サンパウロ新聞 2018年12月13日付

『環海異聞』を著した大槻玄沢
日本人としてブラジル上陸を果たした水夫4人を乗せたロシアの世界一周計画の艦船「ナジェージダ号」は、サンタ・カタリーナ州フロリアノポリス市を出港後、ヌクヒヴァ島(南太平洋・マルケサス諸島)に立ち寄り、ペトロパブロフスク港(ロシア東端カムチャツカ半島)に寄港した後、1804年9月26日に長崎港伊王崎に入港した記録が残る。こうして漂流者4人は、図らずも日本人初の世界一周を果たした。
05年12月、4人は江戸に帰着後、同地で取り調べを受け、江戸の仙台藩邸で、蘭学者・大槻玄沢による40日間の聞き取りを受けた。翌06年に大槻は『環海異聞』として漂流者4人の見聞をまとめて発刊し、仙台藩に献上した。これが初めて日本にもたらされたブラジル及び世界一周の見聞録となり、江戸時代の日本に新たな世界の情報・認識を与えた。
西欧では、1547年にブラジルとの交易を目的としたポルトガル船に乗り込んだドイツ人探検家ハン・スターデンが、漂流した後に到着したサンタ・カタリーナ島で先住民族に囚われながら生き延びた自身の体験談を著書にまとめている。スターデンは帰国後の57年に『新世界アメリカの野蛮な人食い裸族の国にまつわる真実の物語』を発表し、欧州最初のブラジル見聞録として出版(同著日本語訳は1942年に『蛮界抑留記―原始ブラジル漂流記録―』)されている。地理的な事情もあるが、西欧と比べると、日本には見聞による最初のブラジル情報が250年後に入っていることになる。それだけ、日本にとってブラジルは遠かった。
2003年には、『環海異聞(全16巻)』からブラジル滞在時の見聞を収録している第12巻を、ポルト・アレグレ総領事館(当時)が、ポルトガル語に翻訳・刊行している。同年の日本人上陸200周年記念イベントで配布され、ブラジル側に漂流民の史実を紹介した。
『環海異聞』で「ブラシリー」と記されたブラジルの印象には、「ドラゴンの子どもであるワニの姿に驚いた」や、バナナに関して「緑色で長く丸まった植物であり、成熟すると黄色に変化する」とサンタ・カタリーナ島で初めて見たブラジルの雄大な自然、多様な動植物への驚きが綴られている。また、ナタール(クリスマス)頃に行われた奴隷の習慣だった祭典も見学したとされる。
ロシア側の記録には、ポルトガル植民地で「物が豊富で、蝶、鳥の色彩が鮮やかで自然が豊かである」とも記録されている。(戸)(つづく)
http://saopauloshimbun.com/日伯の原点築いた漂流民㊥%E3%80%80『環海異聞』が江戸/

『環海異聞』を著した大槻玄沢
日本人としてブラジル上陸を果たした水夫4人を乗せたロシアの世界一周計画の艦船「ナジェージダ号」は、サンタ・カタリーナ州フロリアノポリス市を出港後、ヌクヒヴァ島(南太平洋・マルケサス諸島)に立ち寄り、ペトロパブロフスク港(ロシア東端カムチャツカ半島)に寄港した後、1804年9月26日に長崎港伊王崎に入港した記録が残る。こうして漂流者4人は、図らずも日本人初の世界一周を果たした。
05年12月、4人は江戸に帰着後、同地で取り調べを受け、江戸の仙台藩邸で、蘭学者・大槻玄沢による40日間の聞き取りを受けた。翌06年に大槻は『環海異聞』として漂流者4人の見聞をまとめて発刊し、仙台藩に献上した。これが初めて日本にもたらされたブラジル及び世界一周の見聞録となり、江戸時代の日本に新たな世界の情報・認識を与えた。
西欧では、1547年にブラジルとの交易を目的としたポルトガル船に乗り込んだドイツ人探検家ハン・スターデンが、漂流した後に到着したサンタ・カタリーナ島で先住民族に囚われながら生き延びた自身の体験談を著書にまとめている。スターデンは帰国後の57年に『新世界アメリカの野蛮な人食い裸族の国にまつわる真実の物語』を発表し、欧州最初のブラジル見聞録として出版(同著日本語訳は1942年に『蛮界抑留記―原始ブラジル漂流記録―』)されている。地理的な事情もあるが、西欧と比べると、日本には見聞による最初のブラジル情報が250年後に入っていることになる。それだけ、日本にとってブラジルは遠かった。
2003年には、『環海異聞(全16巻)』からブラジル滞在時の見聞を収録している第12巻を、ポルト・アレグレ総領事館(当時)が、ポルトガル語に翻訳・刊行している。同年の日本人上陸200周年記念イベントで配布され、ブラジル側に漂流民の史実を紹介した。
『環海異聞』で「ブラシリー」と記されたブラジルの印象には、「ドラゴンの子どもであるワニの姿に驚いた」や、バナナに関して「緑色で長く丸まった植物であり、成熟すると黄色に変化する」とサンタ・カタリーナ島で初めて見たブラジルの雄大な自然、多様な動植物への驚きが綴られている。また、ナタール(クリスマス)頃に行われた奴隷の習慣だった祭典も見学したとされる。
ロシア側の記録には、ポルトガル植民地で「物が豊富で、蝶、鳥の色彩が鮮やかで自然が豊かである」とも記録されている。(戸)(つづく)
http://saopauloshimbun.com/日伯の原点築いた漂流民㊥%E3%80%80『環海異聞』が江戸/