貯金箱のことを古くは貯金玉と呼び、我が国におけるその発生は今戸焼から、と言われています。
その一番古い形は、画像のような宝珠の形だったそうです。もともとは幕末頃、博打の寺銭入れとして考案されたもので、かなり大きな宝珠だったらいいのですが、明治のはじめにお金を貯めるための目的で作られるようになったといいます。 この宝珠の形をした貯金玉にはふたとおりの製法があって、ろくろ挽きで成形したものと、割型を使ったものとあるそうで、ろくろ挽きのほうが古い作り方なのだそうです。画像のものは、底に糸切り痕が見られ、両方ともにろくろ挽きの製法のもののようです。
貯金玉、貯金箱というと人や動物、郵便ポスト、など置物としても飾れるような形がポピュラーなイメージですが、それらが出てくるのは後のことのようです。宝珠型に続いて今戸焼に登場した貯金玉は蔵の形、そして招き猫、その後いろいろな形が出てきます。
画像左のものは、彩色された形跡が見られないので素焼きの地肌のままで売られていたのでしょう。右のものはペンキのようなもので塗られています。宝珠ですから、金や銀で塗られたものが多かったらしいです。
左の宝珠の背面には取り出し口らしき穴が切出されています。古い貯金玉だと、取り出し口のないものが多く、割らないとお金を取り出せないのですが、古い形でありながら、取り口を持っているという点で時代はどのくらいなのか迷ってしまいます。
今戸に古くからお住まいになられていらっしゃる方から、戦前のことをお聞きしたことがあるのですが、子供の頃、近所の「小川源太郎」という名前の今戸焼屋さんがいて、外にたくさんの「宝珠の貯金玉」を干していた。遊んでいて、干してあるのを落としてしまい、よく怒られたそうなのですが、この「小川源太郎」という人こそ、宝珠の貯金玉の作者として、戦前の有坂与太郎の著作に出てくるのです。
地元の方の思い出のお話から、名前が出てくると、遠い昔のこともリアルな感じがして、嬉しくなりました。