『クリント・イーストウッド』
昭和34年からテレビ放映(モノクロ)された、西部劇全盛の連続ドラマ『ロー
ハイド』で、イーストウッドを初めて知った。
このドラマは大変な人気シリーズとなり、イーストウッドの知名度と人気は、
世界的に高まったと言えよう。
その後、生涯の師と仰いだ「セルジオ・レオーネ監督」に、イタリアに招か
れスペイン等を舞台に撮られた、いわゆるマカロニ・ウエスタン(イタリア制
ウエスタン)でアウトローを演じ、一気にその名声を高めていった。
その後、代表作『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続夕陽のガンマン』
と、三作のレオーネ作品に出演した。
これによってクリント・イーストウッドは、大スタートして不動の名声を得た。
映画俳優としては、ヨーロッパで花開き、アメリカに逆輸入される形となっ
た。
映画俳優・監督・政治家として類まれない才能を発揮して、84歳の今も渋
い役柄や映画製作に取り組んでいる。
団塊前後の映画ファン・・・でなくても、このガンマンスタイルには、少なから
ず見覚えがあるはずである。
私は、最近テレビで、このクリント・イーストウッドの作品(特集?)を2本続
けて観る機会に恵まれた。
図らずも2本とも彼の監督・主演による作品で、『荒野のストレンジャー』~
出獄してきた無法者から、街を守ると言った筋書き。
そしてもう1本は、イーストウッドがこの年齢に達したからこそ、演じられた
であろう思われる。
『マジソン郡の橋』である。
(ストーリー)
1989年の冬、フランチェスカ・ジョンソンの葬儀を出すために集まった、長
男のマイケルと妹のキャロリンが、遺品の中から母の手紙と日記を読み始
める場面から、物語はスタートする。
母の手紙には「火葬にしてローズマンブリッジ(屋根付きの橋)の上から遺
灰を撒いてほしい」と記されていた。
平凡だと思われていた母親の生涯に、一度の激しい「恋の四日間」があっ
たことを初めて知ることになる。
兄妹が手紙の読み進めて行く形で、映画は回想風に始まる。
1965年の秋、子牛の品評会に隣町まで家族が出掛けた4日間、一人きり
になった小さな農場の主婦、フランチェスカ・ジョンソン(メリル・ストリー
プ)。
ウィンターセットに点在する屋根付橋のひとつ、ローズマン橋を撮りにやっ
てきたカメラマンのロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)は、フラン
シェスカとごく自然な流れで出会い恋に落ちて行く。
ローズマン橋まで案内し、帰りに家に立ち寄り、アイスティーをご馳走す
る。・・・・・・そして、野の花を摘んでくれた彼を夕食に招待する。
ロバートは、物静かな佇まいが夫達とはひと味違っていた。
翌日、フランチェスカが、新しいドレスを着たのを「息が止まるほどきれい
だ」といい、そして二人は自然に結ばれる。
4日目の夜ロバートは、「一緒に町を出よう」と言うので、フランチェスカはト
ランクに荷物を詰める。
しかし、悩みに悩んだ上に、家族を捨てる(傷付ける)訳にはいかないと言
う彼女に、「これは生涯に一度きりの確かな愛だ」と断言する。
フランチェスカは迷いながらも、結局、元の生活に戻る道を選択する。
・・・・・・・・フランチェスカは、長年連れ添った夫を看取った後に、ロバート
今はどうしているのかと探す。
そんなある日、ロバートの遺品が自宅に届き、中には『永遠の4日間』とい
う写真集が入っていた。・・・・・結局、
フランシェスカの遺言は「私の遺骨はローズマン橋に撒いて欲しい・・・」「せ
めて残りの身は彼に捧げたい・・・」と言うことだあったのだ。
フランチェスカの手紙(遺言)は、最初は「不倫ではないか」と怒っていた兄
マイケルも、「母が純粋に一人の男性を愛し、その愛は本物の愛であった」
と気付かされる。
そして母フランチェスカの遺骨は、遺言通り兄妹の手によって、ローズマン
橋から撒かれ、風に乗って舞い落ちていった。
人は誰も、この世に生まれ落ちると共に、人生劇場という大舞台(スクリー
ン)で、悲喜こもごも、壮大な生のドラマを演じ切って、去っていくのだが・・・
映画スター達は、一体、何を思いながらその人を・・・『演じ』・・・ているのだ
ろうか・・・とフッと思った。 ~他人の人生を演ずること、それ自体が人生
なのだから~
貴方にとって、今日も良い一日であります様に