タカちゃんの絵日記

何気ない日々の感動を、スケッチと好きな音楽と、そして野鳥写真を。。。

 ~僕の前に道はない  僕の後ろに道は出来る ~ 高村光太郎

2016-09-29 | 風景

 

久し振りに図書館に立ち寄り数冊の本を借りてきた。 その中の一冊に、世界的美術家(墨を用いた抽象画)で、エッセイストでもある藤田桃紅(ふじたとうこう)の、「百歳の力」が目にとまり、(そう言えばこの著者の本以前Sさんが読後感を。。。借りて来て今読んでいるところである。

表題の通り、藤田桃紅さんは103歳の今もお元気で、創作活動に取り組んでいらっしゃる様である。 一世紀以上も一つの道を生き抜いてきた人であり、そこには我々凡人には思いもつかない、生きるための力と知恵が隠されているのではないのだろうか。。。。。私は、読書をする時には、冒頭の(はじめに)の書き出し部分と、巻末の(おわりに)あるいは(あとがき)の部分をまず最初に噛みしめて読む、癖がついている。

それは、この部分に著者の万感の思いが綴られていることが多いからである。 そう言えば、今朝の朝ドラ「とと姉ちゃん」でも、雑誌の(あとがき)部分を編集者が遺言の様な形で、書き取らせる感動的なシーンがあった。

「百歳の力」 藤田桃紅

(はじめに) 

~人生、いつどうなるかわかりません。 私の百歳なんてまったく予定外です。 きょうだいの中で一番体の弱かった自分(幾度も死線を超えてきて)が、一番長生きをしてしまった。 神様がなさることというのは、人間ごときには予想できない。 人生には。。。いかに不思議ことが多いか。 若い時には、今の私を。。。予想も予定もしない、行きあたりばったり。 出たとこ勝負ずっとやってきました。 それは高村光太郎の詩『道程』と同じです。

僕の前に道はない 

僕の後ろに道は出来る

ほんとうにそう、いつも高村光太郎の詩を心に思い浮かべて生きてきた。 私の前には道はない。誰かが歩いた道を私は歩いているにじゃない。 人のやったことをなぞってない。                       でも生きるってそいうことです。 詩の前半は私の人生に当てはまるが、後半は私の後ろに道などない。。。なくてもかまわないと思っている。~

(おわりに)                                                     ~父が授けてくれた恐れ多き 桃紅 という雅号で書や絵の世界に入り、一世紀が過ぎて二世紀目の第一に入りました。 私が尊敬して止まない葛飾北斎は、歳を重ねるとともに自然の(花鳥風月)の少しは奥まで見ることが出来るようになった。                                                                                                     百歳、百十歳になればどんなものも生きた様に描けるようになろう。                                 どうぞ長生きをされこの言葉が嘘でないことを確かめていただきたい。と語ったと言われています。私も生きているうちにどんどんやりたいことをやろうと思っています。 まだ、ふと心にかつて見ない、美しい線が走り抜ける様に感じる時があり、それを可視のかたちにしたいと思い、それは一種、熱望というような希いでもあり、この老い、老いさらばえた私の心を駆り立てます。~      と結んでいる。

またこの本で引用された、高村光太郎の詩『道程』を紐解いてみると、短い詩(一節)の終わりの部分で                                                この遠い道程のためにも

この遠い道程のためにも  

と、祈りにも似た言葉を二度繰り返している。 光太郎の「僕の後ろに道は出来る。」という言葉、それは自分の生きる道は、自分の手で切り開くという決意であって、強い思いや思考でもあったのだろうと思われるのです。

この本を読み終わって。。。人間が生きていくと言うことは、この遥かなる道のない地平線に向かって、何一つ思い通りに行かないことが多いけれども、しかし一つ一つ努力して克服して進めば、目標が何であれ、必ずや、否、少なくとも、あの地平に辿り着けるのではないのだろうか。。。。。と希望を持つことができるのでした


 マイケル・ブーブレ:「ラストダンスは私に」

 

 


~映画「17歳のカルテ」:アンゼリーナ・ジョリー~

2016-09-27 | その他

 

 前にも一度鉛筆画で取り上げたことのある、ハリウッド女優の「アンゼリー・ナジョリー」、今度

は映画ではなく私生活の面で、夫君のこれまたスーパースター「ブラッド・ピット」と、離婚訴訟を

提起したらしい。

離婚理由は夫婦の間によくありがちな夫の(ブラピ)浮気等ではなくて、一説によれば、現在、アン

ゼリーナ・ジョリーは、国連難民高等弁務官事務所の「特使」として活動を続けているのは、つとに

有名な話であるが、なんと、将来国連の高官になりたがっているそうで、そんな政治的野心のため

に、ジョリーは時々、レバノンやイラク、シリア等の危険地帯に難民支援のために出掛けるのだが、

そんな折に子供(養子、我が子)達を同行させるころから、ブラッド・ピットがこれには猛反発し、

いが絶えなかった様である。

それにしても、一時女優を引退宣言して監督業に徹するとか言っていたが、実際はこの政治的野心が

本物だったのかもしれない。

さて、アンゼリー・ナジョリーの映画で、これまでに私が観たのは、どちらかと言えばアクション映

画が多かった様に思う。

唯一レンタルして来て観た『17歳のカルテ』は、アカデミー賞・ゴールデングローブ賞を受賞した

というだけあって、当時はまだ映画人としては新人であった「アンゼリーナ・ジョリー」だが、エキ

セントリックで、繊細な演技力を見せつけた。

この映画は「思春期病棟の少女たち(和訳)」のタイトルの通り、精神病棟に収容されている女性を

見事に演じ切っている。

(すこしネタバレ)

ある日突然、薬物の大量使用による自殺未遂を起こしたスザンナ(ウイノナ・ライダー)は、精神科病院に収容される。                                                      自分では、パーソナリティ障害という自覚が無く、その環境に馴めないスザンナだが、病棟のボス的存在であるリサ(アンゼリーナ・ジョリー)の、精神疾患である事を誇るかの如き態度に魅かれていく内に、その病院が自分の居場所であると感じていく様になっていくのである。                         しかし退院した患者の、近親姦を喝破して、その患者を自殺に追い込むというリサの行動から、徐々に彼女の行動に疑問を抱くようになって行く。                                     だが、その事でリサにうとんじられ、他の患者も全員リサに同調して彼女は孤立して行く。         やがて、リサや他の患者との全面対決に至るが、その出来事によってスザンナは「リサはこのこ病院でしか生きられないから、これだけ強気な行動に出られるのだ」と気付き、自分は社会復帰を目指さなくてはならないと決意し、辛く苦しい努力を重ねた後、病院を後にするところで映画は終わる。。

この映画は、2000年の本邦公開であるが、アンゼリーナ・ジョリーの真迫の演技は、彼女の他の映

画には見られない一味違った、強い印象に残ってた映画であった。

 


ビル・エヴァンス・トリオ

 


 ♪ 映画「ユー・ガット・メール」~メグ・ライアン ♪

2016-09-20 | その他

当ブログに時々お出で頂いている方のコメンコで、いわゆるネットの世界と現実をクロスさせた映画、「ユー・ガット・メール」をレンタルしてきました。                                                              この映画は公開(1998)当時に映画館で一度観た作品ですが、まだブログを始めるよりずいぶん前のことで、ブログにどっぷりと浸かっている今、また改めて観るのも良いのではないかと。。。主演は当時『ラブコメの女王』と言われた「メグ・ライアン」、そのモテモテ振りは大変なものでした。                                                               とてもキュートで愛らしさのある女優さんです。

~あらすじ~
キャスリーン(メグ・ライアン)はニューヨークの街外れで、母親から引き継いだ小さな絵本屋を細々と経営しています。小さいながらも、温かい雰囲気で子供たちを迎い入れるお店です。
そんな彼女には、フランクという恋人がいるけど、インターネットで知り合った、一度も会ったことがなく、メールのやりとりしかしたことのない、男性との『おしゃべり』に夢中です。

そんなある日、彼女の本屋さんの近くに、『FOX BOOK』という大きな本屋さんが進出して来ます。
本の種類の多さもさることながら、価格も安く、このでっかい本屋さんの出現は、キャスリーンにとっては大打撃です。
そしてなにより本を売ることを、ただただ商売としてしか考えいない経営者のジョー(トム・ハンクス)の考え方が大キライなのです。
その後、ライバル同士のキャスリーンとジョーは顔を合わせることになりますが、「本を安く大量に売る。それのどこが悪いの。」と、考えるデリカシーのない男ジョーは、キャスリーンを益々イライラさせるのです。
商売においてもプライベートでも、すること成すこと、ことごとく対立するキャスリーンとジョーなのでした。

そんな嫌な男ジョーには、恋人がいるにもかかわらず、心を打ち明けることができる相手がいます。
それがメールでしか会ったことがない女性『Shoppgirl』なのです!
「今日はこんなことがあったよ、Shoppgirlさん!」と、毎日のようにメールで語り掛けるジョー。
そしてそして、お互いに心を打ち明け合っているメール相手っていうのが、なんと、ジョーとキャスリーンお互い同志なのですが、二人はそのことに気付いていません!

現実ではケンカばかりの2人が。。。。。メールではお互いに心を打ち明け、励まし合い、尊敬し合っているのでした。
お互いに本当の姿を知らずに関わっていくキャスリーンとジョー、そして、ついにキャスリーンの絵本屋の経営が苦しくなってきました。!
なんとか絵本屋さんを残そうとするキャスリーン、メールで心が通じ合っているのに、商売敵で性格も合わない、顔も合わせたくないヤツ、ジョーとの仲はどうなって行くのか。。。。。キャスリーンとジョーはメールだけではなく、現実でも仲良くなることができるのでしょうか。

と言ったラブコメデー。
18年前と言えば、まだまだ今ほどネット社会も進んでいなかった頃の事、そこは映画の本場ハリウッドのこと、いち早くこんな形で映画を作ってしまうのですから、う~ん、さすがというほかありません。
今では、多くのメールやブログ愛好者の中には、案外、転がっていそうなストーリーではないでしょうか。


ユー ガット メール


パガニーニ~ヴイオリン協奏曲第一番

 ♪ ば~らが咲いた ば~らが咲いた 真っ赤なば~ら~が~ ♪

2016-09-17 | その他

この春先から、綺麗なバラの花を贈って頂いていた、Iさんが以前「雪の下では咲かないけど。。。


。。バラの花は一年中咲くんですよ。」と、おっしゃっていましたが、確かに、我が家のバラも


今、四季咲きのバラに、が次から次へと着きます。


でも、そこはグッと我慢して、木を大きく育てるために、早目早目に蕾のうちに摘み取ってやって


ます。


今回頂いてきた「バラの花」も、色はとりどりなのですが、やはり春・夏の咲き頃を過ぎてい


なのか、心なしどこか儚げな風情をしています。


それでも、あの上品で福与かな香りは失っていません。


この季節にバラを頂いた記しにと、描きとめて置くことにしました。



マイク真木~「バラが咲いた」




バッハ「G線上のアリア」~Bach "Air on G String"




 

 


「東(ひむがし)の野(の)に かぎろひの立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」 柿本人麻呂

2016-09-15 | 風景


今日9月15日は、生憎のお天気だが「中秋の名月」の日である。

お月見は、残念ながら 月より団子 になってしまった。

しかし今年の中秋の名月は、満月(十五夜)ではなく少しズレて9月17日なので、今日が

ダメでも「まん丸お月見」まだ出来そうである。

この絵は、今年3月に有明の月を背に、北帰行の旅に発つ白鳥の写真を撮って、描いたもの

であるが、

有明の丸いお月様と言うことは、太陽・地球・月が一直線に並んだ、3月20日前

 後に描いた絵だと思われる。

普段は何気なく見上げる月も、太陽・地球・月、そして引力の関係から、潮の満ち引きや人

間の体に大きな影響を与え、またその恩恵にも授かっているのだが、平素はそんな意識はなく

、今夜はやけに月明かりが明るい夜だな~と、縁側に出てただただ見上げるだけでここまでき

た。

思えば、人類創世のそのまた昔から、天空に輝き続けてきている月なのである。

であるからして。。。古くは飛鳥の昔から「万葉集」や「古今和歌集」などで、月を詠んだ歌

は多く残されています。

歌聖・柿本人麻呂の有名な歌、

「東(ひむがし)の野(の)に かぎろひの立つ見えて 
 かへり見すれば 月かたぶきぬ」
 
「阿騎(あき)の野(の)に 宿(やど)る旅人(たびびと) 
 うちなびき いも寝(ぬ)らめやも いにしえ思(おも)ふに」       

東の地平に日が昇りはじめる頃、西を返り見れば朝の曙、月が沈んで行く光景を詠ったもので

す。

柿本人麻呂は飛鳥時代の公人で、今で言う赴任先の いわみの国(当県西部) が終焉の地と

されており、この地で詠んだ歌は多く。

「去年見てし、秋の月夜は照らせれど、相見し妹(いも)は、いや年離(さか)る」                            

~去年の秋に見た月は、今も明るく照らしているけれど、この月を一緒に見た私の妻は、離れ

て遠くへ逝ってしまった。~

愛しい妻を亡くした悲しみを詠んだ、こんな歌も残しています。

今夜はお月見は出来ませんでしたが、これを機に万葉歌人の歌に、親しむことが出来ました。



ベートーヴェン:「月光」


   ~静物の水彩画を描いてみました~

2016-09-12 | その他

 

PC(ディスクトップ)が壊れてしまって。。。。。家内のノートPCに乗り換えたのは


良かったけど、今までの画像取り込み・加工方法と全く手順が違うため、手探りでやっ


と行き着きました。


ント硬い頭で苦労しました。


なんとか、たまたま出来た感じなのですがで、その間に描き置いた、水彩画を取り敢え



ず更新して見ました。




カーペンターズ:ヒットメドレー



  ♪~食う・寝る・動く(働く)の毎日~♪

2016-09-03 | その他

食う・寝る・動く(働く)の繰り返しの毎日・・・・・その食のことだが、今は食欲の秋本番直前と言う

ところだが、いつも立ち寄る隣市の‘道の駅‘には、既にたくさんの秋物果物がすっかり出揃ってい

る。

ちなみに、、この結構大き目な葡萄「ピオーネ」や「マスカット」が350円で売られており、これはお

買い得と言うもの、すべて産直だからこそ新鮮で安い果物を手にすることが出来る。

スーパー等では、ほぼ倍の値が付いていて、私などそのコーナーんの前は、そっと素通りしてしま

うところだ。

二十世紀ナシも、隣市は不服からの産地だから、これまた驚くほど安い。

トマトも露地栽培の季節は、ほぼ終わりに近付いてきたから、ほとんど捨値で出されている。

柿はちょっと時期が早いが、イチジク、リンゴ、オレンジ、メロンにスイカ等など、昔と違っては今は、

普通に農家で栽培されているから、我々はその恩恵に預かっている訳だ。

朝食のデザートは揃ったが、今日は、週一のパンを焼く日である。・・・ほんの先程、ホカホカのパ

ンが焼き上がったばかりだ。

これで、向こう8日間の‘朝食‘はキープできた。

‘腹が減っては戦は出来ぬ‘なのである。

この角パン(2斤)をほぼ6年半にわたって私が専属で焼き続けている。 

最初は、手探りで色々なレシピで試してきたが、ここ6年間程は一つのレシピに落ち着いている。

パンは手捏ねだから、捏ねるのがちょっと手間なのだが、慣れてしまえばなんのことはない。

自分で焼くパンは格別で、もう、店売りのパンは食べられない。

 

高橋真梨子:「五番街のマリーへ」

 


 ~伝説の美女:イングリッド・バーグマン:映画「ガス灯」~

2016-09-01 | その他

伝説の美女『イングリッド・バーグマン』主演の『ガス燈』が、BSで放映されていたので久し振りに観る

になりました。

彼女は生涯に三度のアカデミー賞を受賞してをり、ハリウッドの往年の大スターの一人でもあります。

『ガス燈』の他にも、『カサブランカ』や『誰がために鐘は鳴る』『別離』『オリエント急行殺人事件』など多

くの優れた作品に主演し、1940年代から1980年代にかけて、‘映画らしい映画‘の世界で活躍し

ではなかったのかと思ったりします

映画『ガス燈』は、霧深いロンドンの夜の街角に灯る、ガス灯の明かりがおりなす、‘光と影‘をモノクロだ

からこそ出せる、幻想的な雰囲気の中で演出されている秀作だと思うのですが。

~あらすじ~

有名歌手である叔母に育てられたポーラ(イングリッド・バーグマン)は、声学の勉強の為にイタリアに留学

ることになっていた。

しかしそんな矢先に、叔母は何者かに殺され、犯人も捕まらない。(叔母が身に付けていたダイヤは何処に・・・

傷心のまま旅立ったポーラだったが、旅先で作曲家のグレゴリー・アントン(シャルル・ボワイエ)と恋に落

ち結婚してしまう。

ロンドンに戻ったポーラは、グレゴリーと共に叔母の家に住み始めたのだが、この頃から、ポーラは物忘れ

が激しくなっていく。                                                                           

ある日、ハンドバックに入れたはずの首飾りが紛失、また音楽会の会場では、夫が懐中時計が紛失したと

言いながら、ポーラの持っていたハンドバッグの中から取り出して見せる。

グレゴリーは、ポーラが自分のしたことを少しも記憶していないと、言ってことごとに彼女を責め立てる。

次第に自分の精神状態に自信を失って行くポーラ、夜ごとに‘ポッ‘と薄暗くなるガス燈の光や、天井に

こえる奇怪な物音も、自分の精神が衰えているための、幻想や錯覚かと焦燥感にかられて行くのだった。         

グレゴリーは、そんなポーラを病院に隔離しょうと画策するのだった。

次第に精神的に追いつめられて行くポーラだったが、こんな時ポーラを助けてくれたのが、キャメロン(ョセ

フ・コットン)だった。

そして、次第にキャメロンの謎解きが始まって行くのだった。

・・・・・犯人が捕まった後のラストシーンで、ガス灯の明かりも霧にむせぶ暗い街角を見下ろしなが、『暗い

はねぇ・・・・・ でも明るい朝が必ずやって来る。 そして闇夜の暗い記憶を消してくれる・・・』と、ポーラは

ぽっりと呟くのだった。

 

最近、ちょっと元気のないミカ嬢、夜は7:00には床に就く様になりました。

 

 

小野りさ:Fly Me To The Moon