赤羽駅西口から西へ弁天通りがのびていますが、その通りの名前はこの弁天様からきています。
江戸名所図会にも描かれている池はもっと広大な様子ですが、私が知っている池は現在より少し広かったという感じ。小学生の頃、遊ぶテリトリーを拡げつつあった頃、西口は私の住む南口界隈に比べ、緑が多く、虫採りやどんぐり拾い、カラスウリ採りなど南口では手に入らないものを求めて遠征していました。
国鉄の踏切が開かずの踏切だったこともあって、東と西の行き来は案外面倒でした。一番通りやすかった踏切は、現在「餃子の王将」やくすりの「ぱぱす」があるところ、地元では「親子踏切」と呼ばれていました。京浜東北線はもともと堤の上を走っていたので、そのガードをくぐり、東北線高崎線貨物線を渡るひとつの踏切と赤羽線を渡る小さな踏切があったので「親子踏切」。電車が好きだった私はよく親子の踏切の間の坂道で「特急いなほ」や「特急つばさ」を待っていました。
弁天池の話に戻ります。私の記憶では、昔はこのような鉄柵がなく、ザリガニがいるので、よく採りました。亀はその頃のほうが少なかったように思います。現在よりも向かって左側に池がのびていて、池の一部を跨ぐように平屋の家が建っていました。おそらく弁天様を管理する役目だったのだと思いますが、子供が遊んでいると、窓がガラッと開いて、怖いお婆さんが「こらっ」と怒鳴るんです。それで一旦は逃げて、またザリガニを採るという繰り返しでした。今考えると罰が当たってしまいそうでひやひやします。
あの頃を思い出すと、池の周りに旅館がたくさん、またホテルもありました。西口で八百屋と骨董屋をやっておられたUさんというおじさんに昔の赤羽の話をよく伺ったものですが、嘗ては、この界隈は2業地だったそうで、山の上の陸軍関係のお客様で賑わっていたようです。私が見た旅館もそうした歴史とつながっていたのでしょう。
今は新しいマンションが建って、景色も変わってきていますが、赤羽の中では割と古風な雰囲気を残すエリアだと思います。
弁天通りには、嘗て2軒の映画館がありました。子供の頃、夏の涼みを兼ねて、「子供まつり」だったかアニメを観に連れていってもらったのですが、予期せぬ実写の「妖怪映画」が併映されていて、子供心に怖くて夜トイレに行けなくなりました。