ちょっと郊外や地方になると、
「ココは車が無いと何もできない」と
おらが町は寂れて車社会んダと、のたまひたまふ人々多けれど、
車に何でもかんでも乗り過ぎていやしないか。
100メートル先のディスカウントショップにも
50メートル足らずのお墓参りさえも、車を使うだろう。
玄関あけたらホイ車、と乗り込むのが習慣に。
徒歩、自転車、車、電車を使い分けて
もうちょっと体をつかったり、移動に変化を持たすこともできるはず。
そもそも、道を車のものだけにしちゃったから町が死んだのではないか。
歩く人がたもいれば、歩いて着く範囲の商店も生きるし
むしろウマなんかに乗ってみるのが、かえって町おこしの
起爆源になる。リヤカーも重宝する。
少しでも安く買い物をするために、車を飛ばして大型店へ赴くが
そのための燃料と、運動不足解消のジム代や生活習慣病に対する
医療費、生氣に欠けた町に暮らすことによる精神的不足感を考えると
車社会は便利が勝っているとは思えない。
クルマ自体は大変便利なものであるから、車を使うに値する行動に
利用すべきだ。どでかい新しいお店に行くのが進んでいると
誤解して、そのために車を増やし、ちょっとだけ高くても
実は人同士の付き合いや、得がたい経験、専門性の備わった
ご近所の商店は淘汰されてしまった。時代の流れと片付けられがちだが
機能性や融通、町並みの点からも、はっきり退化といえよう。
しかし、一度失ってから改めて 個人専門店のよさに氣づいた
若者たちが、またきっと新しい町づくりを始めるかどうかは
その土地のいろんな資源や土地自体の思いにもよるだろう。
基本、町おこしは皆で会議しても上手くいかず、
外部のコンサルタントを呼んではますますめちゃくちゃになる。
その土地に住んでいる人が、一人でも素直に純粋にひたむきに
佳きふるさとを思って行動し、その背中から観念がテレパシーのように伝播して
じわじわと、着々と、坦々と、水面下で、水面上で
ことが一歩ずつ運ばれて、終わりなきすてきな道がひらけていくものだ。
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