「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

上首尾だった試聴会

2019年12月11日 | オーディオ談義

前々回からの続きです。

わずかクルマで10分ほどの所にお住いの「Y」さんは我が家のオーディオのご意見番というか審判役としてとてもありがたい方である。

いつもお見えになるたびに何らかの収穫があるので「顧問料」を払いたくなるほどだ(笑)。

そして去る7日(土)は二つのテーマに絞っての試聴会だった。まずはこのほど我が家に戻ってきた「2A3シングル」アンプからいこう。

✰ 「2A3」シングルアンプ



テスト用のスピーカーはグッドマンのユニットを主体にした「3ウェイシステム」。目下の一番のお気に入りである。

ポイントは3種類の「6DE7」(前段管兼ドライバー管)のどれがスピーカーとの相性がいいかに尽きる。



画像のとおり試聴の順番は左から「レイセオン」「RCA」「NEC」に差し換えての試聴。

結果からいえばレイセオンがトップだった。

「音に艶があって音楽的な表現力がほかに比べて一枚上です。」

次が「NEC」で、「いかにも日本製らしい律儀さが伺えますが、レイセオンと比べるともう一つ積極的な表現力が欲しくなります。」

一番評価が低かったのは「RCA」で、「ネクタイをつけてかしこまった印象です。ちょっと溌溂とした元気が足りない印象を受けました」。

「出来るだけ生に近づいた音が好き」と仰るYさんならではの診断で、派手な音が嫌いでクラシック向きの音を好む方は「RCA」に肩入れされるかもしれないが、いずれにしろ「レイセオン」の優位性は動かないようだ。

こうなると「レイセオン」のスぺアが欲しくなりますなあ~(笑)。

一段落してから、実はと切り出した。

ここで前置きとして一言。

真空管アンプを大きく解剖すると「トランス類」(電源、出力、インターステージ)、次に「真空管」(前段管、出力管、整流管)、そして「その他」(回路、コンデンサー、抵抗、線材など)から構成されている。

音決めの重要度の比率から、あえて言わせてもらうと順番に「4:4:2」ぐらいかなと個人的には思っている。

何が言いたいかというと、縁の下の力持ち的な「トランス」類はとても大切な存在だということ。

「この図体の大きな出力トランスはタムラ製です。NHKで使われていたものだそうですが、アナウンサーの声が明瞭に聴こえるようにと、周波数帯域を欲張ることなくやや中音域に比重を置いたツクリになっている気がしますが、もっと高音域方向へのレンジが欲しい気もします。このトランスの感想はいかがですか?」

「これで十分じゃないでしょうか。高音域の抜けも不自然さはありませんよ。質のいいツィーター(ワーフェデールのスーパー3:4000ヘルツ以上)がカバーしている感じですが、私はトランスを交換する必要はないと思います。」

というわけで、何となくひと安心(笑)。

それにしても、いつも欠点をズバズバ指摘されるYさんから「合格」のお墨付きをもらったのだから「2A3シングル」アンプの優秀さが偲ばれる。

前段管とドライバー管を兼ねたユニークなテレビ管「6DE7」と古典管「2A3:刻印VISSEAUX(フランス製)」との相性もバッチリのようだ。

これで一件落着、メデタシ、メデタシ(笑)。


続いて

「AXIOM80」から新たな「変則3ウェイ」への所感について。

   

使用したアンプは我が家で一番広い周波数レンジを持つ「300Bシングル」アンプ。



「まるで鳥の羽毛のように中高音域が軽くなりましたね。周波数レンジが広がった印象です。以前よりも明らかにバランスが良くなり聴きやすくなりました」

グッドマンのスコーカー(口径10センチ)も、ジェンセンの「ツィーター」もいきなり出番がやってきてリリーフとして目を見張るような大活躍に恐れ入った。

どうやらこの分では「不動のレギュラー」になりそうですよ(笑)。

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音楽人生「最大の収穫」になって欲しい

2019年12月10日 | 音楽談義

およそ2週間前の11月29日付で投稿した「クラシックレコードの記念碑的名盤」を覚えておられるだろうか。

文末にこう記していた。

「吹け、南風よ (イギリス民謡集、キャスリーン・フェリア、1949年2月10日~)

マーラー作曲「大地の歌」(ワルター指揮)で名唱を聴かせてくれたフェリアが「イギリス民謡集」をどのように詩情豊かに歌ってくれるのだろうかと大いに興味がある。ちなみに「吹け、南風よ」はフェリアの墓碑銘に刻まれた歌のタイトルである。


厚かましいお願いだけど、もしCD化されたものをお持ちのようでしたら貸していただけませんかね、何もタダでとは申しませんが(笑)。 」

と、お願いしていた。

読者には、これまでにも「オーディオ失敗談の募集」などを呼び掛けてきたが「梨の礫(つぶて)」で一向に反応なし。

筆者の不徳の致すところなんでしょう(笑)。

今回もまったく期待していなかったら、それがとてもご親切な方がいたんですよねえ。

同じ九州の熊本県の方だった。仮に「M」さんとしておこう。

メールが届いて「フェリアの該当CDがオークションに出品されてますよ。ナンバーは〇〇です」

毎日ブログを更新しても1円の得にもならないが、こういうときこそ情報発信のありがたみを感じますねえ。

さっそく、サイトを開けクリックして即決で落札。

ほどなく我が家に到着した。

   

さっそくMさんにお礼のメールを差し上げたところ、どうやらバッハを愛好される方のようで、7トラックの「マタイ受難曲~主よ憐みたまえ~」と8トラックの「ミサ曲ロ短調~おん父のお方に座したもう主よ~」をクルマでしょっちゅう聴いておられるとのことだった。

さっそく、イギリス民謡からバッハ、マーラーまで全12トラックを流して聴いたが、とても可憐で哀愁を帯びた声質の「コントラルト」だった。

人生の晩年にふさわしく、しんみりと聴くには絶好の歌手だろう。

そして、いかにも線香臭くて煙たかったバッハに親しむにはこれが最後のチャンスかもしれない。

さっそく、ブルーレイ・レコーダーのHDDに取り込んで、少なくとも毎日一度は7トラックと8トラックを手軽に聴けるようにした。

ここでバッハを味方に付ければ音楽人生「最大の収穫」になるはずですけどねえ(笑)。

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やたらにアンプの弱点を暴き出すスピーカー

2019年12月09日 | オーディオ談義

去る3日付で投稿した「アンプを生かすも殺すもスピーカー次第」で華々しく登場した我が家で初の3ウェイシステム。

これまで「フルレンジ」あるいは「2ウェイ」を愛好してきたので、この3ウェイはまったく偶然の産物だったがどうして、どうして~。

   

我が家の数々のアンプの弱点を目立たせることなく、どれもこれもうまく鳴らしてくれるので今では大のお気に入りのスピーカーである。

しかし「好事魔多し」で、その一方では逆にアンプの弱点をことさらに暴き出すスピーカーがあるというのも実に困ったことだ。

それがこれ。

   

周波数「800ヘルツ以上」を担当している「AXIOM80」だがこのくらい気難しいスピーカーはないと言われている。

言い換えると、相性のいいアンプをあてがうのが難しいの一言に尽きるわけだが、とにかくアンプの弱点を容赦なく白日の下にさらけ出すのだからたまったものではない(笑)。

代えた当座は良かったのだが、いつものことでじっくり付き合っていくといろいろアラが見えてきた。

たとえば、「300Bアンプの電源トランスと出力トランスの弱点」「PP5/400アンプのインターステージトランスの弱点」「2A3アンプの出力トランスの弱点」などアンプ固有のマイナス部分を素知らぬ顔をして暴き立ててくる。

度重なる実験の挙句、とうとう相性のいいアンプが皆無となってしまった!

さすがに困り果てて、「やっぱりAXIOM80をスコーカー兼ツィーターに使うのは難しいなあ。口径25センチというのもスコーカーとして大きすぎるみたい。」

結局わずか10日間あまりで音をあげてしまったことになるが、な~に、机の引き出しの中にはまだ秘策が残っているのだ(笑)。

ばたばたと、20分余りで組み立てたのがこれ。

   

まずはグッドマン製のスコーカー(口径10センチ)専用のユニットの登場である。

れっきとしたアルニコマグネットで、こういうこともあろうかと1年ほど前にオークションで落札したものだが、いよいよ満を持しての登板だ。

担当する周波数は「800~5000ヘルツあたり」となる。

そしてツィーターにはジェンセンの再登板だ。「困ったときはジェンセン」として我が家の救世主的な存在である。並みのツィーターとはちょっと違うところがありまして~。

1年半ほど前に「北国の真空管博士」から譲ってもらったものだが、当時のメールにはこうある。

「Jensenの小型ホーンツイーターを入手しました。Jensen得意のフォノリック・ダイヤフラムです。

金属ダイヤフラムのツイーターよりもペーパーコーンスピーカーとの音の繋がりは良いかもしれません。インピーダンスが8Ωなので使いやすいと思います。

帯域は2Khz-18Khz程度と思うのですが詳しいデータが無いので使ってみないと何とも言えません。2ウェイ方式の高音域用に使われていたものです。アルニコマグネットでホーンはアルミダイキャストのようです。興味があればお送りします。」

飛びついたのは言うまでもない。

 

ウェスタン製のオイル・コンデンサー(4.4μF)を使っておよそ「5000ヘルツ」あたりでローカット(-6db/oct)してみた。

そして、ハラハラドキドキワクワクしながら音出しへ。

ウ~ム、これは・・・!

さっそく、7日(土)に近隣にお住いのYさんに来ていただいて試聴会と相成った。

ついでに我が家に戻ってきた「2A3」シングルアンプも聴いていただくことにしよう。まさに一石二鳥だ(笑)。

以下、続く。

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モーツァルト・エロティシズム

2019年12月08日 | 音楽談義

およそ7年ほど前に投稿した「モーツァルト・エロティシズム」だが、いまだに途切れることなくちらほらアクセスが続いている。

そこで久しぶりに読み返してみたところ、気になる箇所がいろいろあったので今風に改変してみた。それでは以下のとおり。

のっけから妙なことを言うようだが、自分には「3つの顔」があると思っている。

ひとつは自分が考えている自分、次に他人の目に映っている自分、そしてほんとうの自分。「自分という人間はいったい何者なのか」を探し求めていくのが人生の最終目的だと思っている。

というわけで、ときどき自分はこのブログの読者の目からどう映っているんだろうかと自問自答することがある。

「オーディオ狂い」は、もちろんのこととして「独善的な書きっぷり」など「マイナス・イメージ」が相当あるような気がしているが、本来は「大のモーツァルト研究家ですよ!」と声を大にして叫ばせてもらおう(笑)。

もちろん、研究のレベルは別にして費やした時間の方は人後に落ちないと思っているし、それにモーツァルト愛好家の必須要件とされる「オペラ愛好度」もこれまた人後に落ちない。

モーツァルトのオペラ「魔笛」に血道をあげてから、およそ40年あまり。

その間、せっせとCD、DVD(46セット)を収集するとともにモーツァルトに関する本はひととおり目を通してきたが、このところ中味の方はほとんどが知っていることばかりでいささか食傷気味になっているが、それでも本の題名にモーツァルトとあれば無視するわけにはいかない悲しい習性の持ち主である。

最近読んだ中では「モーツァルト、遊びの空間」(中堂高志著、新泉社刊)がユニークでなかなか面白かった。

                          

 本書の中で「モーツァルト・エロティシズム」(110~134頁)という一章がある。

「もしミュンヘンに来てくれないとウンコするよ。・・・来てくれたら、みずからあなたにご挨拶をし、あなたのお尻に封印し、両手にキッスをし、下の小銃で発砲し、抱きしめ、前後から浣腸し、あなたからの借りをすっかり返し、でかいオナラを鳴り響かせ、そしてきっとなにかを落とすでしょう。さよなら、ぼくの天使、ぼくのハート」(110頁)

これは世に名高い「ベースレ書簡」とされるもので、モーツァルトが従妹のベースレにあてた手紙の一節である。当時モーツァルトが21歳、ベースレが17歳とされている。

何とも要領を得ない、こんな汚らしい表現をする人間が、あの美しい旋律に満ちた至高の名曲を数多(あまた)作ったモーツァルトと、どう結びつくのかと首を傾げる向きが多いのではあるまいか。

そこで、「創作した本人の人間性と作品はまったくの別物である、芸術とは奥深いものだ。」というような陳腐な結論に持っていこうという腹積もりは毛頭ないことを先に申し上げておこう(笑)。

むしろ、その逆で「これはモーツァルト独特の”おふざけ”です。こういう思ったことを天真爛漫に素直に表現できる人間だからこそ、あのような天衣無縫ともいえる作品をいっぱい作ることができたんですよ」と、モーツァルトの一研究家として大いに納得できるのである。

モーツァルトの実像については彼の死後230年ほど経った今となっては、せいぜい残された手紙などから推し測るほかはないが、それでも映画「アマデウス」(ミロス・フォアマン監督)によって、生身の人間像が相当暴かれた感がある。

三大オペラのひとつ「フィガロの結婚」は、召使いに対する領主の初夜権を風刺した内容で当時の貴族社会で物議をかもしたが「貴族とか平民とかの生まれついた身分で人間は差別されるべきではない」と反権力的意識を持っていたモーツァルトならではの作品だった。 

少なくともモーツァルトは言いたいことを言う、したいことをする、伸び伸びと生きた人間であったことは間違いない。

それにひきかえ現代は・・・・。

文明の発達も考え物で、思ったことを率直に表現すればすぐに広く知れ渡って袋叩きに合うのが関の山である。

マスメディアが始終不気味な目を光らせていて、テレビカメラがまるで銃口みたいだと洩らした人がいるが、行き過ぎた”人間狩り、言葉狩り”は考え物である。

「貧乏人は麦飯を食え」「中小企業の一つや二つ、どうなってもいい」と言い放った池田勇人(元首相)の時代がある意味で懐かしい。

先日亡くなられた「大勲位」の中曽根氏が「現代の政治家はスケールが小さくなった。昔はよく大風呂敷を広げる政治家がいたものだが」と、テレビの回顧番組で仰っていたが現代の政治家は本音と建前を使い分けるのに汲々としている感がある。

当たり障りのないことを言っておかないとマスメディアから総攻撃を受けるのだから致し方ないことなのだろう。


一事が万事で、現代は総じて思ったことが言えない、言わない人間が増えたせいで何かにつけ閉塞感が漂い、内へ、内へと悩みを秘めていって、その挙句が自殺者、うつ病が増加の一途を辿っている。こういう世相は何とかならないものか。

そういう点からするとモーツァルトの”天真爛漫”はほんとうに時宜に合っている。こういうときこそ彼の作品に大いに親しんで悩みを吹き飛ばそうではありませんか!

最後に、1789年(33歳:亡くなる2年前)5月23日付けで妻「コンスタンツェ」に送った手紙を紹介しておこう。(133頁)

「・・ぼくのいとしい妻と一緒になれる!君の気持のいい”ねぐら”をきれいにととのえておいてくれ。この”小僧っ子”にはそれだけの値打ちが充分あるからね。

こいつは本当にとてもお行儀がよくて、君の一番きれいな〇〇しか欲しがらなかった。この”いたずらっ子”のことをちょっと想像してみたまえ。僕が書いている間、テーブルの上に顔を出して、ぼくの方をどうするんだとばかり眺めている。

ぼくは爪先で思いきりはじいてやった。ところがこの茶目は、ただ〇〇をして、このわんぱく者はいっそう燃え上がるばかりで抑えきれない。何百万回きみにキスする。きみの一番忠実な夫より。・・
・ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト」

あまりにも有名な手紙なのでご存知の方も多いことだろう。

最後にある「きみの一番忠実な夫」という言葉もどうやら信用が置けないそうですよ。 

やれやれ・・(笑)。

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オーディオにおける「選択」の意味

2019年12月07日 | オーディオ談義

先日投稿した「いつも突き付けられる二者択一」(2019・11・17)が、なかなか読者の興味を惹いたようで僅かながらもいまだにアクセスが絶えない。

賢明なる読者は「二者択一=選択」という言葉に含まれている真意にきっと気が付かれたに違いない。

言わんとするところは「オーディオ機器はすべてあちら立てればこちら立たずというものばかりで100点満点を求めるのは喜劇を通り越して滑稽というものです」

「常に割り切るクセ=選択意識」を持っておかないと、どうしようもない無駄遣いに繋がっていく。

これは、いくつもの真空管アンプを保有し、4系統のシステムを持っている人間の体験と反省と悔恨に裏打ちされた言葉なのでぜひ耳を傾けて欲しい(笑)。

そういえば「日本で一番音がいいジャズ喫茶」として知られる「ベイシー」(岩手県一関市)のオーナー「菅原昭二」さんの著書に「ジャズ喫茶ベイシーの選択」というのがある。



若い頃に感銘を受けて何度も紐解いた本だが、「選択」という言葉に新鮮さと多大の共感を覚えたものだが、今となってみてもオーディオには常に「選択」という第三者的な視点が要ると思っている。

それでは、以下我が家の具体的な選択事例を挙げてみよう。

ただしあくまでも「独断と偏見」が入り混じった「私見」なのでそのつもりで受け止めてくださいな。どうか気に障ってお腹立ちになりませんように~(笑)。

✰ クラシックとジャズ

つい先日、メル友の「I」さんから次のようなメールをいただいた。

クラシック再生は、音場の広さが必須と考えますが、ジャズは逆に密な音場に密な管楽器を聴きたいというのが私の希望です。

そのために、左右のスピーカー間は狭くしてある方だと思います。もっとくっつけたいのですが、中央のラックは除けないので、妥協の位置です。」

日頃からジャズはモノラルに限ると思っているので同感の一言だった。したがって、クラシックとジャズを一つのシステムで両方ともうまく鳴らそうなんてどだい無理な話ですよね。

✰ 大型スピーカーと中小型スピーカー

それぞれ得意とする分野が違う。

前者はオペラやオーケストラのスケール感や力感が求められるものに適している。後者は小編成、ボーカル、ヴァイオリン独奏などの微細な表現力にマッチング。大は小を兼ねないし、小は大を兼ねない(笑)

✰ 真空管アンプとTRアンプ

前者は中高音域にかけての倍音成分の表現力に持ち味があり、後者は中低音域の応答性の良さに特徴がある。

個人的にはオーディオで一番「再生」が難しいと思うのは「低音域」なので、TRアンプで倍音成分の表現力に優れているアンプがあったら言うことなしだがちょっと無理だろう。

✰ レコードとCD

レコードの方が音がいいに決まっているが、いつも思うのが良く調整されたCD機器と調整が巧くできていないレコードとでは、むしろCDの方が上だと思っている。

そして、レコードでいい音を出そうと思ったらフォノモーター、ピックアップ、トーンアーム、カートリッジ、そして大切なフォノイコライザーアンプなど枚挙にいとまがないほど手間とお金がかかり、調整がメチャ難しい。

これまで、いろんなお宅でレコードを聴かせていただいたが、CDからレコードに代えようという気にさせられたことはいっさい無かった。

いまや、デジタルは「384KHz」「768KHz」あるいはそれを越えようかという時代だから、もはやレコードに固執しない方がGOODではないだろうかと、声を大にして叫んでおこう!

✰ 三極管と多極管

つい最近のブログにも記したようにそれぞれ持ち味があって、中高音域の抜けの良さは三極管に、低音域のゴリッとした駆動力は多極管にメリットがある。

言い換えると、両者にはそれぞれ欠けているものがあるので、システムの中でうまく使い分けるとヴァラエティに富んで楽しみが広がっていく。

以上のほかにも事例はいろいろあって、まったくオーディオは至るところ「選択」だらけなんですよねえ~(笑)。

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明日は明日の風が吹く

2019年12月06日 | 独り言

他愛ないことだがオーディオに関していつも迷うことが一つある。

それは自宅周辺のウォーキングに出かけるときに、真空管アンプのスイッチをオンのままにするか、それともオフにするかどうか。

何も電気代の心配をするのじゃなくて(笑)、アンプにとってダメージが少ない方を選択したいという思いからである。

   

スイッチの入り切りによる電圧変動が与える影響はアンプ自体にとって負担になるだろうし、その一方真空管は消耗品なので点灯時間が少なければ少ないほど寿命が延びる。

さあ、オンとオフのどちらを選択しようか。

何だか出かけるときのエアコンスイッチのオン・オフと似てますね(笑)。

雑誌で見かけた記事によると、1時間前後を目安にそれ以上家を空けるのならスイッチオフ、それ以内ならオンのままという内容だったが、アンプも似たようなものかな。

ちなみに、真空管に詳しい方によると、

「真空管、とりわけ古典管はあなたが想像している以上にタフですよ!寿命の心配をするよりもむしろエージング不足を心配したほうがいいと思います。ジャンジャン使って本来の能力を発揮させるべきです。」

そういえば、近代管については何度も球切れを経験したが、古典管に限っては球切れを滅多に経験したことが無いことに思い至った。

とりわけ「STC」(ロンドンウェスタン)については「ときには他の球と交換して楽しみたいのに故障しないので困るという悲鳴が上がっている」(販売業者談)というほどの丈夫さで知られている。

まあ取り越し苦労とはこのことかな~。

(真空管を)使うだけ使ってダメになったときはその時に考えることにしよう。


名作「風と共に去りぬ」(原作:マーガレット・ミッチェル女史)のラストシーンでヒロインのスカーレット・オハラはこうつぶやく。

「明日は明日の風が吹く、何も先のことを思い煩うことはないわ!」

「Tomorrow is another day」

どうやら男性よりも女性の方が逞しいようですよ(笑)。


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戻ってきた真空管アンプ

2019年12月05日 | オーディオ談義

このほど、東京在住の「S」さんにお貸ししていた「2A3シングル」アンプが手元に戻ってきた。

「S」さんはもともと福岡市にお住いの方だが、2年ほど前に転勤で東京へ。

大のオーディオ好きで、タンノイ「コーナーヨーク」(モニター・シルヴァー)と「PP5/400」アンプを愛好されている。

         

東京赴任時にタンノイ「チャトワース」(モニター・レッド)を持って行かれたが、アンプについては「これを使ったらいかがですか」と我が家から自主的に「2A3シングル」を提供していた。

何しろアンプの置き場所に困るほどなので一台くらいは差支えなし(笑)。

それがこのほどSさんが新しい真空管アンプを調達されたので、およそ2年ぶりの帰還となったわけ。これがそう。



出力管「2A3」の愛好者は多いと聞くが、かなりクセのある球でドライブするのがなかなか難しいという噂をちらほら聞く。

我が家の「2A3」アンプの概要は、前段管とドライバー管を兼ねて強力なドライブ力を発揮する「6DE7」、出力管「2A3」はフランス製の「VISSEAUX」(刻印:ヴィソース)、整流管は「5X4G」(ロジャース)というシンプルな構成。

出色はテレビ球の「6DE7」で、こんな珍しい球を使う発案者は「北国の真空管博士」に決まっている(笑)。

製作は「チューブ・オーディオ・ラボ」(新潟県)さんなので、企画立案と製作について両者のコラボで成り立っている。

さっそく我が家の「3ウェイシステム」で聴いてみたが、低音域の充実度には目を見張るほどだった。これなら「ウェストミンスターはもう要らん」というほどだった(笑)。

ひとまず好感触を得てから、「もっと良くなるかも」といろいろ弄ってみた。

まずは裏蓋を開けてから作業に取り掛かった。

いかにもプロの所業といえる整然とした回路配線に、素人が手を加えるのは気が引けるほどだが、オーディオ界には次のような迷信があるのだ。

「アンプの生命線の一つであるカップリング・コンデンサーに極小値の良質のマイカコンデンサーをパラってやると音が良くなる!」

幸い「ウェスタン製の極小値のマイカコンデンサー」をこの日のために2個手に入れていた。

慎重に左右両チャンネルに半田付け。中央部に見える茶色の四角い2個がそれ。

   

難なく作業を終え裏蓋を閉じて正常な姿勢に戻した。

次は前段管「6DE7」の球の入れ替え。

何しろインターステージトランスが不要なほど強力に出力管「2A3」をスウィングできる球である。この球次第でガラッと音が変わるのは必定だ。



3種類の球を準備していて、左からアメリカ球の「レイセオン」、「RCA」そして日本製の「NEC」。

レイセオンといえば宣伝を一切しないので一般的にはあまり有名ではないが、知る人ぞ知るアメリカきっての軍事産業(ミサイル製作など)である。

昔は軍事用の真空管を沢山製作しており、何しろ血生臭い戦場で人の命を左右するほどの真空管だからその緻密さと高信頼性については「泣く子も黙るレイセオン」といわれるほどだ。今でも高値で取引されているほど。

ただし、この「6DE7」球は北国の真空管博士によると、

「レイセオンはミサイルづくりで忙しいので、日本の東芝かNECあたりに発注したものでしょう。とはいえ引き取るときに抜き打ち検査をやるので、メーカー側もそれなりに入念に作っているはずです」

Sさんにお貸ししていたときは「RCA」球だったが、我が家では気分転換で「レイセオン」に差し換えてみた。

さあ、試聴だ。ハラハラドキドキワクワク~。

おッ、何だか透明感が一段と深くなった感じですよ~(笑)。

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「昔の指揮者は良かった!」症候群

2019年12月04日 | 音楽談義

釣りが好きなのでよく「釣り番組」を観ているが、登場した年配の漁師さんたちが押しなべて「昔はよく捕れていたんだけどなあ」と嘆くシーンが実に多いことに気付く。

実際にそうかもしれないが、人間は押しなべて「あの頃は良かった」と過去を美化しがちな傾向があるようだ。

それも、”昔は”と言うくらいだからそろそろ人生のゴールが見えてきた中高年層にその比率が高いだろうし、さらには当時を振り返ることで自分の「若さ」が持っていた可能性や夢といったものを懐かしむ側面もきっとあるに違いない


ただし回顧談に耽るとなると「若い人から嫌われるだけ」「若い人に失礼だ」なんて話をよく聞くのでほどほどにしなければと自戒している。まあ、このブログに目を通している方の大半は高齢者だろうからその点は安心できるのだが(笑)。

さて、「この昔は良かった症候群」に関連して、つい音楽の世界を連想してしまった。

たとえば、指揮者の世界。

トスカニーニ、フルトヴェングラーなど1950年代前後を中心に活躍した往年のマエストロたちに対する賛美はいまだに尽きない。

フルトヴェングラーは先年の「レコード芸術」で50人の評論家と読者による名指揮者ベスト・ランキングで堂々と第1位に選ばれており、トスカニーニも第4位と健闘しているほどで、だれもその卓越した指揮振りに口をはさむ者はいない。

                                 

それに比べて今の指揮者の評価は一般的に
「いかにもスケールが小さくて小粒だ、芸術性に乏しい」などの厳しい評価が後を絶たない。

昔の指揮者は実に良かった!

しかし、本当にそうなのだろうか?いたずらに過去を美化しているだけではないのだろうか。

 と、いうわけで、あくまでも私見だが現代の指揮者を見てみると、一番大切とされる「作曲者の意図を理解して忠実に再現する能力」は往年のマエストロに比べて少しも遜色はないように思える。

たとえば、自分の知っている範囲では、「春の祭典」を聴いて度胆を抜かれたワレリー・ゲルギエフ、「魔笛」のDVDを視聴して感心したフランツ・ウェルザー・メスト(現クリーブランド管弦楽団音楽監督)、ヨーロッパで活躍されている大野和士さんもオペラの指揮で多彩な才能を発揮されている。

しかし、残念なことに昔とは決定的に違うところがあって、それは当時の指揮者たちが絶対的な権力を持つことが許されていたこと。

トスカニーニなどは練習中に楽団員たちに”のべつくまなく”罵詈雑言を浴びせ、絶対服従を強いた。その結果当時の録音を聴くとよく分かるが、楽員たちが一糸乱れぬまるで軍隊の行進のように緊張しきって演奏しているのがよく分かる。

楽団員全員の神経が張りつめた「緊張感あふれる演奏」、ここに指揮者のカリスマ性が生まれる余地がある。

フルトヴェングラーも似たようなもので、楽団員たちが「マエストロの指揮ならついていける」と、心酔していたからあのような神がかった演奏が達成できた。

これに比べて、今の指揮者たちは当時とは時代背景がまったく変わってしまっているのがお気の毒~。

すっかり民主化という波が押し進められ絶対的な地位が失われて、団員たちとの距離もすっかり近くなってしまった。

人権重視という背景もあって、音楽以外の雑用も気にしなければならず、これでは指揮者が自分の個性を十二分に発揮しようがないのも事実。

それにもう一つ決定的な違いがある。

1950年代前後は周知のとおりクラシックの黄金時代とされているが、「芸術(クラシック)と娯楽の境界」が現代と比べて比較的はっきりしていたので、指揮者に対する尊敬と称賛が自然に注がれていた。

それに引き替え、現代は両者の境界というか垣根が徐々に低くなってきていて、まあ平たく言うとクラシックが地盤沈下したのか、あるいは全般的な娯楽の質と量が向上したのか、それとも両方の相乗効果か、いずれか定かではないが、どうかするとクラシックが娯楽並みに「コマーシャル・ベース」や「暇つぶし」の感覚で扱われるようになっている(指揮者ブルーノ・ワルター談)。

これでは指揮者の社会的に占める位置づけも当然変わろうというものだ。

結局、「昔の指揮者は良かった」というのは事実だろうが、「当時は取り巻く環境に恵まれていたからね」というエクスキューズが必要な気がするがどうだろうか。

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アンプを生かすも殺すもスピーカー次第

2019年12月03日 | オーディオ談義

12月1日付で投稿した「会心の3ウェイシステム」について、さっそく「I」さん(東海地方)から「3ウェイシステムに対するYさんのご感想を楽しみにしています」とのメールをいただいた。

ありがたいことです。ヤル気が出ます(笑)。

さっそく「GOODでしたよ。詳しいことはブログでご報告します」との返信を打った。

それでは、以下「GOOD」の内容をしたためてみよう。

当日の1日(日)の午後は晴れ渡った絶好の日和の中、新装なった我が家の3ウェイシステムの試聴を行った。



自分の耳にはあまり信頼をおいていないので(笑)、耳のいい仲間「Y」さんのご意見は実に参考になる。

今回は、3台の真空管アンプで聴き比べを行った。まずは似たような2台のアンプから試聴した。

    

いずれも出力管に「71系」を使ったアンプで、前段管が違うだけでほかは、「インターステージトランス」や「出力トランス」などそっくり同じものである。

最初に1台をオークションで仕入れ、あまりに気に入ったものだから2台目も見かけたついでに購入したものである。

その違う「前段管」とは画像左側が「A411」(独ヴァルボ製:バリウム昇華型フィラメント)、右側が「AC/HL」(英国マツダ:初期型ナス管)で
「μ(ミュー)=増幅率」は前者が「20前後」で後者は「30前後」だ。

最初に「AC/HL」付きのアンプで試聴したが、「これがたった出力1ワット未満程度ですか!」と驚かれるほどの鳴りっぷりだった。

「音のバランスがとても良くて、3つのユニットの音色がそろってます。非の打ち所がない3ウェイですね」といたく感心された。

フフフ、やっぱり「会心」という言葉は伊達に使っておりませんぞ(笑)。

次に「A411」付きのアンプの試聴に移ったが、「似たような音ですが前段管のμが幾分低いだけおとなしくなりますね。前者が水彩画だとすると、これは墨一色で描いた山水画の印象を受けました」

両方のアンプともこれまでパワー感に難点を感じてあまり出番がなかったのだが、この3ウェイではいかんなく実力を発揮してくれてうれしい限りだった。

いずれ片方をオークションに出そうかなんてちらっと脳裡をよぎっていたのだが、改めて2台とも絶対に出さないぞと決意を新たにした(笑)。


そして最後は「PP5/400シングル」アンプの試聴に移った。



いよいよ我が家の真打としてエース級の登場である。

「これは明らかにイギリスの上流階級の貴婦人を思わせる音ですね。まるで絹のような肌触りの音です。思わず天女の羽衣を連想しました。」

3台の真空管アンプとも見事に合格!

もう笑いが止まらないとはこのことですねえ。

念のため、Yさんに「もし日常的に使うとしたらどのアンプにしますか?」と、お尋ねしたら「そうですねえ。私ならAC/HL前段管付きの71Aアンプにします。手を伸ばせば実像に触れるような生に近い音が好きです」

3時間ほどでYさんが辞去された後に、調子に乗って今度は新たに71系の「371プッシュプル」アンプを引っ張り出した。

    

これも良かった!まったくケチのつけようがない音とはこんな音を指すのだろう。

以上4台のアンプとも長い付き合いの中で、それぞれに弱点があるのを熟知しているつもりだが、いっさいそれを目立たせないのはやはりスピーカーのおかげだろう。

アンプの弱点をすべて飲み込んでしまう恐るべき「3ウェイシステム」である。

これまで、「スピーカーを生かすも殺すもアンプ次第」と思ってきたが、これからは「アンプを生かすも殺すもスピーカー次第」へと認識を改めなくてはいけないようだ(笑)。

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プレイヤーは審判役を兼ねてはいけない

2019年12月02日 | 独り言

いつぞやのこと、メル友さんからオーディオ愛好家の誰もが直面するような内容のメールが届いたので紹介させてもらおう。

ご自宅でJBLの3ウェイ・マルチシステムを筆頭に3系統のシステムを楽しまれ、非常にご熱心な「ジャズ愛好家」さんだが、先日、他家を訪問され、そのシステムを拝聴されたとのこと。
                   
訪問先のシステムは低音域に「励磁型ユニット」を使用されるなど、たいへん凝っておられていてそれはそれは「素晴らしい音」だったそうで、その方が帰り際にこう洩らされたという。

「お互い悪口はやめましょうね。巡り巡って自分に還ってきますから」

そこでメル友さんも「ルールですよね」と応じられたそう。


音質に対する所感よりも、この部分が自分にはたいへん印象深かった。

そこで、次のように返信させてもらった。

「たしかに、よほど親しくならない限りご本人の面前で音質についてのマイナス意見は言わない方がいいようですね。確実にぎくしゃくした関係になりますから(笑)。

しかし、逆に意見を言ってあげることがご本人のためにもなることがありますし、意見と悪口の境界線は本当に難しい気がしています。

悪口を意見として前向きに受け止めるのか、それとも後ろ向きに受け取めるのか、これはほんとうに大きな分かれ目ですね。」

以上のとおりだが、他人のシステムに対する意見や感想は
 相互の信頼関係やモノの言い回しなどとても複雑な要素が絡んでくるので、一般的には「モノ言えば唇寒し」で黙っておくのが一番無難だろう(笑)。

これに関連して、ふと思い浮かんだことがある。

ときどき、昔のブログの「加除修正」をやっているが、映画監督「黒沢明」の晩年の作品が総じて「つまらない作品」になっていると書いた記事を見つけた。

すっかりこの記事の存在を忘れていたのだが、
その(作品が)「つまらない原因」といえばこうなのだ。

黒沢監督全盛期の「生きる」「七人の侍」などの名作は、黒沢 明と橋本 忍の共同執筆で
脚本を書き、何も書かない第三者的な存在の「小国の旦那」が審判役となって、いい、悪いの判定をしてどちらかに軍配を上げていたそうだ。

映画の出来具合は脚本の仕上がり如何でおおかた勝負が決まるが、
晩年の黒沢監督は一人で脚本を書き他人の意見に耳を傾けなかったので、これが(晩年の作品が)つまらなくなった原因の一つだそう。

<プレイヤーは審判役を兼ねてはいけない>と「橋本 忍」氏が言っている。

黒澤監督ほどの熟達の映画人でさえ「独善的な脚本」を書いてしまう怖さがあるのだから、ましてや凡人では推して知るべし。

オーディオだって自己満足のままで何ら差し支えはないが、一段とハードルを上げた音にしようと思えば、別に審判役が要る気がしてならない

しかも、その意見が多種多様になればなるほど磨かれて「いい音」になっていくような気がする。

と、いうわけで我が家の場合は常に向上意識に燃えている積りなのでオーディオに対する「ご意見」は大歓迎だ。

そして、いつも遠慮なく欠点をズバズバ指摘してくる「Y」さんはとても憎たらしい存在だが確実に音が良くなっていくのだからありがたい存在だ(笑)。

最後に、高校時代の同窓生「T」君が撮った秋の風物詩「紅葉」の彩を添えて終わりとしよう。

   

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会心の3ウェイシステム

2019年12月01日 | オーディオ談義

はるか昔の学生時代のこと、「白い渚のブルース」という曲にハマってしまったことがある。

イギリスのテレビドラマの主題曲で、演奏はクラリネット奏者の「エッカー・ビルク」、当時アメリカのビルボード誌で2週連続1位に輝いたヒット曲である。

原題は「Stranger On The Shore」とあり、直訳すれば「渚の見知らぬ人」となる。

「白い渚のブルース」なんて、これほどの名曲に誰がこんな陳腐な題名を付けたのかと思わず怒りがこみあげてくる(笑)。

わざわざこの曲が収録されているというだけで13枚組の「ムード音楽全集」を手に入れて、ブルーレイ・レコーダーの「HDD」に収録し毎日、朝な夕なに愛聴している。

所詮はポピュラー音楽に過ぎないのだが、クラリネットの渋くてふくよかな響きとそれに似合ったメランコリックなメロディがとても素敵~。

演奏者だって、真空管だって、スピーカーだってそう、イギリスってのはどうしてこうも品が良くて琴線に触れてくるような哀愁を帯びている”お国柄”なんだろうか!

そして、肝心の聴いているスピーカーは1か月ほど前に編成したばかりの3ウェイシステムだった。

   

これはこれで音質的に何ら違和感は持たなかったのだが、久しぶりに「AXIOM80」(オリジナル)を引っ張り出して聴いてみたところ、中高音域の解像度が段違いなのに驚いた!

ちなみに「AXIOM80」は日頃はめったに聴かない。いい音が出ると分かりきっているので、あまり面白くないのだ。まあ贅沢な話ではあるが(笑)。

見方を変えると我が家のオーディオの羅針盤的な役割を果たしているわけだが、どんなスピーカーも中域以上を「AXIOM80」と比べるのは酷とはいうものの、それにしても今回の場合は何とかできないものかと内心焦った。

音が塊りのようになって聴こえる真犯人はといえば3ウェイの真ん中に使っているテクニクスのスコーカーにあるのは間違いない。

それに代わるユニットはないものかと思案投げ首のところ、ふと思い出したのがグッドマンの「楕円形スピーカー」だった。

2年ほど前に「北国の真空管博士」から譲っていただいたもので、ラジオ内蔵用のスピーカとして使用されていたものでフルレンジ・タイプである。

しかもれっきとした「アルニコ・マグネット」が付いているのだからたまらない。

どこに直し込んでいたっけと、探すこと10分余り、ようやく倉庫の片隅で見つけた。

欣喜雀躍しながら、さっそくテクニクスと入れ替えた。な~に、ネットワークとSPコードを接続するだけだから簡単なものである。

かくて出来上がり~。

   

これで、すべてイギリス製のユニットに統一された。

改めて各ユニットの紹介をしておくと、

「~500ヘルツ」(-12db/oct)がグッドマンの「AXIOM150マークⅡ」、「500~4000ヘルツ」が同じくグッドマンの「楕円形ユニット」(後面開放の箱容り)、そして「4000ヘルツ~」がワーフェデールの「スーパー3」

何よりも3つのユニットが縦一文字になったので音像定位に一日の長があろうというものだ。

そして出てきた音も我がオーディオ人生の中で「会心の仕上がり」とでも言うべきものだった。

艶やかでふっくらとした音色を持つクラリネットばかりは下手なオーディオシステムで聴くと魅力が半減してしまう。

今回はエッカー・ビルクのクラリネットが優雅にそして憂いを帯びながら心の中に沁み込んでくるのが切なくてたまらない。

あえて自画自賛を承知で言わせてもらうと、この3ウェイは最高ですよ!

そして、ふと気が付いてみると、DAコンバーターは「エルガー・プラス」(dCS)、プリアンプの真空管は「ムラード」の「8162=12AU7」、駆動するパワーアンプの出力管は「PP5/400」(英国マツダ:初期版)と、主だったものがすべてイギリス勢になったのは不思議。

それにしても、なぜ早く「楕円形ユニット」に気付かなかったのかと、思わず自分の頭を小突いてやった(笑)。

さあ、今日(1日)の午後は近隣のYさんを招いての試聴会だ。久しぶりに「参った!」と言わせてやりたいが、はたしてどういう展開が待っていることやら・・。

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