有坂与太郎著作「郷土玩具大成・東京篇」の貯金玉の項で紹介されているもの。作者は寺島町(現・墨田区)の高野安次郎という人とされています。貯金玉(貯金箱)を招き猫型にした起源とか最も古い、一番古い、最古の例がこの人の作だと書かれていますがどうなのでしょうか?
解説の中で、この人は橋場にいた隅田川焼の2代目・井上良斎の門下で、大正10年頃、寺島に移って製作していた由。昭和3年発行の「東京今戸焼同業組合」による「仲買渡シ相場表」という印刷物があり、その中に当時の製品の種類と価格、組合員34名の名前のなかにこの人も含まれているので、寺島で操業していても今戸焼と考えてもよいかと思っています。
今戸焼の貯金玉についてはこれまでの記事で「宝珠型の貯金玉」とそれに次ぐ「蔵の形の貯金玉」について書きましたが、この招き猫の貯金玉は蔵の形の次いで出てきたもののようです。
今戸焼やその系統の陶工によって作られた招き猫の貯金玉は上記「郷土玩具大成」の図版の中でいくつか紹介されていますが、未だわからないのは、今戸の長昌寺前で、芋屋渡世の傍ら紅丑や口入れ狐などの今戸焼の土人形を作っていたという鈴木たつも猫の貯金玉を作っていたと記述があるのですが、それがどんなものだったのか?最後の今戸焼の人形師であった尾張屋春吉翁(明治元年~昭和19年)による招き猫の貯金玉は観たことがありますし、再現を試みたこともあります。
この寺島の招き猫の貯金玉も手掛けたことがありますが、その当時手元に手本となる実物がなく、もっていらっしゃる方に見せていただいたり、写真に撮らせてもらって型を起こしたのですが、何という運命の巡りあわせか、それなりに苦労して作ったあと、偶然にも画像の実物が手元に転がり込んできたのです。 もっと早かったならばもっとしっかりできたのに、、、。
しかし、作る手本として見せていただいた実物と、私の手元の貯金玉とでは、奥行きなど若干の違いがあるのです。おそらく、たくさん割り型を作る際に、前後が薄くなったり型くずれしていったのではないでしょうか?
いずれにしても、こうやって現物が手元に来た のでいずれ、このお手本を元に、また手がけてみたいと思います。
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