先住民族関連ニュース

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サケの薫製「サッチェプ」GW前に登場 アイヌ民族博物館で人気

2014-04-22 | アイヌ民族関連
苫小牧民報  (2014年 4/21)
 白老町のアイヌ民族博物館で18日、観光客に人気のサケの薫製「サッチェプ」の加工作業が始まった。香ばしさが漂う作業小屋で、職員が乾燥したサケを「押し切り」を使って一定の厚さで「サクッ、サクッ」と小気味よく切り分けていく。鮮やかな切り身の色が食欲をそそる。
 昨年12月に職員による仕込みが行われ、特製やぐらやチセ(伝統家屋)前で約1000本のサケを天日干し。ポロト湖からの寒風で乾燥させた後、年明けにチセ内の天井に移していろりの煙でじっくりいぶされた。
 同博物館伝承課の野本三治課長によると、サッチェプを心待ちにしているファンは数多く「道外にもリピーターがたくさんいますよ」。1日に20本ほどカット作業を行うが、「早いときには1、2時間ほどで当日分が売り切れることも」と野本さん。その人気はじわじわと広がっており、今年は「7月ごろにはなくなるのでは」と予想する。
 今シーズンは館内の売店オープンに合わせ、連休直前から販売を開始する予定。価格は昨年と同じ1袋(100グラム入り)500円。丸々1本は5000円(いずれも税込み)。
http://www.tomamin.co.jp/20140411927

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アイヌ文化伝承者育成事業に5人挑戦 白老の民族博物館で3年研修始まる

2014-04-22 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2014年 4/21)
 アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌)による3期目のアイヌ文化伝承者育成事業が、18日から白老町のアイヌ民族博物館で始まった。開講式に20歳から36歳までの5人が出席。3年間で衣食住や口承、伝統工芸、儀式などアイヌ文化について学ぶ。
 式典では、同機構の柳谷龍彦事務局次長が「アイヌ文化の伝承者は現在高齢化が進んでおり、文化や総合的知識を持つ伝承者の育成が急務」とし、2008年から始まった同事業で2期10人の人材を育成してきたことを紹介。3期生に向けて「3年は短い。多くのことを学び、身につけて立派な担い手になってほしい」などと激励した。来賓の白崎浩司副町長が白老町を代表して歓迎の言葉を述べた。
 今期受講するのは中井貴規さん(36)、木幡弘文さん(27)、新谷裕也さん(23)、山本りえさん(26)、山丸賢雄さん(20)の5人。それぞれ壇上で自己紹介した後、受講生代表で中井さんが「一日一日を積み重ねてしっかり成長したい。至らぬ点があると思いますが、よろしくお願いします」と緊張した様子で抱負を語った。
 5人は3年間で、アイヌ語や自然素材を活用した料理の実習、着物づくりや木彫りなどの工芸、伝統儀礼など、総合的知識を学ぶ。
http://www.tomamin.co.jp/20140411930

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白老体験協会主催の春のバザーで多種多彩な品々並ぶ

2014-04-22 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年4月20日(日)朝刊】
 しらおい体験協会主催の第10回春のバザーが、19日から2日間の日程で白老町東町の協業民芸で始まり、女性客らがお気に入りの手作り品などを見定めていた。
 アイヌ文様刺しゅうはタペストリー、着物、ポーチ、ティッシュ入れ、コースターなど。着物、帯、帯留め、草履、陶器類は皿、茶わん、コーヒーカップ、急須、とっくりなど。柱時計や和だんす、火鉢、鏡台などの骨とう類も並んだ。
 サケの薫製やホウレンソウ、ジャガイモ、ギョウジャニンニクなども。きょう20日の営業は午前10時から午後3時まで。藍染め体験コーナーが開設される。問い合わせは協業民芸、電話0144・82局2366番。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/04/20/20140420m_08.html

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伝統の民族衣装、オバマ米大統領に寄贈へ 北海道アイヌ協会

2014-04-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (04/20 06:25、04/20 08:12 更新)
 【八雲】北海道アイヌ協会(加藤忠理事長)は、23日に来日するオバマ米大統領にアイヌ民族の伝統衣装を贈る。衣装は、渡島管内八雲町のアイヌ刺しゅう愛好家団体「ユーラップレラの会」に制作を依頼して完成、在札幌米国総領事館に送った。衣装贈呈を通じ、加藤理事長は「オバマ大統領にアイヌ民族のことを知ってほしい」と願う。
 加藤理事長は、2009年の大統領来日時に東京で行われた演説会に招待され、人権問題に力を入れる姿勢に感動した。今回の来日に合わせ「(会って)アイヌの仲間を励ます言葉をいただけたら」と、同総領事館に大統領との面会と衣装贈呈を申し入れた。日程の都合で面会はかなわなかったが、衣装を贈ることにした。
 大統領が大柄なことから、衣装の丈は通常よりも15センチほど長い約1・4メートル。紺色の木綿に朱と水色の布で独特の文様が施されている。制作は60~70代の全10人の会員が型紙作り、刺しゅうなどを分担。通常半年から1年かかるが、1カ月弱で完成させた。<北海道新聞4月20日朝刊掲載>
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/534404.html

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近江商人のアイヌ交易を分析 高島の研究家が出版

2014-04-22 | アイヌ民族関連
京都新聞 【 2014年04月20日 09時20分 】
 滋賀県高島市安曇川町在住の近江商人研究家駒井正一さん(64)が、新著「近江商人の漁業経営-知らざれるアイヌ民族と和人との関係」を自費出版した。近江商人が漁業経営を通じて北海道の発展に寄与した一方、アイヌに対する収奪で富を増やした実態にも焦点を当てている。
 全5章から成り、1章では近江商人を含む本州の商人が松前藩の庇護(ひご)下、漁業請負人としてアイヌを本州の和人労働者よりも低い賃金で雇った上に重労働をさせたり、交易でも不平等な物々交換で利益を得ていた実態を、当時の約定証文などを引用しながら総論的に書き記した。
 2~5章では、近江八幡、湖東、高島各地の代表的な近江商人を個別に取り上げ、漁業を営んだ場所や業績、経営手法などを詳述。私財を投じ道路を新設した商人もいるなど、町の形成・発展に貢献した点を評価した。一方、江戸時代末期の50年間にアイヌの人口が8千人も減少しており、「近江商人も少なからずアイヌを苦しめたことも事実」と分析している。
 6年前、日本商業教育学会で発表した論文「アイヌ民族と和人との交易活動」を下敷きに、それ以前や以後の現地踏査などで見聞きした資料や情報を基にまとめた。
 駒井さんは「従来の近江商人は『三方よし』と良い面ばかり強調されてきたが、負の面も合わせ総合的に見ることで初めて真の近江商人像に迫れる」と、著書の狙いを話す。
 商業以外の産業資本との関わりを初めて明らかにした「近江商人の鉱山経営」(2007年刊)の姉妹編ともいえる著作。B5判、305ページ。1500円。購入や問い合わせは駒井さんTEL0740(34)0658。
http://www.kyoto-np.co.jp/shiga/article/20140420000018

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北海道)アイヌの芸術家・砂澤親子の遺作が合流

2014-04-22 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2014年4月20日03時00分
渕沢貴子
 アイヌ民族の彫刻家砂澤ビッキさんの長女で、画家・書家のチニタさん=昨年10月に肺がんで死去、52歳=をしのぶ会が19日、旭川市で開かれ、チニタさんの作品や資料がビッキさんの作品を集めた美術館を運営する音威子府村に寄託された。
 砂澤さん親子は旭川市生まれ。チニタさんが18歳のときに家族で音威子府村に移住し、ビッキさんは廃校をアトリエに改装して数々の名作を生み出した。チニタさんは札幌を拠点にイラストや絵画、書を手がけ、道内各地で個展を開いた。
 チニタさんは末期がんで入院中も、病院の一室をアトリエとして使わせてもらって大作を残した。
ログインして続きを読む
http://www.asahi.com/articles/ASG4M55G7G4MIIPE00Z.html

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アイヌ文化の「担い手」へ、白老で講座スタート

2014-04-22 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年4月19日(土)朝刊】
 アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌)による第3期担い手育成講座の開講式が18日、白老・アイヌ民族博物館で開かれ、20~30代の男女5人が3年間にわたる学びのスタートラインに立った。
 同機構の柳谷龍彦次長が「3年間多くのことを学び、身に付けて今後のアイヌ文化活動、伝承活動の担い手として活躍することを期待します。6年後の2020年(平成32年)には白老に象徴空間が整備されます。これからは皆さまが中心となってアイヌ文化をけん引していかなければならないと思っています」とあいさつした。白崎浩司白老町副町長が祝辞を寄せた。
 受講生を代表して旭川出身の中井貴規さん(36)が「一日一日を積み重ねてしっかりと成長したい。いろいろといたらぬ点があると思いますが、ご指導よろしくお願いします」と決意を披露した。
 担い手育成事業は、アイヌ文化を根底から支える総合的な人材育成や活動の推進を図ることを目的に、同博物館を拠点に08年度から実施。これまで2期10人の人材を送り出した。3年間にわたりカリキュラムに基づき衣食住、工芸、儀礼、言語などアイヌ文化の総合的な知識を習得する。 (富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/04/19/20140419m_08.html

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リッチモンドで若者向けエコサミット「REaDY」-デビッド・鈴木さんの講演も

2014-04-22 | 先住民族関連
バンクーバー経済新聞-2014/04/20
4月22日のアースデーにちなみ、リッチモンドの高校McMath Secondary School(4251 Garry Street,Richmond)で26日、若者向け環境イベント「リッチモンド・アースデー・ユース(REaDY)サミット」が開催される。今年で3回目。
 リッチモンド市と同学校区が共同企画した環境プログラム「グリーン・アンバサダーズ」に参加している高校生たちが中心となり、イベントを主導。今年は初めて、先住民マスクィーム族の協力も得て、さらに充実した内容を目指す。
 今回のテーマは「We Are The Fraser」。地元の環境運動家で生物学者でもあるDavid Suzukiさんがメーン講演を行うほか、リッチモンド市が面するフレーザー川河口の生態系を取り上げて、幼稚園児から高校生まで各年齢層に合わせたワークショップやコメディーショー、ガーデニングクラス、料理教室など幅広いプログラムを提供する。
  「次世代のリーダーたちを育てるために、価値のあるプログラムを市として全力でサポートしたい」と話すMalcolm Brodie同市長。「大変興味深い講演やワークショップを通して、参加した若者たちが環境問題の先駆者たちから多くを学ぶことができれば」と期待を寄せる。講師を務めるSuzukiさんは「40年前にアースデーが始まって以来、私たちの社会はずいぶん変わってきたが、まだまだ毎日をアースデーだと意識して取り組むべきことは数多くある。自分だけでなく周りの人たちも一緒に巻き込んで、環境のことを第一に考えるようにできるはず」と話す。
 「このサミットは、私たちの過去、現在、そして未来を融合させることができるイベント」と説明する主催者代表のJamie Ngさん。「リッチモンドは環境に優しいコミュニティー。若い世代と大人たち、それぞれの世代がつながって行動を起こすことが、地域の環境をより良くするために刺激を与え合うことにつながる。皆で共通のゴールを目指して進むためのきっかけになれば」と参加を呼び掛ける。
 開催時間は8時30分~12時30分。参加無料。事前登録が必要(今月22日まで)。
http://vancouver.keizai.biz/headline/1893/

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森林伐採と闘う先住民たち、カナダ・ケベック州

2014-04-22 | 先住民族関連
AFPBB News-2014年04月19日 16:09 発信地:ブロードバック・バレー/カナダ
 【4月19日 AFP】樹木が伐採され尽くしたカナダ・ケベック(Quebec)州の森林を越えてさらに北上すると、こんな看板が掲げられている──「破壊の道はここで終わる」。先住民たちが、森と伝統的な狩猟の権利を守るための闘いを続けている場所だ。
 カナダの北方林は、世界最大の手つかずのまま残る森林地帯。北極圏を囲む北緯50度以上にある森林の3分の1を占める。凍ったブロードバック(Broadback)川の南に広がる針葉樹林には、何百種もの野生動物が生息しており、その中には絶滅の危機に瀕しているカリブー(トナカイ)も含まれる。
 先住民クリー(Cree)は、この森の中で何世紀もの間、狩猟をしながら生活してきた。その暮らしが初めて脅かされたのは、1970年代のこと。森林伐採と水力発電ダムの建設が始まった頃だ。
 2010年、1万6000人のクリー人を代表した10人が、伐採のための道を断固として封鎖した。伐採は先住民にとってほとんど恩恵はない、環境を破壊するだけだ、と主張している。川の南方6キロのところに立てられた看板は、彼らの最後の抵抗だ。先住民たちは、この看板より北に広がる1万3000平方キロの土地を、自然保護区とすることを要求している。
 森林伐採企業たちは伐採の一時停止を受け入れはしたが、この期限は昨年6月に過ぎており、クリー代表議会はまだケベック州政府と合意に至っていない。
 この森林の未来は、ケベック州の地方選挙の争点にもなった。選挙前の世論調査でリードしていた自由党は、天然林の大々的な伐採に賛成した。森林伐採がなければ、何千もの雇用が危機に瀕するというのだ。一方で、自由党のライバルであるケベック党(Parti Quebecois)もまた、伐採を大幅に拡大していく意向を示した。
 政府の最新の統計によれば、ケベック州の森林産業はカナダ最大で、約7万人を雇用している。森林産業はケベックの州内総生産の2.7%を占め、材木やパルプ、紙などの取引額は毎年、数十億ドル相当に上るが、世界経済と並行して浮き沈みを繰り返してきた。
 伐採されてしまった昔の狩りのわな道に立ちながら、ドン・サガナシュさんは辺り全体を指して嘆いた。「私たちはもうここで狩りができない。動物が隠れる場所など、なくなってしまった」。以前は冬になると100匹は捕えていたテンが、今年は1匹もわなにかからなかった。
 狩猟は生計の手段であるだけではなく、クリーの人々の文化の核心だ。カナダの法律にも先住民の権利として明記されている。だがその権利は北へ北へと進んできた森林伐採によって脅かされていると、ドンさんは言う。
 ドンさんといとこのマルコムさん、フィリップさんの3人のところには、材木業界の代表者たちが何度も訪ねてくる。彼らの狩猟場所の近くでの伐採計画と、その補償の提案をしに来るのだ。マルコムさんは語る。「私はノーと言っているのに、彼らはまだ北へと進もうとする」
(c)AFP/Clément SABOURIN
http://www.afpbb.com/articles/-/3013057

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滋賀)近江商人の漁業経営、本に

2014-04-22 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2014年4月19日03時00分
 近江商人の研究を続ける高島市安曇川町北船木の元中学校教諭、駒井正一さん(64)が「近江商人の漁業経営―知られざるアイヌ民族と和人との関係」を自費出版した。行商などで知られる近江商人を、北海道を舞台にした漁業という産業資本の経営の視点からとらえ、10年をかけて完成させた労作だ。
 駒井さんが近江商人の研究を始めたのは約30年前。明治時代に青森県八戸市で醸造会社を起こした先祖を調べるうちに、高島市出身だけでなく県内各地の商人についても研究を広げてきた。
 これまでに「高島商人」や「日野商人」などの著作を発表。近江商人を産業資本の経営から考える研究がないことに気付き、2007年には「近江商人の鉱山経営」を著した。(続きは有料)
http://www.asahi.com/articles/ASG4H6DGFG4HPTJB011.html

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ロシアの極東探検記を翻訳 曽於の元中学校教諭

2014-04-22 | 先住民族関連
南日本新聞-(2014 04/18 23:00)
 曽於市末吉の元中学校教諭・大森巳喜生さん(72)が、ロシアの探検記を3年以上かけて翻訳し、自費出版した。辞書と格闘しながら和訳した草稿は、大学ノート40冊に及ぶ。フルマラソンを走っている大森さんは「走破した後は二度と走りたくないのに、時がたつと再挑戦したくなる」と、次の翻訳へ意欲を見せる。
 大学時代に見た映画でロシア語の響きが気に入り、独学で勉強。教員を退職した後、農業の傍ら翻訳に取り組むようになり、5年前に短編小説の翻訳を手掛けた。
 今回挑んだのは極東の先住民を描き、故・黒澤明監督の映画化で知られる「デルスー・ウザーラ」。DVDを見て感動し、探検家ウラディミール・アルセーニエフの記録に基づく363ページの原書を購入した。
 原書をノート左に書き写し、右に訳を書き付けるのが大森流。時代の変遷で単語の意味が微妙に異なり、新旧5冊の辞書を駆使した。辞書にない単語もあったが、文脈から植物名と察し、植物図鑑をめくった。案の定、ラテン語をロシア文字化していた。
 3月に300部を出版し、図書館や中学校に寄贈した。
http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=56273

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ペトロチャイナ子会社、加オイルサンド事業の権益を完全取得

2014-04-22 | 先住民族関連
ウォール・ストリート・ジャーナル日本版2014年 4月 18日 14:09 JST
By CHESTER DAWSON
 【カルガリー】中国石油天然気(ペトロチャイナ)の子会社は、加アルバータ州北部のオイルサンド事業「ドーバー」の未保有権益40%を、カナダのアサバスカ・オイル・サンズ(本社:カルガリー)から13億2000万カナダドル(約1230億円)で取得する。アサバスカが17日に明らかにした。
 ペトロチャイナの子会社ブリオン・エナジーは2010年に、日量25万バレルの「ドーバー」プロジェクトの権益60%を取得しが、残り40%の取得は州の規制当局による審査やアメリカ先住民団体との(今は解決した)議論により棚上げされていた。
 アサバスカのスバイヌング・スバルト最高経営責任者(CEO)は「当社は本日、ブリオン・エナジーが運営するプロジェクトの残りの権益について、売却オプションを行使した」と述べた。
 ブリオンの代表からはコメントを得られなかった。
 これにより、ペトロチャイナはカナダで2つ目のオイルサンド・プロジェクトを全面的に取得することになるが、おそらくこれが最後となる。この契約が合意されたのは、カナダ連邦政府が12年に、外国企業に大型のオイルサンド資産の権益100%を付与する契約を禁止した新しい規制を導入する前だった。
 ペトロチャイナは12年、アルバータ州北部の「マッケイリバー」プロジェクトの権益40%をアサバスカから取得し、全権益を握った。ペトロチャイナは10年に近郊のドーバー・プロジェクトとともに、マッケイリバーの過半数権益を取得していた。
 ドーバーとマッケイリバーの両プロジェクトは、地層内に水蒸気を注入して重質油の流動性を高め重力で搾り取る、いわゆる「スチーム補助重力排油(SAGD)法」を利用する。ブリオンは50年間に及ぶドーバーの産出計画で約40億バレル、45年に及ぶマッケイリバーのプロジェクト存続期間に17億バレル生産する見通しを示した。
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304126604579508711530304976.html

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太田村(厚岸町)の基礎築いた太田紋助 アイヌ民族、地位向上に力

2014-04-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (2014/04/08) ピヤラ アイヌ民族の今
元高校教諭真壁さん調査 屯田兵誘致にも力尽くす
 厚岸町の元高校教諭、真壁智誠(ちさと)さん(66)が、アイヌ民族の母を持ち、同町の旧太田村の基礎を築いた太田紋助の功績を調べている。紋助の日誌などから、アイヌ民族の地位向上や屯田兵誘致に力を尽くす姿が見えてきた。(長谷川裕紀)

 広々とした牧草地の広がる厚岸町太田地区。墓地の一角に紋助の墓がひっそりと立っている。その正面の下側に「前人未踏の大原始林を踏破。(中略)その功績を称(たた)え氏の姓をとって道庁令により村名を太田村とす」と記されている。
 紋助は1846年(弘化3年)、厚岸場所請負人の番人である中西紋太郎と、アイヌ民族のシラリコトムとの間に生まれる。父と死別したため8歳で厚岸の国泰寺に引き取られ、読み書きや農業を学んだ。15歳で寺を出て、農業や漁業に携わる。
 特筆すべき功績はアイヌ民族が経済力をつけることを目指し、農漁業の定着に努めたことだ。ジャガイモ栽培を奨励し「芋判官」と慕われた根室県令の湯地定基の支援を受け、さまざまなことを試みる。
 私費を投じて、原野だった別寒辺牛を開墾したり、コンブ干し場を作ったりした。1884年(明治17年)には、東京の駒場農学校(現在の東大農学部)に出向き、教授の立場にあった秦孝一郎に会って麦を分けてもらう。実際に地元の畑に植えて、根付かせようとする。85年にはアイヌ民族の多く住んでいた松葉町で地域のまとめ役である総代を務めたほか、数々の公職に就いた。
 86年には町内の有力者と屯田兵誘致に乗り出す。尾幌や阿歴内などの内陸部を歩き、現在の太田地区を適地に選ぶ。屯田兵本部長の永山武四郎が全道を巡った際に屯田兵村を作るよう進言し、実現させた。真壁さんは「厚岸は江戸時代に栄えていたが、明治期には炭鉱のある釧路や千島列島に渡る要衝である根室に追い抜かれそうになっていた。何とかしなければいけないという焦りがあったのでは」と紋助の気持ちを読み解く。
 太田村には石川県や山形県などから旧士族ら440戸約千人が移住し、紋助は熱心に世話をした。92年(明治25年)に47歳で亡くなるときは葬儀に村民全員が参列して別れを惜しみ、自分のために残した財産はほとんどなかったという。真壁さんは「長生きしていればもっと農業技術などを地域に伝えていたかもしれない。和人とアイヌ民族の壁を越えて地域に尽くす精神は現代にも必要とされている」と語っている。
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/piyar/229890.html

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コロンブスの町、崩壊の原因は壊血病か

2014-04-22 | 先住民族関連
日刊アメーバニュース‎ - 2014年04月17日 21時37分
提供:ナショナルジオグラフィック
 クリストファー・コロンブスの一行は2度目の航海で重度の壊血病を患い、「新世界」に初めて築かれたヨーロッパの入植地の崩壊を招いたという。
 1492年、コロンブスは大西洋を渡り、ヨーロッパによる新世界征服の幕が開いた。翌年の2度目の航海で、1500人の入植者と共に現在のドミニカ共和国に入植地ラ・イサベラを築く。
 ラ・イサベラはヨーロッパ人が初めて定住した西半球の町だったが、病気と困窮のために4年足らずで遺棄されてしまう。
 町が終わりを迎えた原因は天然痘、インフルエンザ、マラリアなどの伝染病と長く考えられてきた。ところが、遺跡として残る墓地を調査した結果、当時の船乗りを苦しめていた壊血病、つまり重度のビタミンC欠乏症が入植者に蔓延し、崩壊を招いたと判明。
 研究に参加したメキシコ、ユカタン州立自治大学(Universidad Autonoma de Yucatan)の考古学者ベラ・ティースラー(Vera Tiesler)氏は、「文献を見る限り、当時の人々は例外なく熱病や疫病に悩まされていた」と話す。「特に壊血病の影響が大きい」。
 ラ・イサベラの教会跡では、小規模な墓地の調査が1980年代から断続的に行われ、主に船乗りや入植者の人骨が発掘されている。
◆骨は語る
 被葬者が結核や梅毒などの病気に感染していたら、骨格にその痕跡が残る。ティースラー氏らは、男性26人、女性1人分の骨を調査したところ、少なくとも20人に“重度の壊血病”の痕跡を確認した。例外なく体重を支える左右の骨に残っていたことから、骨髄炎など感染症の疑いは消える。
 オランダ、ライデン大学医療センターに所属する壊血病の専門家ジョージ・J・R・マート(George J. R. Maat)氏は、「自然治癒した壊血病の説得力のある証拠だ」と分析する。
◆食事の謎
 大航海時代特有の壊血病は、18世紀まで船乗りに恐れられた難病だ。ビタミンC不足を避けるためライム果汁を飲んでいたイギリスの水兵を、アメリカ人が“ライミー”と笑いものにしていたのは有名な話だ。体組織に障害を及ぼす重度のビタミンC欠乏症は、倦怠感や貧血、皮膚や粘膜の出血症状を引き起こす。深刻度を増すと、古傷が開く場合もある。完全なビタミン欠如に陥ってから1~3カ月で発症するという。
 研究論文によれば、入植者たちは出港前に1カ月間の海上待機を余儀なくされ、2カ月後の1494年に目的地に到着した時点では既に発症していた可能性が高いという。
 しかし到着後は、ビタミンCを豊富に含む新鮮な果物や野菜に不自由しなかったはずなのに、なぜ壊血病が進行したのだろうか?
『1493: Uncovering the New World Columbus Created(1493:コロンブスが創造した新世界の真実)』の著者チャールズ・マン(Charles Mann)氏は、「スペイン人たちは周囲の先住民を遠ざけ、入植地を完全に遮断していたのではないか」と推測している。
「カリブ海周辺には、ビタミンCたっぷりの食物がいくらでもある」とマン氏は話す。「グアバやサクランボなどの果物、先住民の主食のキャッサバやサツマイモ。すべて壊血病の予防に十分なビタミンCを含んでいる」。
「彼らはラ・イサベラの柵の内側で身を寄せ、現地の豊かな食を口にしなかったのだろう。これは致命的なミスだ」。
 当時、コロンブスはスペイン王に入植地への食料輸送を懇願しているが、飢餓を避けるためだったとも考えられる。しかしそのリストには、ビタミンCが豊富な食料は含まれていなかった。スペイン王はコロンブスの願いを聞き入れ、入植者たちは飢えずに済む食料を手にしている。
「問題は、コロンブス自身が食料より金探しに執着していたという事実だ」とティースラー氏は話す。「人々の手紙には故郷に帰りたいという思いがつづられている」。
 ラ・イサベラの街並みや使われていた道具、陶磁器はすべて、入植者たちが貫いていたヨーロッパの生活様式を示唆している。「おそらく食べ物の好みも同様だったのだろう」と論文は述べている。
 今回の研究結果は、「International Journal of Osteoarchaeology」誌のオンライン版に掲載されている。
Dan Vergano, National Geographic News
http://news.ameba.jp/20140417-670/

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せたなや道南の歴史、調べて15年 「北檜山散歩会」が今秋解散、会員高齢化で

2014-04-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (04/17 16:00)
【せたな】町内をはじめ道南の歴史・文化を現地視察を通じて学んできた北檜山歴史散歩会が、この秋で解散する。会設立から15年、会員の高齢化などを理由に13日に開いた総会で決めた。発足時から事前資料の準備、研究など活動をリードしてきた会長の桜庭博さん(75)は「残念だが、北檜山の豊かな歴史を深く探ることができた」と振り返っている。
 同会は2001年、市立函館博物館の学芸員と親交のあった桜庭さんが「地元の人に郷土の歴史を知ってもらいたい」と設立。当時、北檜山町の町史編さんに携わっていた元教諭らと共に年2~4回の現地視察を企画し、町内にある縄文早期の豊岡6遺跡や瀬田内チャシ(アイヌ民族のとりで)跡などの見学、太櫓地区に数多く残るアイヌ語地名の勉強などを行ってきた。
 活動は北檜山にとどまらず、上ノ国町の勝山館と蠣崎氏の歴史、厚沢部町の館城と戊辰戦争のつながり、長万部町の静狩金山坑口など視察エリアは道南全域に及んだ。桜庭さんは「事前資料を用意するのが大変で、函館や札幌の図書館に足を運ぶことも何度もありました」という。
 ただ、ピーク時に43人だった会員は現在28人。高齢化も進み、5月11日に行う函館山要塞(ようさい)跡などの見学、秋に予定しているフトロ場所(アイヌ民族との交易漁場)支配人・森屋利八の勉強会を最後に活動を締めくくる。
 桜庭さんは「町内にある氏名不詳だったお墓が、北方警備の津軽藩士のものだと判明したり、掘り起こしにも寄与できた。豊かな北檜山の歴史研究を若い人に託したい」と話している。(三宮大平)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki2/533856.html

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