ふろしき王子のブログ◎
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本日の風呂敷講座は茨城県の龍ヶ崎で行なったため、
日暮里から常磐線でした。

帰りはちょいとお腹すいて疲れていたので、日暮里で下車して
イラン・トルコ・ウズベキスタン料理のザクロで夕飯をいただきました。

夜は、食べ切れないコースといって量があるのです。
それでも、長期計画で3時間強をかけて完食しました。

20時過ぎてからベリーダンスショーがあり、一緒に踊れるので
そこで多少燃焼させて、何とか残さずに行けたのです。

ひっきりなしにストレートチャイ(アールグレイティー)を
飲みながら、ピクルス噛み噛み、野菜→お肉→ご飯にナンの順に
いただきました。

そのように細かにバランスをとり続けたお蔭で
エネルギーをチャージし、帰り道の氣力を得ました。

それは食事だけでなく、一体感あるこのお店でのお客同士の会話や
近くの方に似顔絵を描いたり、踊ったりと、
いつもと違う場におけるモードチェンジが、見えないこころの
バランスを調えたのでしょう。

人生において、あんまり損得を考える必要は無いと考えています。
というのも、必ず様々な形で大きなバランスがとられるので、

素直に正直に心を注いだ行動には、誰も知らなくとも
天(自分)がちゃんと見ていて、

罪悪感のあることにはそのうち罰が生じるし、
晴れ晴れと心洗われたならば、美しい何かが飛んできます。

僕自身はそんな偉そうなこと言えない、マイペースでぼーっと
していますが、勘を信頼し、全て自分の選択として
人を責めず、よい結果につなげるように自然と手足を運んだなら、
何とか無事に生きて行かれる。

その無事安心元氣の輪を、1人がみんなに、皆が誰かのために
ふりまけば、おかしかった所もあるべき形に還元されて、
完全燃焼のいのちの循環に満たされるでしょう。

なぜならば、いい大人であっても、中心には
素直で好奇心いっぱいで柔らかい空氣を振り巻いている
永遠の赤ちゃんが根付いているから。

何だかこういう、言葉のたゆたう精神的な文章は、20代のころの日記のようだ。

それが次第に具体的な形の描写に移ろって行ったが、
また、かく再びふるると洗い流され湧き出す、理由もなき感謝の念。
かかる波の幅は、人生における両輪の歯車。

生きていくのは大変なことだっていっぱいある。
しかし、実際に自転車を進めるのは心配ごとの強さではなく、
手足の1つ1つの動きの重なりから醸さるる突然変異。

頭も大事だが、手足の感覚ではじめて分かることもある。

絵を描くのも、頭で考えたことを絵で表すのではなく、
絵でしか感じ得ない情緒や摂理があるから絵を描くより他にない。

上手いとか下手の前に、絵にすることで見える世界がある。

行き詰まったら、紙に鉛筆で○でも△でも落書いたなら、
そこに現状のメッセージが微細に織り込まれているのだが、
かといって解釈して問題を抽出して解決を思案することなく、
絵を受けてまた絵を描きゆくうちに、ただ分かる。

トイレに行きたいのは頭で出す結論でなく体で感じるように、
絵から直接、識ることがある。

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本日は、茨城県の佐貫、そこからバスで流通経済大学へ。
こちらの学園祭の1コマで、海外からの留学生も参加の風呂敷講座。

実技の前に風呂敷の話をばすることに。
何をお話しするか。

風呂敷の名前の由来・歴史・なぜこの形なのか・現代でも通じる利点と未来への展望。

使い回しがきくため、高品質少量生産でよく、それが環境にも負荷をかけないし、
自ら工夫して結ぶことで、頭も体もバランスよく使う。

自然のありのままを生かし、用が済んだら元に戻さむとする
日本人の自然観もあるし、そもそもは夏に多湿という
腐りやすい風土の上で、乾きやすい構造が大切。

国土も家も狭いから、色々と置かないで、多機能さが求められる。
そのためには、素材はよいもの、形はシンプルで
幅と柔軟性を持ったものがよい。

形に固執しない。使命を果たしたら、あっさりと還元すること胎盤のごとし。

そんなこんなで組み立てて話そう。
表面的なデザインで済ませない、日本の根っこが伝わればと思います。

自然に逆らわない。自然と仲良くなって素材ごとの持ち味を識り、
いじり過ぎずそのまま生かすから、
目に見えない機能や付加価値まで知らずに発揮されている。

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