赤羽にお住まいの方でしたら、現在のどのあたりかすぐおわかりになるでしょう。
赤羽公園の東側、つまり、モザイクの滑り台を挟んで、噴水とは反対側。後ろに見えるのは、昔北側にあった染色工場か、あるいは南側の現在マンションが建っているところにあった工場。染色工場だとすれば赤羽病院やダイエーが写る角度です。まだモザイクの滑り台はない頃です。
子供の頃公園の土のむき出しになっているところには、たくさんの貝殻が覗いて見えました。今でも時計台の裏手あたりに見られるのではないでしょうか?太古の昔このあたりが海だった名残なのでしょうし、母の話ではこのあたりは沼みたいだったそうです。
この写真よりもっと右奥の東側の公園入り口には、型抜き屋のおじさんや紙芝居屋のおじさんが来ていました。おでん屋のおじさんも。あんずや毒々しい赤色のすももを絡めた水あめなんか買いました。
私の写っている一番古いアルバム。久しぶりに眺めてみると意外にも昔の赤羽の街並みがばっちり写っているものが少ないんです。わが家の場合、趣味的に写真と撮るということがなかったのと、特別の時にしか撮らなかったのでしょう。それに、人物中心なのが多いので、はっきりと、昔のあそこ、と場所の特徴のあるのがないんです。
まだ赤羽線と呼ばれていた頃のホーム。池袋と赤羽を電車が折り返し運転していました。
私には黄色い電車が馴染みがありますが、写真の当時は茶色い電車だったかもしれません。前方左側が西口です。ぼんやりと見える看板。ローカルな感じがしますね。
西口はその頃ローカルでいい感じでした。時代としては昭和40年~42年頃の風景だと思います。