浅草寺境内にある浅草神社。三社祭りで有名ですが、招き猫の好きな人にとって、ここがその発祥の地です。
最近、今戸神社のほうが「招き猫発祥の地」という触れ込みで賑わっているようですが、これは解釈の違いからそうだとも読むことができるということで、そもそも、丸〆猫(まるしめのねこ)が嘉永5年に売りだされ大流行した、と「武江年表」や「藤岡屋日記」に記されている場所は、ここ旧・三社権現なのです。
鳥居脇にたこ焼き屋さんの露店が見えます。この辺りに丸〆猫屋の床店(仮設店舗)があったと考えられます。先日、十五夜さんからのプレゼントで家にきた、広重画の錦絵「浄るり町繁華の図」に描かれている丸〆猫屋(左上部分)が、画像のたこ焼き屋さん辺りにあったと想像してみてください。但し、この錦絵は浄瑠璃の登場人物を物売りに見立ててあるので、丸〆猫を売っているのが西行法師になっていますが、記録ではお婆さんが売っていたことになっています。
丸〆猫は今戸焼で作られたという理由からその地元こそが招き猫の発祥の地であるという理屈も否定はしませんが、やっぱりここ三社様こそが「元祖・招き猫発祥の地」ではないでしょうか。
お時間あれば「武江年表」と「藤岡屋日記」の丸〆猫についての原文をお読みください。
平内堂についても面白い由来ではあるのでそのうちとりあげてみたいと思っていたところです。
現在のはあまりにも小さくなってしまっていますが、昔は縁結びの神様といえば、ここだというくらい賑わったそうですね。震災後の再興されたお堂の絵はがきを持っています。また有名な平内絵馬も再現してみたいなと思っているのです。
水戸黄門のお鷹ぽっぽのお話には驚きました。
犬張り子とか笊かぶり犬などももとをたどれば「宿直犬」と「犬筥」にまで遡ると言われていますから、
浅草でのこの手のものも案外もっと歴史があるのかもしれませんね。古い錦絵にみる犬張り子は顔が尖っていて、ちょっと様子が違いますが、今戸にも尖った犬の形もあり、練り人形なんかにもあったのかもしれませんですね。NHKあたりの時代劇(大河ではなくて)ではほのぼのとしてほーっとできるのがあって好きなのですが、できたら、きれいごとではなくておかみさんたちも眉を消して鉄漿にしてリアルな再現のを観てみたいです。風車売りなどよく画面に映りますが、紙質が観光地で売っているみたいのものですね。私が小学生の頃のTBSの「水戸黄門」(東野栄治郎さん時代)の再放送で感心したことがあります。黄門さま一行が米沢の笹野彫りを作る家に厄介になるのです。(ここいらは時代がおかしいような、、、。)でも、そこで映った「お鷹ぽっぽ」が現在ポピュラーな墨の濃淡で彩色したものではなくて、朱色と緑で塗られた旧型だったのです。えらいなあと感心しました。
個人的にお馬鹿な夢なのですが、いつかできたら私がお婆さんに扮装して三社様の鳥居横で丸〆猫屋さんごっこをやらせてもらえたらなあ、と思うのですが、やっぱりお馬鹿でしょうか?
招き猫の発祥というのは、いろいろな説があるように聞くのですが、文献に記されていて、実物が確認でき、錦絵にも描かれていると三拍子揃っているのは、やっぱり丸〆猫(まるしめのねこ)の話で、伝説としてもっと古いといわれているものでも、その当時の証拠がしっかりしていないとわからないのです。そんなわけで、私は丸〆猫の発祥の地としてはここ浅草神社(三社様)が信ぴょう性が高いと思います。ただ、浅草はそれ以前から観音様へのお参りや見世物、芝居、悪所で賑わうところでしたから、話題が豊富すぎて丸〆猫の話もその中で埋もれてしまっている状態です。11年前、TVの取材でここの宮司さんとお話する機会がありましたが、丸〆猫の話をご存じないようでした。それというのも、こちらのお社は浅草発祥の所縁の場所である上、御神輿でも有名すぎるほど有名ですし、ご社殿は大震災も大空襲も免れた重要文化財の建造物ですから、招き猫の話ひとつくらい埋もれてしまっているのだと思います。観音様界隈はじめ、浅草にはおもしろい場所がまだまだあるので折に触れてご紹介したいと思います。
時代劇の縁日や祭礼の賑わいの場面になるともしかしたらそんな考証が…とつい見てしまいます。
浅草寺界隈は、常に、すごくたくさんの観光客(参拝客?)で賑わっているイメージです。
それもこれも、招き猫効果なのかも知れませんね・・・・