイトウは、キャラメルの

様にセロハンでひねったものでした。)

形が凸凹と特異であり、何より「甘~い」ことから、子供に大変人気があり

ました。

コンペイトウを口にするのは、おそらくあれ・・・・・以来のことでしょう。

今は、色も鮮やかで、種類も増えていますが、味はちっとも変わらず、とて

も懐かしい甘さが口いっぱいに広がって来ました。

このコンペイトウ、ザラメ糖を回転釜で温めながら、約二週間もかけて固

め、20個あまりも凸凹の角のある,こんな大きさに仕上げるとか。

「コンペイトウ」の名前からして・・・やはり長崎は出島の、ポルトガル宣教師

から織田信長に献上されたのが始まりの様です

今日はとても懐かしい味わいで、抹茶を一服頂きました。

日本には昔から色々な数え唄がありますが「金平糖:コンペイトウ」も登場し

ていました。

これは、昭和に入ってからの数え唄でっしょうか。(いの一番に出てきます

いろはに金平糖 金平糖は甘い
甘いはお砂糖 お砂糖は白い
白いはうさぎ うさぎははねる
はねるはかえる かえるは青い
青いはお化け お化けは消える
消えるは電気 電気は光る
光るはおやじの はげあたま

          ~裸の金平糖:コンペイトウ(写真お借りして来ました)~

貴方にとって、今日も良い一日であります様に

 ジャズナンバーからジョン・コルトレーンの「至上の愛」をどうぞ


♪野いちごを、たくさん摘んで来ました。♪

2015-05-20 | その他

 野いちごをいっぱい摘んで来ました。

時は今、緑湧き立つ初夏の野山に目を転ずれば、ゼンマイ、わらび、タケノ

コ、滝菜、わさび等々、そこら中に山菜があふれています。

まだ春浅い頃、確かこの林道を通った時には・・・道脇の斜面いっぱいに、

白い野いご花が咲いていて、「この辺りは初夏の頃になれば、野いちご

が採れるんだな~」と、思ったことを思い出したぞ。

しばらく振り、「今日のお散歩」で、通りかかるとたくさんの真っ赤な野いち

ご(・・・ツブツブがきれい・・・)の実が、斜面いっぱいに生っているではない

か。

早速、試しに大き目の実を2~3個、口にして見ると、オランダイチゴとは違

て、「ほの甘~い」・・・懐かしくも「日本が味」が、口の中いっぱいに広

って来ました。

子供の頃、姉と一緒に弁当箱を持って山に分け入り、夢中でイチゴ狩りをし

て以来のことでしょうか。(・・・たしかあの時の野いちごは、黄色だったな~

最近では、格別甘くて美味しい、オランダイチゴ一色なので、「野いちご」な

んて全く振り向かれなくなりました・・・が、

でも今朝の食卓のデザートの一つとして盛り付けると、これが意外に美味

しく感激。

そんなわけで、「野いちご」の、ほの甘~い朝でした。

今日も、良い一日であります様に

~日活映画全盛の頃活躍した好きなスター石原裕次郎~

の「青い滑走路」・・・時にはこんな歌もいいでしょう。

 


♪ピエロは涙流しけれ♪

2015-05-18 | 風景

「月光とピエロ」 堀口大学

月の光の照る辻に  
ピエロさびしく立ちにけり
ピエロの姿 白ければ 
月の光に ぬれにけり

あたりしみじみ見まわせど 
コロンビ-ヌの かげもなし
あまりにことの 悲しさに 
ピエロは 涙流しけり

堀口大學は大正4年、父の赴任先マドリッドにあり、当時すでに名声を博し

ていた女流画家・詩人でもあった、マリー・ローランサンと出会い、交遊を深

めていく。

大学には淡い恋心が芽生えるが、年上で夫ある身の上流夫人であり、

元々も叶わぬ恋、若い大學(23歳)のこの思いは、所詮はピエロのようなも

の・・・この悲恋を大正8年、処女詩集「月光とピエロ」のポエムとして発刊さ

れている。

 歌詞の中に出て来る、「コロンビーヌ」は、ローランサンのことであろ

う・・・・・

~今日も良い一日を~ 

「想い出のサンフランシスコ」ジュリー・ロンドン


 ♪島根半島で見た田園風景♪

2015-05-17 | 風景

~島根半島で見た、のどかな田園風景~

今日は大変良い天気で、半島の方に散歩を兼ねて出掛けて見ました。

半農半漁なのでしょうか、溜め池の横には広い田んぼが広がっていて、

こに2頭の和牛が放牧されており、寝そべったり草を食んだりしています。

溜め池に突き出した枯れ枝には、川鵜が二羽止まって、何と長閑な風景で

しょうか。

昭和30年代頃までは、農家に必ず1、2頭の牛が居て、農耕に使われてい

たもので、良く見掛けた風景です。

まだこの辺りでは、家畜として飼っている家がある様で、そのことに大変驚

きました。(昔は、農家では、家の中に牛小屋があって、牛も家族の様な感じでした。)

こんな風景に出合うのは、およそ半世紀振りのことでしょうか、とても懐かし

い風景に出会う事が出来ました。

今日も良い一日を

ビィートルズの「レット・イット・ビー」


 ♪今日は薔薇気分♪

2015-05-16 | 植物

~初夏のバラの花~

この時期になると、いつも通る道沿いの建設会社の花壇に、もうかれこれ20数

年も前からでしょうか、大輪の色とりどりのバラの花が咲きます。

社長さんがバラ好きなのか、それとも事務員の方の好みなのか分かりません

が・・・事務所の窓脇の長い花壇一杯に、色と香りを競う様に咲こ乱れています。

そんな訳で今日は、またまたバラの花を描いて見ました。

と言うことは、今日は薔薇気分ということなのでしょう。

古今和歌集(紀貫之)より

『我はけ さうひにぞ見つる花の色を あだなる物と いふべかりけれ』

 私は今朝、初めて見たその花の色を あだなるものと言うべきであるな。

我はけさうひにぞ~ 『そうひ:薔薇:そうび』を表している様だが、「今朝」が

「さうひ」に掛けられているところ等が、いかにも平安貴族の言葉遊びというか、

雅さなのであろうか。

貴方にとって、今日も良い一日であります様に

 

イーグルスの「ホテル・カルフォルニア」

 

♪コーヒータイムと時の流れ♪

2015-05-13 | その他

今朝も、自家製パンとフルーツと一杯の珈琲で一日が始まりました。

今はこの後、現役の時みたいに慌ただしい朝の出勤もなく、こんな「時」が

とても心癒される時間帯なのです。

午後の三時のお茶の時間(?)にまた一杯、一日の行事が終わって就寝前

の読書に合わせて終わりの一杯。

一日三度のコーヒータイムは、今はライフスタイルの一つで、いつの間にか

それほどの、コーヒー好きになっていました。

とりわけアルコールを止めてから、一段と好きになった様な気がします。

あの名優・高倉健は、アルコールが全くダメで、知る人ぞ知る有名な「珈琲

党」であったことが、なるほどと頷けるほどです。

単にコーヒーが美味しいからと言うだけではなく、「コーヒー」イコール「時の

流れ」の魅力が潜んでいる様な気がします。

私は、昭和40年代頃、今は既にないレストランで、友達と一緒に飲んだコ

ーヒーが初めての経験でしたが、さして美味しかったと云う記憶はありませ

ん。

しかし、その後、喫茶店全盛(40・50年代)の時を経て、色々な種類のコ

ーヒーを飲み比べる内に、段々と好きになり、コーヒー・ミルを買って来て、

自分で豆を挽き、点てて飲むようになって来ました。(焙煎前の豆を自分で

焙煎出来れば、良いでしょうが・・・)

まさに至福の「時」と言えるでしょう。

コーヒーしかり、抹茶、各種ティー、アロマオイル、ペット飼育など、人はそ

れぞれ、様々な方法で心の平静を得ています。(精神活動の激しい人間ほ

ど癒しの時は、不可欠でしょう。)

そうそう、今朝、某局のテレビ番組で、猫がノドを「ゴロゴロゴロゴロ」と規

正しく鳴らす音は、学術上、イルカが魚を探知するために出す、超音波・

エコーロケーションに、波長が非常に良く似ていて、「心を癒し・病気を治

す」力」があるとか・・・いずれにしても、複雑な現代社会を生き抜くために

は、コーヒーよし、アロマオイよし、ペット善しで、飲み物や香りや、動物の

力を借りるのも有ではないでしょうか。

すっかり寄り道をしてしまいましたが、コーヒーが大好きです。

~あなたにとxt今日も良い一日であります様に~

ホイットニー・ヒューストンで「アイ・ビリーヴ・イン・ユー・アンド・ミー」


♪立てば芍薬、すわれば牡丹・・・♪

2015-05-12 | 植物

今年も庭の片隅に咲いた『シャクヤク』の花、とても清楚な感じの花なの

で、鉛筆の一色で描いて見ました。

昔から、美人の例えに立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花

と言いますが、この例えには色々な説があるようです。

芍薬:シャクヤクをその昔、生薬の薬効の面からとらえて、イライラと気の

立った状態を表現するとの説もある様ですが、現実に芍薬・牡丹を目の

当たりにすれば、やはり美人の形容と見るのが、妥当ではないかと私は思

う訳ですが、如何なものでしょう。

昨日のこと、恥じらいながら蕾が開いたばかりのシャクヤクの花 

今朝一番には、晴れていて、すっかり満開だったのに

陽が高くなるにつれ、空が曇って来ると、自然に萎んでしまいました。

 やがて雨に打たれて、ひとひらまたひとひらと、散り始めました。

 美人短命と言いますが、ほんと儚いですね~・・・でも、来年も必

 ず咲きますから

禁じられた遊び ナルシソ・イエペス

 

 


♪五月の風に、ゆらりゆらりとなびくポピーの花♪

2015-05-09 | 植物

ここのところ、自治会役員会や、沢山のトマトの苗を知人・友人へ配

り歩き、その一方で訴訟の原告としての打ち合わせ・資料集め等もあって

煩雑極まりない日が続き、ブグの更新もしばらく休んでおりましたが、や

っと一段落し、静かな日々が戻って来ました。

その間も、日課の散歩は、一日たりとも欠かさず、ひたすら田舎道をリハビ

リを兼ねてゆっくりと歩きました。

道端の花畑には、綺麗なポピーの花が、風に頭を優しく撫でられて、一斉

にゆらりゆらりと、揺れ咲いておりました。

ポピーの花は、可愛い感じが好きな花の一つです。

島根県では、2011年に完成した「志津見ダム:水力発電所」の周辺で、毎年

6月に入ると、約100万本と言われる壮観なポピーの花に囲まれて、「ポピ

祭り」がにぎやかに開かれ、何回か足を運びました。

このダムは、「ダム・ファンクラブ」なるものが結成されている様で、様々な

イベンが開かれており、多くの人々に愛されています。

島根県は、ご存知の様に県庁所在地に「島根原発」がありますが、福島の

発事故の例あり、ひとたび大事故に見舞われれば、人の力で制御する

の出来ない原発は、大きな危険を孕んでいます・・・我々は孫子の代に

これを残す訳には行かなでしょう。

これはもう・・・可能な限りい時期に廃炉にすべきでしょう。

そして水力・火力・風力等の自然エネルギーを活用した、発電に切り替える

べきだと思うのですが。・・・・・

そして、志津見ダムの様な、きれいなポピーの花でも、愛でていた方が心

安らぐのではないでしょうか。

今日も良い一日を

サム・テイラーの「ミッドナイトROUND」

 

 


  ~そうだ、姉に会いに行こう~

2015-05-05 | その他

 

智恵子抄 「山麓の二人」 高村光太郎

二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は                                  険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野とほく靡(なび)いて波うち                                     芒(すすき)ぼうぼうと人をうづめる
半ば狂へる妻は草を藉(し)いて坐し                                                           わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のやうに慟哭(どうこく)する
―わたしもうぢき駄目になる                                            意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて                                             のがれる途(みち)無き魂との別離
その不可抗の予感
・・・・・わたしもうぢき駄目になる                                                     

涙にぬれた手に山風が冷たく触れる                                         わたくしは黙つて妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返つて                                       わたくしに縋(すが)る
この妻をとりもどすすべが今は世に無い                                                わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し
闃(げき)として二人をつつむこの天地と一つになつた。

「・・・・わたしもうぢき駄目になる」、この一句に、千恵子の震える魂そのも  

のの、慟哭を聞いたような気がする。

私達の未来には、夢や希望に満ちふれれ光が差し込んでいる一方で、時

に思いも掛けない運命が待ち受けていることがあるものです。

自分の力ではどうする事も出来ない、どうしても超えることの出来ない大き

な壁が・・・・・千恵子にも、どうしても取り返すことの出来ない意識が、自分

の中から急速に薄れて行く中で、「・・・わたしもうぢき駄目になる・・・」と、

自身の全人格が壊れ去って行くことを思い、どれほど悲しみ、苦しんだこと

ろうか。

私は、この詩集を読む度に、この一句のところまで来ると、「今頃姉は

どうしているのだろうか。 たとえ意識の向こう側にあっても、元気でいるの

だろうか」と、想いを巡らす一方で、元気な頃を思いえがき、私を認知さえ

出来なくなっている今を思うと、ついつい、訪ねることを躊躇してしまう

子供の頃から人一倍利発で、社交的で、饒舌で面白く、私を殊のほか可愛

ってくれたのも、この長姉である。

アルツハイマーと痴呆症を併発し、施設での生活が、もう随分長くなる

数年前に訪ねた時は、「〇〇〇だけど分かる」と言うと、分かっていると云う

ものの、気持ちは、まだ娘時代を霞みの向こうで回想している様な仕草を

見せていた。

だが、今は母弟・姉妹や子供やの顔すら分からなくなってしまっているのだ

が、向かい合って手の温もりを伝えながら、話し掛ければ何かを感じてくれ

るだろうか。

やっぱり、近く会いに行こう。

~貴方にとって、今日も良い一日であります様に~

雨に濡れたハマナスの花