同じタイトルの「その1」からの続きです。
動物学者「ローレンツ」が唱えた「刷り込み現象」は、何も鳥類ばかりではなく、人間だって「三つ子の魂百までも」という諺のとおり、初めての体験が脳に刷り込まれ、その後の人生にずっと尾を引くことがある。
個人ごとに趣向性の強い音楽の場合なおさらそうだと思うが、たとえば自分のケースでは初めて「魔笛」を聴いて好きになった時の指揮者が「コリン・デーヴィス」だったが、今ではそれほどの名演とされていないにもかかわらず、この刷り込み現象のせいか、いまだにこの盤を聴くと故郷に戻ったような気がしてホッとする。
したがって前述のYさんの場合もモーツァルトよりも先にバッハに親しんだことが一種の刷り込み現象となって(バッハの音楽に)抵抗感を覚えなくて済んだ可能性がある。
つまり音楽鑑賞においても、親しむ作曲家の順番というものがあるのかもしれませんね。
敷衍すると、音楽の代表的なジャンルといえばクラシックとジャズの二つだが、先にクラシックに親しむと後々ジャズにも入っていきやすいが、この順番が逆だとジャズからクラシックへはなかなか移行できない例が多い印象を持っている。
そして、プロコル・ハルムの「青い影」・・・。
中学か、高校時代だったか定かではないが大好きな曲で当時のドーナツ盤を擦り切れるほど熱心に聴いたことだった。
しまった!
あのときにYさんのように原曲を求めてバッハの音楽を探し求めていたら今のようなバッハを敬遠する状況にならなかったかもしれない。
音楽人生における実に大きな損失だったかもですねえ!(笑)
久しぶりに当時の日本で流行ったロックばかりを集めたベストヒットのCD(オムニバス版)を引っ張り出してみた。
「A WHITER SHADE OF PALE」(邦題「青い影」)が1曲目に収録されているので聴いてみた。
自分で言うのも何だが、現在のかなりハイレベルのシステムで聴いてはみたものの、当時のとてもお粗末なポータブル・プレイヤーで聴いたときのあの充実感と感動は蘇ってこなかった!
オーディオシステムの高級度よりも聴く本人の当時の若々しくて瑞々しい感性の方が優勢なんだろうか、はたまたこれこそ最初に聴いたサウンドという「刷り込み現象」の作用なんだろうか・・・。
いずれにしても、音楽もオーディオも多分に情動的な面が含まれているので科学的に説明のつかない摩訶不思議なところが多分にあるようですよ(笑)。