「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

シベリウスの「ヴァイオリン協奏曲」を聴く

2025年02月11日 | 音楽談義

理想的なオーディオ・システムも完成したことだし、これからは意欲的に音楽中心の生活に切り替えていかねば・・、出来るかな?(笑)。

さて、「AXIOM80」がもっとも再生を得意とするヴァイオリンは筆者のとても好きな楽器の一つだが、ジャンルとしては大きく分けてヴァイオリン・ソナタとヴァイオリン協奏曲の二つがある。

芸術的には「ヴァイオリン・ソナタ」の方が一枚上で、密度が濃いような気がするが、何しろ真冬のせいもあってやけに肌寒い感じがしてくるので、腰をすえて聴くとなるとやや温かみのある協奏曲のほうに食指がそそられる。

ヴァイオリン協奏曲(以下、「V協奏曲」)といえば名曲群が目白押し。

バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ブルッフといった大物達が勢ぞろいだが、彼らに引けを取らないフィンランドの国民的な大作曲家シベリウス(1865~1957)の名品を外すわけにはいきませんね~。

(このV協奏曲は)1903年、シベリウスが37歳のときの作品で、

第一楽章 アレグロ・モデラート(約16分)
第二楽章 アダージョ・ディ・モルト(約8分)
第三楽章 アレグロ・マ・ノン・タント(約8分)計約32分で構成されている。

第一楽章に最大の重点が置かれ、独奏ヴァイオリンの登場のしかたが非常に繊細、かつ魅力的で女流ヴァイリニストのレパートリーに必ず入っているといっていいほどの人気作品。

シベリウスの音楽については五味康祐氏の名著「西方の音」(118~127頁)に詳しい記述がある。

「フィンランドの民話と伝説と、心象風景への愛をうたいあげ、シベリウスといえばフィンランド、それほど強烈な個性を彼の音楽に育ませたのは母国への愛そのものだった。しかし、後半期の作品に楽想の枯渇が見られることからその音楽的生命と才能は三十台の後半で咲ききるものだった」

例によって五味さん独自の辛らつな考察が展開されているが、その意味ではこのV協奏曲はシベリウスの創作の絶頂期に位置する作品ともいえる。

シベリウス自身も若いときにヴァイオリニストを志し、挫折して作曲家に転じたのでヴァイオリンに格別の愛着を持っていたことから、北欧の憂愁さが全編を覆い、超絶技巧と独特の透明感が絶妙に絡み合って、極めてレベルの高い作品となり北欧音楽最高傑作の一つといわれている。


最初に聴いたのは当時交流のあったAさん宅でアッカルド盤だった。たいへんな感銘を受けてすぐに、同じアッカルド盤を購入したが当然それだけではあきたらず以後、例によってコツコツと同曲異種の盤を集めてとうとう6セットになってしまった。



今では「You Tube」で簡単に聴けるので6セット集めたといってもあまり自慢にはなりませんがね(笑)。

一演奏あたり約30分、全体をとおして聴いてもときどき休憩を挟んでおよそ4時間もあれば十分・・、まだ集中力に耐えうる時間なので、比較する意味で年代順に一気に聴いてみました。

1 ジネット・ヌヴー ジュスキント指揮 フィルハーモニア交響楽団  
  録音1946年
 

2 カミラ・ウィックス  エールリンク指揮 ストックホルム放送交響楽団 録音1951年

3 ヤッシャ・ハイフェッツ ヘンドル指揮 シカゴ交響楽団
  録音1959年

4 ダヴィド・オイストラフ オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団  録音1959年

5 ダヴィド・オイストラフ  ロジストヴェンスキー指揮 ソヴィエト国立放送交響楽団  録音1965年(ライブ)

6 サルヴァトーレ・アッカルド  コリン・デービス指揮 ロンドン交響楽団   録音1979年

【試聴結果】

例によって言いたい放題ですけど、あくまでも私見ですからそのつもりでね(笑)。

1 フランスの女流ヴァイオリニスト・ヌヴーは1949年に航空事故のため30歳で亡くなったがいまだにその才能を惜しむ声が多い。若年のときのヴァイオリン国際コンクールでヌヴーが第一位、二位がなんとあのオイストラフだったのは有名な話で同世代の中では才能が抜きん出ていたという。

この盤については、たしかな技巧、高貴な気品、底流にある情熱、第二楽章の瞑想的な演奏にはほんとうに胸を打たれる。女流にしては実に線が太い。しかし、何せ当時のことなので録音がいまいち。もちろんモノラルで周波数の最低域と最高域をスパッとカットしていて、ノイズはまったくないがオーケストラの音が人工的で物足りない。はじめから独奏ヴァイオリンとして聴く心積もりが必要かな。

2 シベリウスは92歳の天寿をまっとうしたが、生存中の晩年アメリカの女流カミラ・ウィックスの演奏を聴いて「理想の名演」と賛辞を贈り自宅に招いて歓談のときを過ごしたという。

いわばこの盤は作曲家お墨付きの演奏ということだが、何といってもおおもとの作曲家の後押しがあるのは強力で、音楽市場での売れ行きもよいようだ。

それはそうだろう。この協奏曲を愛好するものであれば作曲家自身が推薦する演奏を絶対に素通りするわけにはいきませんよね。

この盤を購入した自分も間違いなくその一人で、この際じっくりと聴いてみたが、ヴァイオリンもオーケストラも少し軽量級の印象を受けた。

盛り上がりに欠けているような気がして、湧き上がってくるものもない。ヌヴー盤には、「及ばず」というのが正直な印象。失礼な言い方だが、「老いては駄馬」となったシベリウスだから「ウィックス=ベスト」論も説得力がないというのがブログ主の大胆な意見になるがどうなんだろう。

3 専門誌の評価が高くいわば本命の登場である。さすがにハイフェッツ。冷ややかな抒情、鋭い音感、壮麗明快な技巧において非の打ちどころがない演奏。

怜悧な精密機械ぶりが北欧の雰囲気とマッチしている感があるが、はっきりいってこれは自分の好みではない。また指揮も含めてオーケストラがタメのきいていない演奏で盛り上げ方が希薄。総合的に満たされない思いがする。

4 オイストラフが51歳という全盛時代の終盤に位置する演奏。アメリカ演奏旅行中に収録されたもので、ヴァイオリンの冴えは相変わらずだが、オーケストラがやや目立ちすぎで両者の息がいまひとつ合っていない印象。それにアメリカのオーケストラでは森と湖の国、冷たい空気に満たされた北欧フィンランドの雰囲気は無理だというのが率直な感想。

5 オーケストラが控えめで、きちんとヴァイオリンの引き立て役に回っており好ましい印象。オイストラフも4に比べてエネルギッシュで元気がある。これはライブ盤だがやはり地元の利なのだろうか。全編を北欧の寒々とした自然を思わせる抒情味が貫いている印象で、こちらの演奏の方が4よりずっといい。

第二楽章のアダージョではオイストラフの思うがままの独壇場で北欧風の憧れと郷愁がそこはかとなく漂っていて実に気持ちがいい。

6 さすがにシベリウスを得意とするコリン・デービス(指揮)で、盛り上げ方も充分かつ独奏ヴァイオリンの引き立て方を知っている。オーケストラに限ってはこれがベストだと思う。

アッカルドはこれといって不満はないのだが、やや小粒で線が細い印象がする。ヴァイオリンの音色にもっと厚みと太さが欲しい。しかし、第二楽章のアダージョはなかなか聴かせる。アレグロよりもアダージョの方が得意のようだ。

こうして、ひととおり6セットを試聴した後に、どうも気になって再度1のヌヴー盤だけを聴き直してみました。

改めて、これは凄い演奏!

言葉では表現しにくいがここにはハイフェッツもオイストラフからさえも伺えなかった音楽の生命力のようなものがある。

”人を心から感動させる神聖な炎が燃えている、こういう演奏が聴きたかったんだ!” そう思ったとたんに年甲斐もなく目がしらが熱くなりましたぞ。

この空前絶後の演奏の前には、録音の悪さも、オーケストラの貧弱さもまったく帳消しでこの盤をNo.1にすることにまったく「ためらい」を覚えません。彼女が弾いたブラームスの「V協奏曲」(ライブ盤)と同等の存在ですね!

それにしても、こうやって他の演奏者をひととおり聴いた後(あと)でなければヌヴーの真髄に触れることが出来なかったのはいったいどういうわけなんだろう?

ヌヴーは今回の試聴で大収穫だったが、今更ながら有り余る才能を残しての早世はほんとうに惜しまれる・・・・。

彼女に「人の2倍明るく輝き、人の半分しか燃えなかった炎」というある墓碑銘をそっくり捧げるとしよう。



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