東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸焼(26) 松の香合(白井半七作)

2010-06-08 19:02:23 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010481 貯金玉や火入れなど庶民的な製品を並べていましたが、ここでまた茶道具関係の製品です。

陶印から、今戸で活動していた最後の半七、つまり7代目の白井半七(1857~1933)の作だと考えられます。関東大震災に遭い、その後招かれて兵庫県伊丹市に築窯し、まもなく亡くなられた、とあるので、今戸で活躍した最後の半七ということになります。この作品は白い土でできているのですが、今戸では製品によって地元の土と取り寄せた土を使い分けていた、ということです。

時代としては、今戸時代のものなのか、関西へ移住後のものなのかわかりません。 仮に今戸時代のものだとすると、今戸焼の製品の幅の広さをしみじみ考えさせられますね。


赤羽公園にて

2010-06-08 18:35:59 | ああ懐かしき、、

2007_0101_000000p1010480 赤羽にお住まいの方でしたら、現在のどのあたりかすぐおわかりになるでしょう。

赤羽公園の東側、つまり、モザイクの滑り台を挟んで、噴水とは反対側。後ろに見えるのは、昔北側にあった染色工場か、あるいは南側の現在マンションが建っているところにあった工場。染色工場だとすれば赤羽病院やダイエーが写る角度です。まだモザイクの滑り台はない頃です。

子供の頃公園の土のむき出しになっているところには、たくさんの貝殻が覗いて見えました。今でも時計台の裏手あたりに見られるのではないでしょうか?太古の昔このあたりが海だった名残なのでしょうし、母の話ではこのあたりは沼みたいだったそうです。

この写真よりもっと右奥の東側の公園入り口には、型抜き屋のおじさんや紙芝居屋のおじさんが来ていました。おでん屋のおじさんも。あんずや毒々しい赤色のすももを絡めた水あめなんか買いました。


赤羽駅のホーム

2010-06-08 18:14:54 | ああ懐かしき、、

2007_0101_000000p1010478 私の写っている一番古いアルバム。久しぶりに眺めてみると意外にも昔の赤羽の街並みがばっちり写っているものが少ないんです。わが家の場合、趣味的に写真と撮るということがなかったのと、特別の時にしか撮らなかったのでしょう。それに、人物中心なのが多いので、はっきりと、昔のあそこ、と場所の特徴のあるのがないんです。

まだ赤羽線と呼ばれていた頃のホーム。池袋と赤羽を電車が折り返し運転していました。

私には黄色い電車が馴染みがありますが、写真の当時は茶色い電車だったかもしれません。前方左側が西口です。ぼんやりと見える看板。ローカルな感じがしますね。

西口はその頃ローカルでいい感じでした。時代としては昭和40年~42年頃の風景だと思います。